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もと女神は冒険者はじめます!  作者: さわやかシムラ
◇◇ 第二章 ◇◇
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第83話 月下に煌く終焉の竜

 早く、進まなきゃ。

 そう思う気持ちとは裏腹に、足取りが重い。

 心臓が裏返りそうなほど胸が痛む。


 地底の空間全体が、うねるような咆哮で震えていた。

 天井の岩盤がきしみ、砂が降り注いだ。

 苔や根が絡む地面を踏みしめ、一歩ずつ、確実に進む。ここを越えたその先には――白い毛並みを逆立てて威嚇する巨大な竜――ノクが待っている。


 その真上。遠く高い天井にはぽっかりと穴。崩れた岩盤の隙間から夜気が流れ込み、月光が差していた。竜の白い毛が、月光の粒のように煌いた。


「ノク……」

 わたしのことはわかるんだろうか。

 問いかけに意味はあるんだろうか。


「ねぇ、ノク。聞こえる?」


 わたしの声に竜の耳が微かに揺れる。

 痛みに耐えるように顔をゆがめ、ゆっくりと瞳を開く。

 逆立つ毛並みがふわりと倒れた。


<ん……あぁ、ティエナか。よく来たね>


 空気を震わせない声が、わたしの心に染み入るように届く。

 あぁ、久しぶりだな……ノクの声だ。

 でも……視界が滲んでよく見えないや。ノクの顔、しっかり確かめたいのに。

 熱い滴が頬を伝う。


 一歩ずつ、少しずつ、わたしは歩み寄り――その大きな頭に触れて語り掛けた。

「ちょっと見ない間にずいぶん大きくなったじゃん」


 ノクの目が細くなり、わたしに顔をすり寄せる。

 わたしは、大きな額をそっと撫でた。


「じいちゃんのお家建て替えないと入んないね。これは大変になるよ。……ねえ、ほら、一緒に帰ろう?」

 わたしはノクの頭を抱きしめる。

 それなのに、ノクは悲しそうに瞳を伏せて、わたしを振り払うように頭を横に振った。


<ティエナも知ってると思うけど、ボクは竜の石像だった――>


「うん、知ってるよ? それが何?」


<きっとティエナのことだから、もう何度も竜を越えてやってきたんでしょ? ならわかってるよね――ボクの体内にも魔核がある>


 真っすぐにわたしを見つめる瞳の奥に、慈しむような光が見える。

「だから? それがどうしたの?」


 少し身体を起こしてノクが翼を一振りすると、辺りに突風が巻き起こった。

 腕で顔を覆い、思わず顔をしかめる。マントがはためく音が耳に残る。


<――ボクは竜だ。絶望の底にいる者の最期を聞き届ける存在。その者が望むなら世界も喰らわないといけない>


 何一つ納得できない言葉が、脳を震わせるように聞こえてくる。

「なんでよ! ノクがそんなことする必要ないじゃない!」


 わたしはただただ声を荒げてノクに叫ぶ。

 ……だけど、ノクは責めもせず、そよ風みたいな眼差しで受け止めていた。


<ボクの意識がなくなれば、それはもうノクじゃない。ただの終焉の竜(エンドレイク)

 必要がある、ない、ではなく、ただ滅びに向かうだけの存在。

 だから、もうティエナとは一緒に居られないよ>


「どうしてそんなこと言うの!? わたしたち家族でしょ!?」


 ノクがゆっくりと横に首をふる。

<このままだと世界が滅ぶ――だから今のうちにボクの魔核を取り出して?>


 衝撃的な言葉だった。

 体内の魔核を取り出してほしいということは――ノクが、自分を殺してほしいと言っているのだ。


 ノクをわたしが殺す?

 できるわけがない。

 じいちゃんがいなくなり、今はわたしのたった一人の家族だ。


「いやだ! そんなの絶対にいやだ!」


 大きな粒がボロボロと瞳から零れ落ちる。

 胸が痛い。苦しい。

 

<もともとボクは命もって産まれる存在じゃなかった。もっと早くに終焉の竜(エンドレイク)として顕現していたかもしれない。

 それを、偶然じいさま――リヴァードの献身的な祈りがノクという形にしてくれただけ>


 ノクが穴が空いた天蓋の向こう。月を仰ぎ見る。

 焚き火の前で、じいちゃんもよく見上げていたあの月を。


<魔核に加護の力で強制的にマナを流し込む。エリオットが絶望に囚われた人たちを何人もつれて来たよ。その人たちの怒り、悲しみ、恐怖……そういった強い感情がボクの中に流れてくるんだ。つらいつらい記憶。だからボクは皆の願いを叶えないといけない>


 悲しそうにノクが微笑む。

 わたしが、ノクを守れなかったばっかりに。

 顔からぽたぽたと滴が地面に落ち、ほんの一瞬滲んで消える。

 マントの裾を固く握りしめた。

 

<でもねティエナ、悲しまないで。今回はたまたまエリオットという人間に囚われただけで、遅かれ早かれ、いつかこの日が来たんだよ。これは運命だったんだ。

 あ、そうそう。レオがね、ボクにマナを流し込むのを最後まで抵抗してくれてたんだよ。結局エリオットに振り切られちゃったんだけど……今まだこうして意識もってティエナと話ができてるのは――レオのおかげだね>


 ノクが目を細めてわたしの身体に頭をすり寄せた。

 涙が止まらない。くしゃくしゃになった顔で、力なくノクの額を撫でた。


<さぁ、もう時間が無い。身体の奥の衝動が抑えられなくなっていく……お願いだ、ティエナ。早くボクの胸にある魔核を――取り出して>


 ノクが苦しそうな顔で、頭を揺らしながらゆっくりと持ち上げる。

 差し込む月がノクの顔を照らし、光が涙のように零れ落ちる。


「……ない」


 できない。そんなもの、できるはずがない。

 ――何か例外は?  他に封じる術は?  わたしにできることは他にないの?

 考えは弾かれて、喉だけが締め付けられる。


 ああ、ノクの声が聞こえない。

 聞こえてくるのはノクの喉から絞り出された唸り声。それが、冷たい空気を震わせる。


 牙を剥き口から垂れたよだれが、わたしの手の甲を濡らす。

 何かから逃れるように、しきりに頭を振る。

 大きな爪が大地を引っ掻き、土が舞う。


 ふと、ノクと共に夜を過ごした野営のことを思い出す。

 焚き火の煤が舞い上がり、大地に転がって抱きしめあって感じたノクの温もりと、湿った土の匂い。


 次の瞬間、巨大な手が月を遮り――



 ――わたしへと振り下ろされた。

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