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もと女神は冒険者はじめます!  作者: さわやかシムラ
◇◇ 第一章 ◇◇
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第9話 白霧レモネードと記憶の本棚

 朝の騒ぎが落ち着き、ギルドの混雑もようやく収束し、昼食もとうに済ませたころ合い。

 柔らかな日差しが、スタトの街を包む空気を、すこしだけ穏やかにしているようだった。


 そんな陽気の中、とある果汁屋の前で、肩に白い竜を乗せた、青いマントを羽織った少女と、背筋をピンと伸ばした赤いドレスの少女がショーケースを眺めていた。


「わあ……これが白霧レモネード……!」

 ティエナはショーケースに指先をあて、瞳を輝かせてその中を覗き込んでいた。

 ガラス越しに並ぶ瓶。淡い金色の液体には、小さな白い花弁が浮かんでいる。寒冷地でしか採れない氷花草から抽出された香気と微かな泡が、涼やかに立ちのぼっていた。


「うふふ、ちゃんと約束は守りますわ。ティエナさん、一杯どうぞ」


 イグネアはふっと微笑むと、店主に銀貨を差し出した。支払いひとつ取ってみても、その所作に淀みはなく、上品さを感じさせるものだった。

 銀貨一枚あれば、ちょっといい宿で一泊できる。それを微笑みをたたえたまま、ためらいなく支払うイグネアを見て、ティエナは思わず感嘆の声を漏らした。


「これは、わたくしからのご褒美ですわ。どうぞ、召し上がれ」

「……本当にいいの? わたし、ほんのちょっと頑張っただけだよ?」

「ふふ、ティエナさんは謙遜しすぎですわ。あの時のあなたの力が無ければ、わたくしたちは勝てませんでしたわ。……それに、勢いとは言え、わたくしがお誘いしたのですから」

「わたしの方こそ助けてもらっちゃったのに。イグネアさん、すっごく頼りになるね!」

「そう言っていただけると、光栄ですわ」

「う、うんっ……! 本当に、ありがと!」


 ティエナはそのままレモネードの瓶を胸元で抱きしめ、嬉しそうに目を細めた。

「ねぇノク、見てこれ……すっごく綺麗で……うわ、冷たっ!」

 ノクは軽くため息をつきながらも、その様子を見守っていた。


 瓶を抱えたまま、もったいないからと飲むのをためらっていたティエナが、ふと何かに気付き、ノクに視線を向ける。


「そういえば、ノクって……結局なにものなの?」

 ノクは少しだけ間を置き、視線をそらす。


「……いまさら、それを聞くんだ?」

「うん。だって、なんかあらためて気になって……普通の魔物には見えないし、でも精霊でもなさそうで……」

「ぼく自身も、よくわかってないんだけどね……でも、ティエナと出会ってから、ずっと眠っていた何かが少しずつ目を覚ましてる気がする」


 静かに耳を傾けていたイグネアは、思案をめぐらせたまま口を開く。

「魔物にしては知性が高すぎますし、精霊獣とも異なりますわ。使い魔のように主従の枠にも収まらず……むしろ、何か古い契約の名残が、独自に変質した存在のようにも見えますの。例えば、失われた契約獣の末裔とか……」

「うーん……だんだん話が壮大になってない?」

 困った顔でノクがイグネアに手を振った。

「ふふ、ですが何者であろうと、ノクさんのことは好ましいと思っていますわ」

 イグネアは微笑み、ティエナの肩の上に掴まるノクの頭を指先で軽くつついた。

「……ありがと。でも、あんまり距離近いと……ちょっと照れるんだ」


 イグネアとノクが話している横で、ティエナはストローに口を付け、陽の下で光を反射し燦然(さんぜん)と金色に瞬く『白霧レモネード』を口に運んだ。

 その飲み物はひとくち含むだけで、ひんやりとした清涼感と、さっぱりとした酸味に加え、ほのかな氷花草の爽やかな香りと、その奥に感じる上品な甘さが、口いっぱいに広がって、ティエナの脳を感動の衝撃で揺さぶった。

「お、おいしい……!」

 ティエナの頬を伝って、ポロリと涙が一滴こぼれた。


 そんな小さなやりとりが静かに続く中、三人は肩を並べて歩き出した。


 行き交う人で喧騒が絶えない通りを歩いている最中、ティエナはふと脇に寄って立ち止まると、笑顔でノクに視線を向けた。


「ねえ、ノクのこと、ちょっと調べてみよっか」

「調べるって……どうやって?」

「う~ん、そうだねぇ……どうしよう」

「ノープランだったの……?」

 ふたりの会話を聞きながら、イグネアは口元を押さえて上品に笑った。

「うふふ、古書店ですわね。わたくし、こう見えて文献捜索は得意なんですのよ」

「おお〜イグネアさん、頼りになる〜!」

 本屋と聞いてノクの耳がピクリと揺らぐ。

「おっ、なんか面白そうだね。よし、レッツ書物ハントだ!」


 *


 通りを一本入った先、木造のアーチと蔦に覆われた古書店の軒先に、ティエナたちは足を踏み入れていた。


 中は静かで、木の匂いと古紙の香りが混じる落ち着いた空間。天井まで届く書棚には、魔導技術書や旅の記録、錬金素材辞典など、ぎっしりと本が詰まっていた。


「うわぁ……すごい……」


 ティエナは目を輝かせて店内を見渡し、棚の間を行ったり来たりしていた。


 ノクはといえば、最初は「調べもの」という名目で真剣な目で棚と向き合っていたが──


「……お、これ初版だ……」

 気づけば一人、口角を上げて、奥の棚で興味深そうに本をめくっていた。


「ノク、こういうの好きだったよね?」

「まあね。あんまり役に立たないときもあるけど……見たことない本を開くと、ちょっと高揚するんだ」


 そんなやりとりをしているうちに、イグネアが店主に話しかけていた。

「こちらに、神獣や契約獣、古の生き物に関する記述のある文献はございますかしら」

「んー、そっち系はあんまり動きがないんでね。奥の棚にある『伝承分類』のタグがついてるところを見てくれれば」

「ありがとうございます。ティエナさん、ご一緒に?」

「うんっ!」


 ──そして、ティエナの目に、不思議な装丁の一冊が映る。


 革のような、それでいて紙とも違う質感。金の装飾が縁を飾り、表紙には見たこともない──けれど、どこか懐かしい──文字が刻まれていた。


 普通なら意味などまるでわからない、不思議な装飾の羅列。

 なのに、ティエナには、それが『読めそうな気がする』ような感覚だけが、静かに心を揺らしていた。


「……なんだろ、これ……」


 その声を聞きつけて、ノクとイグネアも本を覗き込む。


「それ、なんかの装飾? 本当に文字なの?」


「わたくしも初めて見ますわ。魔導文字でも古典でもない……文字の構造が意味を持っていないようにも見えますけれど……」


「……でも、どこか神代文字の流れを感じますわね。『水の神ティエル=ナイア』が祀られている東の方の古い時代の祭文に、ちょっと雰囲気が似ておりますの」


 イグネアの口から自分の『神』だった時の名前を耳にした瞬間、ティエナの心臓がひとつ、強く跳ねた。

 胸の奥で、なにかがひゅっと凍る。けれど、誰にも悟られぬよう、そっと呼吸を整えた。


 ティエナは再び本の表紙を見つめる。読めそうで、でも読めない。文字のようだけど、意味が頭に入ってこない。なのに、視線が離せない。


 その本にそっと触れた瞬間――ティエナの意識に、遠い記憶が流れ込んできた。


「この本、知ってる……?」

 そんな既知感めいた感覚が、ティエナの中で静かに沸き上がった。


 懐かしさと、言葉にならないざわめきが胸の奥で静かに広がっていた。

 記憶の扉が、誰にも聞こえない小さな軋みを立てはじめていた。

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