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見習いシスター、フランチェスカは今日も自らのために祈る  作者: 通りすがりの冒険者


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EXTRA 『SPRING VACATION』~アンジローの場合~


 ――タイ、バンコクのシティホテル。時刻は夜の6時。


「それじゃ、兄が呼んでるんでこれで失礼しますね」


 そう言って安藤はフランチェスカとの通話を切る。


「ジロー! 早くしないと置いてくぞ!」

「今行くってば」


 上着をつかんで兄の一郎とホテルの部屋を出る。

 すると廊下に両親が待っていた。


「遅いぞ。なにしてたんだ?」

「ちょっと友だちと電話を……」

「ガールフレンドだよ」


 隣で一郎がちゃかす。弟が「そんなんじゃないってば!」と顔を赤くする。


「あらあら、ついに次郎に彼女が出来たのね。今度うちに連れてきなさいよ」と母がころころ笑う。


「と、とにかく! 彼女とはなんでもないから!」

 

 安藤が皆をエレベーターホールへと押し出す。


 †††


「ふー喰った喰った」

「やっぱり本場は違うわね」


 ホテルの近くのレストランから安藤一家が出る。その後ろでウェイトレスが「ありがとうございます(コップクンカー)」と合掌してお礼を。

 ひゅうっと夜風が吹く。この時期は乾期なので、夜になると涼しげな風が肌に心地良い。


「これからどうしようか? 僕と母さんはホテルのバーに行くけど」

「じゃあ俺もホテルの部屋に……」


 後を続けようとした途端、一郎に肩を掴まれた。


「ちょっと俺と付き合ってくれ。父さんと母さんはそのままホテルに行ってて」

「遅くならないうちに帰るのよ」

「わかってるって」


 安藤は兄に連れられ、そのまま最寄り駅から電車へと乗った。

 車内は日本のとそんなに変わらない。つり革につかまっていると、ふと座席の上にあるものが目についた。


「にいちゃん、あれは?」


 指差した先には「お年寄り」や「妊婦」、「怪我人」といった日本でもおなじみのアイコンが並んでいた。

 だが、そのなかに見慣れないアイコンがあった。


「ああ、これはお坊さん専用という意味だ。タイは敬虔(けいけん)な仏教徒が多いからな。お坊さんには席を譲るんだ」

「へぇ」

「それとこれ大事なことなんだが、女性はお坊さんに触ったらダメなんだ。触られたら、それまでの功徳(くどく)がパーになるらしい」

「にいちゃん詳しいね」

「仕事で何度かバンコクに来てるからな」


 兄の一郎は映像クリエイターだ。最近は海外から仕事の依頼も少しずつ増えてきてるそうな。

 程なくして目的地の駅に着いた。トークンと呼ばれる切符代わりのコインを改札機に返却して駅を出る。


「さて、ここからトゥクトゥクに乗るぞ」 


 ふたりはトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーに乗り込み、兄が運転手にタイ語で二言三言交わすと、トゥクトゥクは発車した。


「にいちゃん、タイ語喋れたの?」

「挨拶とか必要最低限な言葉はな。今のは市場の名前を言っただけだ」


 10分ほど車道を走っていくとトゥクトゥクが歩道に寄って止まった。

 一郎が運賃を支払って降り、兄弟そろってネオンが輝く路地を歩く。

 プラコップを手にした物乞いやぴかぴか光るおもちゃを手にした、まだ年端もいかない売り子をかわして奥へ進む。

 やがてその市場が見えてきた。人でごった返しており、この時刻でも活気に溢れている。


「ここは……?」


 安藤がその賑やかさに息を呑む。


「チャトゥチャックマーケット。バンコクで一番大きい市場だぞ」

 

 兄の言うとおり、確かにアーケードは店舗が所狭しとひしめき合い、それがずらっと奥まで並んでいる。


「にぎやかな市場だってのはわかったけど、なんでここに?」

「学校の友だちやフランチェスカさんへのお土産を買うならここがいいかと思ってな。気の利く兄貴でよかったろ?」


 くしゃくしゃと弟の頭をなでる。


「ちょっ! 髪型くずれるって! それに彼女とは……」

「いいからいいから」とされるがままに奥へと連れて行かれた。

 店員の威勢の良い声とスパイスや菓子類の匂いと香水の香りが漂うなか、出店を歩く。

 それぞれ看板には蛇のようにうねったタイ語で書かれているが、当然安藤には読めない。


「ひらがなってよくミミズみたいだって言われてるけど、こっちのほうがそれっぽいや」

「だな。なに買うか決まったか? 値段交渉もしてやるぞ」

「や、まだなにも決まってないけど……」


 こう店と品物の数が多くては目移りしてしまうし、選ぶのもひと苦労だ。

 「これなんてどうだ?」と一郎がシワーライと呼ばれる民族衣装を広げる。


「お土産としてはどうかと思うよ……というか兄ちゃんは土産のセンス皆無(かいむ)だよ」

「そうか?」

「うん」


 弟の歯に衣着せぬ物言いに、兄は渋々と商品を戻す。

 次に菓子専門店をのぞく。チョコ、マンゴー、ドリアンなど様々なパッケージの箱が並んでいた。

 

「それ量が多そうに見えるけど、けっこう底上げしてるぞ」

「マジで?」


 兄弟ふたりはあれでもないこれでもないとアーケードを歩く。

 偽ブランド品の出店を通り過ぎたところで目を引くものがあった。

 

「ぬいぐるみなんてどうだ? 女の子ってこういうの好きそうだし」と言ってゾウのぬいぐるみを手にする。

「今どきぬいぐるみって……」


 と、陳列棚に目をやる。ぬいぐるみ以外にもゾウを象った小物が並ぶ。

 そのなかのひとつを手に取る。


「そのストラップいいな」


 一郎が可愛らしいゾウのストラップを指さす。


「うん。俺もこれがいいんじゃないかなって」


 次郎が紙幣を渡して商品を受け取る。

 「こ、コップクンカー」とさっき覚えたばかりのタイ語で礼を言うと、おばさんがキョトンとしたあとに笑った。

 

「タイ語は日本語と同じように男言葉と女言葉があるんだ。いまのは女性が使うんだよ。男は『コップクンカップ』って言うんだ」


 兄にそう指摘され、「コップクンカップ!」と言い直す。

 おばさんが「コップクンカー」と手を合わせて合掌。


 †††


 マーケットを出て一郎が「帰りはタクシーで行こう」と手を上げて止める。

 ホテルの名前を告げて発車し、ふたりはシートにもたれた。

 

「疲れたか?」

「うん、というか眠い……」

「良いのが見つかってよかったな」

「うん。ありがと」


 しばらく走っていると、兄がいきなり声をかけてきた。


「なぁジロー」

「なに?」

「お前は、フランチェスカさんのこと、どう思ってるんだ」

「どう……って、友だちだと思ってるよ」

「隠すなよ。男同士の話だぞ」

「そりゃ、まぁ……カワイイし、優しいしでさ」

 

 隣でうんうんと兄がうなずく。


「一緒にいると、なんていうかホッとするというか……」

 

 ポンッと肩を叩かれた。

 「世界は、それを愛と呼ぶんだぜ」とサムズアップ。


「からかわないでよ!」

「大マジメだぞ」

「もういいよ!」


 すねると、またくしゃくしゃと頭を撫でられた。

 

「ちょっ! 髪!」

「かぁ~っ! 若いねぇ! アオハルかよ」


 くしゃくしゃになった髪を直しながら窓の外を眺める。

 ふと思い出してスマホを取り出す。


「なにやってんだ?」

「兄ちゃんには関係ないだろ」

「フランチェスカさんにメールか?」


 にやにや笑みを浮かべながら。


「違うってば! 寿限無(じゅげむ)のこと調べてんだよ」

「おい、なんでこの流れで寿限無?」

「教えない」


 兄弟を乗せたタクシーは夜でも賑やかなバンコクの街を走る。


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