第85話 氷霧の向こう、光る双眸
ノクとわたしの、純粋な力比べがはじまった――。
わたしは《清流の手》で周囲の水を一気に呼び集める。
ノクの大きな爪が空気を切り裂き、横薙ぎに迫る。
その瞬間、衝撃を受ける直前に身体を浮かせ、手のひらを蹴って宙へと逃れた。
空中で身をひるがえし、じいちゃんの弓を構える。
水をまとわせた矢を連続で射ると、ノクの白い表皮に突き刺さり、パキパキと音を立てて瞬く間に氷が広がった。
――だが、ノクの咆哮ひとつで、その氷は粉々に砕け散る。
わたしは着地すると、身を低く構えたまま一気に距離を詰め、ノクの懐へと潜り込む。
指先に水流の圧力を溜め込み――
「《水圧石穿》!!」
細く鋭い激流が迸り、瞬時にノクの胴を貫いて、その後方の岩壁までも削った。
続けざまに、イグネアの炎の槍がノクへと殺到する。
腕から肩にかけて次々と突き刺さり、炎を噴き上げながら爆ぜた。
ノクが大きく仰け反った隙を逃さず、シルヴィオさんの氷の斬撃がノクの腕を裂き、その傷を凍てつかせる。
ノクの咆哮が、地をも揺るがす轟音となって洞窟を満たした。
あたりの空気が震え、吹き荒れる突風がすべてを巻き込む。
さらにノクが魔法を展開。突風に光の刃が混ざり合い、強烈な風圧と輝く斬撃が無差別に荒れ狂った。
わたしは周囲に水流を展開し、それらを受け流してなんとか踏みとどまる。
だが、イグネアとシルヴィオさんは斬撃と風圧に弾かれ、大地に叩きつけられて転がった。
一瞬、ふたりの様子に気を取られた――その隙を、ノクの尻尾が逃さない。
「ぐっ!」
咄嗟に左腕を挟み込んだが、強烈な衝撃でミシミシと骨が軋む音が響く。
そのまま吹き飛ばされ、背中から土壁に叩きつけられた。
「……っ!」
左腕が上がらない――骨が折れた。
鋭い痛みが身体を駆け抜ける。それでも、ここで倒れているわけにはいかなかった。
水の防壁を氷に変え、次に来るノクの攻撃をほんの一瞬でも遅らせる。
その隙に、自分へ治癒魔法をかけて回復させた。
氷の壁はあっという間に薙ぎ払われたが、なんとか治療は間に合った。
こんな戦い方じゃダメだ。
わたしが一番ノクのことをわかっている。――もっとノクを削らないと。
神の権能を全開にし、今引き出せる限りの水を呼び起こす。
身体の周りの水流を激流へと変え、ノクの周囲の空間へと一気に押し込む。
窒息させる――なんて甘い考えじゃない。
ノクは補助魔法が得意だ。すぐに対応してくる。
白い毛並みが淡く輝き、水圧低下や水中呼吸の魔法が展開され、動きに一切の支障がなくなる。
「想定内、だよ!」
わたしは水を一瞬で冷却し、巨大な氷の牢獄へと変えた。
ノクの動きを封じる――はずだった。
氷漬けの白い竜は微動だにしない。
……ほんの刹那、静止。
次の瞬間、内側から光が走り――氷塊は弾け飛ぶように砕け散った。
視界の隅に、ハッとしたようにこちらを見るイグネアの姿が映る。
あぁ、良かった――イグネアも無事だ。
「まあ、閉じ込めるというのは、そんな簡単じゃないよね。――でもっ!」
わたしとイグネアの視線が交差する。
わたしは再び水を張り巡らせた。さっきと同じ――いや、それ以上に。
ノクは凍結を警戒している。今のまま凍らせるだけでは、さっきより早く破られる。
少しだけ――時間が欲しい。
そう思った、その瞬間。
「天を穿て――『氷天衝』!!」
空気を震わせるシルヴィオさんの凛とした声と共に、ノクの足元から幾多の先鋭化した氷山が地面を割って立ち昇り、辺り一帯に冷気が吹き荒れた。
咆哮と共に、ノクの白銀の毛が宙に舞った。
一瞬の時間が……出来た!
わたしはノクを再び水没させ、周囲の水層をいくつにも分割して多重の水のドームを形成する。
そして、その全てを凍結させ――イグネアの真正面、一点だけ穴を残した。
ノクの凍結が始まる。だが、それもすぐに解けるだろう。
「――イグネア、お願い!」
「わかりましたわ、持ちうるすべての力で!」
イグネアが両手に握りしめた『魔宝石』が強い輝きを放つ。
内部の炎が燃え盛り、光の揺らぎが炎の尾のように彼女の腕を包む。
「幕引きにしてさしあげますわ!」
イグネアが保有する全マナが、一条の炎の槍へと収束する。
赤く揺らいでいた炎は白く輝き、さらに青白い光を帯びて、鋭く強く尖った。
「焦熱の先へ! 『獄炎穿槍』!!」
刹那――氷のドームに残した穴を貫き、青い炎が一直線に凍ったノクへと迫る。
その瞬間、わたしはドームの穴を凍結させ、完全に塞いだ。
イグネアの魔法がノクに着弾した瞬間――
超低温の氷と超高温の炎が衝突し、内部の水蒸気が爆発的に膨張する。
ドーム内部で轟く、水蒸気爆発。
重い炸裂音が幾重にも重なって鼓膜を打ち、
多重の氷のドームは内側から破り裂かれるように砕け散った。
幾重に重ねた壁でも相殺しきれなかった衝撃の余波が吹き荒れ、高熱の霧がわたしたちの頬を嬲った。
あたり一帯に深い霧が立ち込める。その霧の向こうで大きな影が揺らいでいる。
陽炎のようにあやふやなシルエットの両目が――強く光った。




