第81話 過去を打ち抜く鉄拳
エンドレイク教団の教祖と思しき男が、シルマークの前に立っていた。
腰を曲げ、杖を突くフード姿の老人。その声は空虚に響く。
「いつまでも俺の上にいられると思ってやがる。昔からいけすかねぇ野郎だ」
シルマークは頬を伝った汗を、手の甲でそっと拭った。
「ははっ、常に儂の方が一枚上手だっただけの話だ。……だが、お前さん、なぜ生きている。――エリオット」
その名を聞き、老人はゆっくりとフードを下ろした。
やせ細った顔に、あの頃と変わらぬ切れ長の双眸が光る。
三十年前、彼はシルヴィオ、リヴァード、そしてシルマーク、ネリオとともに大精霊を討った仲間だった。
『蒼き剣と七つの遺跡』の著者として名を馳せ、吟遊詩人を名乗る元シーフ。
金も名誉も手にしたあと、酒と賭博に溺れ、堕ちていった男。
ある夜、彼は酔い潰れたまま海に落ちて命を落とした――そう伝えられていた。
だが実際には、共に盗みを働いていた昔の仲間に背後から襲われ、
金目当てに海へ突き落とされたのだ。
襲撃者はほどなく捕縛され、金の出処を問われるうちに全てを吐き、処刑されたという。
それでも、エリオットの遺体は海から上がらず、死は謎に包まれたままだった。
二十五年の歳月を経て――いま、死んだはずのその男が目の前に立っている。
エリオットは懐から魔道具を取り出し、乾いた笑みを浮かべた。
「そりゃあ、――世界に復讐するためさ。海の底の冷たさを、みんなにも知ってもらおうと思ってよ」
シルマークの表情が険しくなる。
「どういう意味じゃ。どこで何をしていた」
エリオットは杖の底で石床を数度叩いた。鈍い音が洞窟に反響する。
「気が付いたら浜辺に転がってた。名前も過去も何も思い出せねぇ。
着の身着のままの俺に、世間は冷たかったよ。寝床も無ぇし、日々の飢えをしのぐことすら難しかった。
結局、盗みを働き、追われて……絶望を抱いたまま彷徨ううちに、竜の祭壇に辿り着いた」
シルマークが微かに息を呑む。
「そこには、かつての信者たちが残した記録が山ほどあった。最初は金に換えるつもりだった。
だが読んでいるうちに、妙な熱が湧いてきたんだ。
この世界には虐げられた者が多すぎる。そんなやつらが最後にすがるのが『竜』――全てを浄化し、世界を再生させる力。
……わかるだろ? こんな世界、クソくらえって気持ちが。全てをやり直せる新しい世界を心待ちにしているのさ」
エリオットの口元がゆがむ。
「俺はその力を求めた。俺と同じように世界に見捨てられた連中を拾い集めてな。
――その中に、家族を半殺しにして家を飛び出した戦士の小僧もいた」
シルマークの眉がわずかに動く。
「戦士の小僧……?」
「血に飢えた獣みてぇな目をしてたよ。だが腕は確かだった。
信仰のために剣を振るう器を探してた俺には、ちょうどよかった」
シルマークは黙したまま、相手の言葉を待つ。
「そいつを、新しく開いたノアランデのダンジョン深層に送り込んだ。新しい力が眠ってるかもしれねぇと思ってな。いやー拾い物だったよ、小僧も――あの魔剣もな」
「魔剣、だと?」
「あぁ、『選ばれし者の剣』だったかな? 絶望の果て、希望にすがろうとする者に『神の力』を与えてくれる。あの剣に触れた時、無くした記憶と共に俺は新たな力を得た」
シルマークの脳裏には、ダンジョン深層から持ち去られた剣の話が思い浮かんだ。
ダンジョンで入手した物は発見者が自由にして良いということになっているが、パーティ内での分配を決める前に持ち去ったという噂話。
シルマークは赤い少女と対峙する戦士を視界の隅で捉える。
(あれが、嬢ちゃんのパーティに居たという戦士か。――おっかねえのう。向かい合ってる赤い女もじゃが……嬢ちゃんのパーティはヤバい奴揃いか)
そこでシルマークがふっと声を漏らして笑った。
エリオットが眉をひそめる。
「何を笑ってやがる」
「いや、なに。儂らおいぼれの時代は終わったんじゃなと、思ってな」
「余裕ぶっこいてんなよ、てめぇ!」
苛立つエリオットが手のひらの四角い魔導具を握りしめた。
だが、その行動を遮るように、シルマークの腕が振り下ろされる。そして空気を引き裂いて雷撃が放たれる——はずだった。
石室に炸裂するはずの閃光は現れず、雷鳴の余韻だけが虚しく残った。拳を握ったままの自分の腕を見下ろしたシルマークの目がはっきりと見開かれる。
「おっと、魔法が使えなくて困ってるのか?」
エリオットの手のひらの上で、魔導具が放つ禍々しい漆黒のマナが渦巻いていた。
雷光の残滓が空気に弾ける音だけを残し、渦の中に呑み込まれていく。
「その顔が見たかった。お前が俺を認めた上で、そのお得意の魔法を封印してやるこの瞬間が見たかったんだよぉ!」
エリオットの哄笑が洞窟に響く――その途中で、シルマークの拳がその頬を打ち抜いた。
体重を乗せたその一撃がエリオットを身体ごと吹き飛ばす。
エリオットはきりもみしながらもんどりうって転がり、地面を跳ね、衝撃音だけを残す。
「これでもな、おじいちゃんは宮廷でも街でも最前線でも走り回っとるんだわ」
シルマークが拳を開き、その場でぷらぷらと手を揺らした。
そして再び顔の前で拳を握り直し、静かに腰を落として構えた。
「て、てめぇ……! 絶対に許さねぇ……!」
地面に転がるエリオットが頬を押さえながら、シルマークを睨みつけた。




