第86話 終焉
巨大な白いシルエットが濃霧の向こうで揺らいでいた。
わたしとイグネアの強烈な一撃を受けてもなお、ノクの相貌が強く輝いていた。
「……これでも倒し切れませんの?」
「さすが……ノクだね」
ため息にも似たイグネアのぼやき声。
疲労と焦りが汗となり滲み出る。立ち込めた濃ゆい霧で髪の毛が湿る。
イグネアは額に貼り付いた前髪を指先で横へ流した。
霧の向こうから多数の閃光が放たれた。霧でぼやけるとは言え、その光の強さが強烈に視界を刺してくる。
目を細めた、その刹那。
「あぶないですわ!」
イグネアが声を張り上げる。
眩い光に隠れて、いくつもの光弾がわたしたちに向けて放たれていた。
慌てて横に転がり避けるけど——
「――熱ッ!」
わずかにかすった光弾の熱で、鉄板で焼いたような音と共に、皮膚が焼けただれた。
わたしは慌てて『治癒魔法』で癒す。
こんなの直撃で受けたらヤバい……。
ちらりと周りを見渡すと、イグネアも炎魔法で自己治癒を。シルヴィオさんは『盾』でシルマークさんを庇いながらしのいだようだ。
でも、きっとあと少し。ノクを削り切るにはあと一歩なんだ。わたしにはわかる。
こちらから仕掛けても、向こうから攻めてきても、どちらにしても、きっともう終わる。
だからといって、守りに入っちゃうと、危険だよね……。
やっぱり攻めの一手。そのためには、水が大量に欲しいけど――そんな時間はあるだろうか。
舞台の幕が開くかのように、立ち込めていた霧がスゥっと天へ消えていく。
何かを警戒するように、ノクが頭を下げて喉の奥から唸り声を絞り出した。
わたしが水を纏わせるより早く、再びノクの閃光が周囲を支配した。
さっきと違い、今度は光を遮る霧も無い。
眩い光が、一瞬で視界を焼き尽くす。
――全てが白に染まる。
これはマズい……!
呼び出していた水が、光の熱に触れた途端、蒸発し始めた。
《澄流の膜》で身体を守っていても、容赦ない熱気が肌をなぶるように襲いかかってくる。
「くっ……! 防壁となれ『氷結壁』!!」
シルヴィオさんの詠唱に応じて氷の壁が展開されるも、一瞬で解け落ちる。
「イグネア! 何か遮るもの……呼び出せない!?」
「炎であれば無効化できますけど、光魔法では多少熱を抑えるぐらいしかできませんわ!」
光量が最高に達し、その中から光弾が放たれようとしたとき。
「嬢ちゃん……これが最後じゃ。儂はこれで倒れる。帰りは……頼んだぞ!」
シルマークさんの声が響く。
刹那――わたしたちに荒ぶる光の奔流が迫るが、シルマークさん渾身の結界が受け止める。
純粋な光の暴力と、強固なクリスタルのような輝きが、互いの力を比べ合い――そして、結界にピシッと亀裂が入ったかと思うと、そのまま高い音を立てて砕け散る――。
シルマークさんが力なくその場に崩れ落ちる。
そして、遮るものが無くなった光が、勢いを取り戻し空間を貫き迫る。
光に呑み込まれる覚悟をした、その瞬間。
「食らいつくせ!! 『大地咆哮』!!」
後方からの怒声。
土が、岩が、地面がひっくり返る――! 牙を剥いた大地が一瞬にして天まで持ち上がり、光ごとノクを呑み込んだ。
ハッとした顔でイグネアが振り返る。
「レオ!?」
くたびれた表情で満身創痍の身体を引き摺ったレオが後ろに立っていた。
「貴方いったいどうやって!?」
「うるせえ、細かいことは後だろ! 今は目の前に集中しろイグネア!」
イグネアは軽く頷くとふたたびノクに向き直る。
ノクを閉じ込めていた外殻は、内部から放たれる光の熱で赤色化し、溶岩となり流れ始める。
「あれはもう炎の領分だろ! なんとかしろ!」
「言われなくても、わかっておりますわ! 貴方も協力なさいまし!」
イグネアの魔法が熱を抑え、レオの魔法でさらに大地を割って溶岩を誘導する。
皆がなんとか時間を稼いで、ここまで持ってきてくれた。
あとはわたしがケリをつける……!
三度、大量の水をノクに押し込む。
冷気が立ち込める。
足元から水が凍結していき、閉じ込める。きっとここからノクとわたしの最期の魔力勝負。
いままで散々魔法を使ってきたノクに残された、最後のマナを使い切らせる――!
「これで……! もう眠っていいから、ノク!」
両手をかざし、凍結を維持する。
そこへ、シルヴィオさんが一歩進み出た。
「俺の水のマナも使え」
そっとわたしに手を重ねる。シルヴィオさんの冷たい手の平から水のマナの流れを感じる。
「ありがとう!」
これで、絶対に、終わらせる!
それでもまだ、中からなお抵抗しようと、ノクの魔力が氷を震わせていた。
もう少し、もう少し――!
パラパラと、小石が足元を跳ねた。上からだ――。
「どわぁぁぁ!」
「ちょ、ちょっと大丈夫、フィンくん!?」
次の瞬間、天井から真っ逆さまにフィンが転げ落ちてきて、続いてロープをつたってオーキィが降りてきた。
「……ふたりとも!」
「おまたせティエナちゃん! フィンくんが回り道見つけてくれたの!」
オーキィはわたしとシルヴィオさんを一見して状況を察してくれたようだった。
「私も協力するからね」
大きな手がわたしの手を優しく包んだ。温かい手の平から、柔らかな水の流れを感じる。
うん、これで……!
わたしは祈るように目を閉じた。祈る先の神様はわたし自身になっちゃうけど――わたしの力を信じて――。
「おやすみ、……ノク」
冷たい風が吹いた。
氷の中に閉じ込められた白い竜は、まるで美しい彫像のように静かだった。
<……ありがとう。おやすみ、ティエナ>
優しい声が、ふわりと耳を撫でる。
それが――ノクの最後の言葉だった。
直後、弦が切れたような鋭い音が空間を裂いた。
氷塊は一瞬で粉々に砕け散り、砕けた破片が光の中へと吸い込まれて消えていく。
そして――白い竜の姿も、どこにもなかった。
ただその足元に、
白銀に輝く宝石のような魔核だけが、静かに残されていた。




