第88話 静寂の朝に
「う~ん」
座ったまま腕を高く上げて伸びをする。
わたしが遅い起床を果たしたころ。
その様子を見て、他の仲間たちも近づいてきた。
オーキィなんて、手にパンを持ったままで駆け寄ってきており、とてもいい笑顔だった。
「おはよう、ティエナちゃん。柔らかいパンとハチミツあるから食事にしない?」
「うわ、嬉しいな。あ、そっか、収納袋があるから硬いパンじゃないんだ?」
少し離れたところで「保存が効くって助かるよな」とフィンが頷いている。
そのさらに向こう——輪に入らない位置で壁に背を預けて、レオが腕を組んで突っ立っていた。
わたしの視線に気づいたのか、真剣な表情でレオがゆっくりと近づいてくる。
「よお、チビ。眼が覚めたか」
見下ろすようにそれだけ言うと、レオはわたしに魔剣の柄を差し出して来た。
「……ん? ……わたしに?」
手に取れということだろうか。
でも、これってあのダンジョンの剣だよね……。
わたしは訝しみつつも、その柄をそっと握る。レオが剣を持つ手を離した。
「おおお、重いいいいいい!」
ずっしりと重量がかかる魔剣はわたしの手をすっぽ抜けて地面に落ちてしまう。
その様子をみて口の端をあげたレオが、軽々とそれを拾い上げた。
「こんな状況でも……絶望してないんだな、てめぇは」
どこか朗らかな、それでいて寂しそうな瞳――その表情の奥に一瞬、昨夜の影をよぎらせた。
「それが絶望を糧にする魔剣というやつか」
マナも体力を使い切り、壁に背を預けて座ったままのシルマークさんが、わたしとレオの様子を眺めながらそう告げた。
レオが深く頷く。
「普通の人間には、持つことすらできない。だが、心に深い絶望を抱えた者には最後の希望の光――絶大な力を与えてくれる。いや、与えられた気になる――というところか」
レオがイグネアの目をじっと見つめた。
イグネアも目を逸らすことなくレオの瞳を見据える。
「頭は冷えまして?」
「どうだろうな」
レオは剣に視線を落として、ふっと笑った。
「――この剣はお前らに返してしまいたかったが、誰も持てないんじゃな」
それだけ言うと、天井の穴から日が差し込む場所――ノクが居た所へレオが足を運ぶ。
陽の光を浴びてその地面だけがキラキラと輝いていた。
「よっと!」
レオは無造作に剣を振り上げ、その場の中心へ突き立てた。
切っ先は地中へと吸い込まれるように深く沈み、残された柄だけが陽光を浴びて燦然と輝いた。
マントの裾をひる返して、レオが片膝をつく。
「物騒な墓標で悪いな、ノク」
スタトの街で動物に笑いかけていた、あの優しい横顔のまま――レオは静かに、寂しげに呟いた。
深層で過ごした短い時間だけれど、レオは確かにノクを仲間だと思ってくれていた――そう感じた。
でも今回の騒動で、レオがまったく無関係だったとも思えない。
怒ればいいのか、悲しめばいいのか、それとも無事を喜ぶべきなのか……胸の奥で感情が渦を巻き、言葉にならなかった。
レオの背中越しにただ立ち尽くしていると、そのままの姿勢でレオが呟く。
「ティエナ――俺の事を斬り捨ててくれて構わないんだぞ」
「……そんなの、できるわけないよ」
そんなことできない――。
言葉を咽喉に詰まらせるわたしの背後から、イグネアが肩に手を添えてくる。
「レオ、結論が決まっているようなつまらない決断を、ティエナにさせないでくださいまし」
ピシャリと言い切る。
レオは背を向けたまま立ち上がり肩の力をひとつ抜くと、そのまま天を見上げた。
「ああ、そうだな。色々とすまなかった――」
「わたくしの炎魔法で死ぬのを良しとせず、わざわざ土魔法で地中に逃げてまで拾った命――その使い道、すでに決めているのでしょう?」
「まあ、な。大事件にはわかりやすく吊り上げられる首謀者が必要だろう。ケジメはつけるさ」
静まり返った空気の中、大空洞の入口の方から足音が近づいてきた。
見回りに出ていたシルヴィオさんだ。
……帝国兵の人たちにも多大な犠牲が出ている。
ここに至るまでの道で、数え切れない兵が骸を晒していた。
きっと彼らを一人でも確認しようとしていたのだろう。
大切な人を失ったのは、わたしだけじゃない――。
シルヴィオさんの視線の先に広がる凄惨な光景を見て、胸がきゅっと締めつけられる。
そのとき、視界の片隅でフィンとオーキィが顔を見合わせ、そっと頷きあった。
オーキィがこちらへ歩み寄る。
「ティエナちゃんが他の人の苦しみまで背負わなくていいのよ。
それに、家族を亡くして悲しむのは……わがままなんかじゃないわ」
胸に染み込むような優しい声音。
オーキィは、そっと後ろからわたしを包み込むように抱きしめてくれた。
その後ろから――姿は見えないけど、フィンの声が届く。
「何か困ったことがあったら、オレたちが力になるしよ。ほら、仲間だろ」
「うん……うん。ありがとう!」
そうだよね。
わたしは一人じゃない。仲間がいる。
皆がいるから、きっとこれからも頑張れる。
わたしは、身体を包むオーキィの腕をきゅっと掴んだ。
しばらくして、シルヴィオさんが戻ってきた。
シルマークさんと二、三言葉を交わすと、わたしの方へ向き直る。
眉間に深い皺を刻み、靴底で地面を踏みしめながら歩いてきたその表情は――いつもの厳しさと、少しの後悔を宿していた。
「……結果的に、お前の力を頼ってしまった。
俺の戦力を見誤ったことへの謝罪と、救助への感謝を伝えたい」
「うん、それは……いいよ、もう。
ただし――あの暗い部屋に閉じ込めて出ていったことはすぐには許さないからね。
……帝国内のどこかオススメのケーキ屋で、たくさん奢ってもらうから」
「ケーキ屋か。俺には……難しいクエストだな」
シルヴィオさんの表情が、ほんの少しだけ和らいだ。
シルマークさんが声を張り上げる。
「おーい、そろそろ撤収の準備じゃ! エリオットの馬鹿は儂が結界に閉じ込めるとして、そっちの小僧はどうする!」
「はっ、いまさら逃げも隠れもしねぇよ。気になるなら、ふん縛ってくれて構わんけどな」
肩を竦めるレオに、シルマークさんが軽く頷いた。
「なら、その足で歩け」
わたしの手元に残された、ノクの結晶。
傷がつかないようにそっと、大切にポーチにしまう。
そして、ノクの墓標として刺さった剣に身体を向ける。
「じゃあ、行ってくるね!」
わたしの言葉に応えるように、剣の柄が陽光で煌いた。
そう、これで全て終わったと。
わたしはこの時思っていたんだ。
――次の瞬間。
全身を突き刺す凍てつく刃のような風が、わたしの横を無言で通り抜けた。




