《前編》過去の世界
私の人生最高のときは、聖女に認定された日だ。都から来た認定委員にお墨付きをもらい、市庁舎の前でお披露目式をやり、町を上げてのお祝いをしてもらった。
何も知らなかった。私も家族もみんなも。
聖女の真実を。
私の住む王国はかつて世界を滅ぼさんとする魔王と戦った。壮絶な争いの結果、多くの犠牲を出しながらもからくも勝利。だけど魔王は絶命直前に王国全土を呪った。瘴気で国が満たされるように、と。
以来、国の各地で不規則に瘴気が噴出し、それを吸った人間は死に至る。
だけれど光の力を持つ聖女ならば、この瘴気を浄化できるのだ。しかも幸いなことに聖女は複数いた。彼女たちは生まれ故郷を離れ、全国を旅して瘴気と噴出孔を浄化してまわる。しかも浄化された噴出孔は一定期間は無害になる。
今では聖女が国の英雄であり崇敬される。だから聖女に認定されることは晴れがましくありがたいことなのだ。
──実際に聖女として初仕事をするまで、私はそう思っていた。きっと他の聖女たちもそうだろう。
聖女の証のティアラを頭につけ豪奢な礼服をまとい、護衛には白い鎧の精鋭騎士たちが付く。生涯旅する身となろうとも、その不自由さと引き換えにするだけの価値のある仕事なのだと信じていた。
だけれど。初めて瘴気を浄化したあとの、恐ろしいほどの体力の消耗は予想外だった。説明も受けていなかった。護衛騎士たちは体力回復の薬草をくれはしたけれど顔色ひとつ変えることなく、次の目的地へと私を連れて行った。
そんな生活を半年続け、悟った。
聖女の光の力とは、自身の命だと。
まだただの娘だったとき、町に来る聖女はみな若かった。同じ人は二度とは来なかった。
それが答えだ。
騎士たちは聖女の護衛ではなく、逃亡防止の監視だったのだ。
ひとりだけ、若い騎士がいつも辛そうな顔をしていた。彼は何も知らず、純粋に聖女を守りたいと願って白騎士に志願したらしい。
私たちは恋に落ち、逃亡した。
二日目に見つかり、彼は殺され私は罰として片足の膝から下を切り落とされた。
だけどそうしている隊長が、兜の奥で泣いているのがバイザーの隙間から見えた。
一体誰が悪いのだろう?
◇◇
ふと目覚めて起き上がり辺りを見回す。穏やかな春の野原。柔らかい風が頬を撫でていく。
さっきまで苦しかったはずなのに。
聖女になってもうすぐ二年というところ。多分、三年目は迎えられないだろうと感じていた。死にたくなかったけれど、死ねば先に逝った彼に会えるかもしれない。そんなわずかな希望にすがりながら、血を吐き震えていた。冷酷なはずの隊長が私の手をずっと握りしめてくれていた。
あれは確かに宿屋の中だった。朦朧としていたけれど、間違いはない。
……そうか、分かった。私は死んだのだ。だって両足が揃っている。ここは天国にちがいない。ならば彼、ジャンを探そう。
立ち上がると、離れたところに白い鎧の騎士が倒れているのが見えた。
「ジャン!!」
駆け寄る。身体が羽のように軽い。騎士の傍らに膝をつき、再び名前を呼ぶ。と、騎士は呻いてから半身を起こした。
「ジャン!」
「……『ジャン』?」騎士が私を見る。「フランカ……」
その声とバイザーの奥の瞳にはっとする。ジャンではない。この人は隊長だ。よく見れば彼のみ許されたマントもつけていた。
「なんで君が生きて?ここはどこだ」隊長は辺りを見回す。
「……やはり私は死んだのですか」
「……ああ。これから葬儀のはずだったのだが……」
「隊長も亡くなったのでしょうか」
「分からん。そうだ、君を連れて宿を出ようとしたら大きな揺れがきて……。そうか、私も死んだのだな。だがフランカと同じところに行けるはずがない」
ああ、と彼はまたひとりでうなずいて、上衣のうちから何やら取り出した。小さな巾着。
「これを。君の棺に入れるつもりだった」
「何ですか?」
「ジャンの遺髪だ。言い訳はしない。だが受け取ってはくれまいか」
手を差し出すと、隊長は掌のうえに載せてくれた。軽い。
どうして生きているうちにくれなかったのか、とか、自身で一年半も持ち歩いていたのか、とか言いたい言葉は浮かんだけれど、口にしなかった。この人だって、そうする他はなかったのだ。それが分からないほど薄っぺらな二年間ではなかった。
「これで私の仕事は終わりだな」と隊長はキョロキョロした。「どうすればよいのだ?」
その背後で。突如地面がメリメリ音を立てて盛り上がり始めた。
「っ!!」
振り向き立ち上がる隊長は、私を背中に隠して剣を抜く。
土煙が上がる中、姿を現したのは見たこともない山のような大きさで醜悪な姿をした不気味なモノだった。耳をつんざくような咆哮。
『人間め!』頭の中に声が響いた。『我らが魔王様の仇!』
怪物が襲いかかってくる。長い爪の生えた手。それを隊長が剣で振り払う。けれどすぐに別の腕が来る。元の手もろくにケガをしていない。どう見ても分が悪い。
「逃げろ、フランカ!」
『人間、根絶やし!』また頭に響く声。
「彼女は見逃してくれ!非業の死を遂げたばかりだ!愛する男も俺に殺された!頼む!」怪物と戦いながら叫ぶ隊長。「彼女は弱い人間だ!君たちの脅威にはならない!」
『人間は根絶やし!』
怪物の爪が鎧に守られているはずの隊長の腹を貫く。
「やめてーっ!!」
叫んだと同時に、私の中で何かが弾け光の力がほとばしった。
怪物が咆哮する。
『聖なる光っ!!くそっ!!』
怪物は腕を振り、爪に刺さっていた隊長が投げ飛ばされて地面に叩きつけられる。
「隊長!!」
駆け寄るが腹は穴があき、血まみれだ。
怪物は出て来たときとは反対に、ズブズブと地面に沈む。
「隊長!!」
バイザーを上げる。顔は苦痛に歪み、尋常ではない量の汗だ。
「……危険な世界のようだ……一刻も早く、他の人間を、探せ……」
腹を見る。
顔を見る。
腹を見る。
恐る恐る腹に両手をかざす。
聖女の光の力は治癒能力があると聞いている。だけれどやったことはない。治癒よりも国の浄化のほうが重要だからと、習うことはなかった。
「お願い。治って。治って」
ひたすら傷に集中をして力を向ける。
私の足を切り落とした人だけど。ジャンを殺した人だけど。恨みがない訳ではないけれど。
最期に手を握ってくれたのは、この人だった。他にも騎士はいたのに死の床に付き添ってくれたのは、隊長だけだった。
「……フランカ。フランカ!」
腕を掴まれる。
「もういい!治っている!」
いつの間にか、穴のあいた鎧は新品のようになっていた。
隊長が半身を起こす。
「ありがとう、フランカ。礼を言う。だけど次は助けなくていい。力を使ってはダメだ。もう命を削らないでくれ」
隊長がマントの裾で私の顔を拭う。涙でぐしゃぐしゃだった。
「怖かっただろうが、泣くな。前が見えなくなる。とりあえず怪物は退いたようだから人を探そう」
私は怪物が怖かったのだろうか?
分からないけれど素直にうなずいた。
「急ぐぞ」
と立ち上がった隊長は手を差し出した。それを掴んで立ち上がり、おやと首をかしげる。
「隊長。隊長は私が死んで教会に運ぶとき、大きな揺れに遭い亡くなったんですよね」
「そうだ。梁が落ちて来た」
「なんで鎧なんですか?宿では装備してませんでしたよね?」
そう。私の手を握っていたのは生身の手だった。硬い掌とじんわりとした温かさを覚えている。
「聖女を送るのだ。正装が当然だろう」と隊長。
真面目な人なのだ。
「とにかく急ごう。どちらへ行くべきか」
辺りを共に見回す。
と、天から一筋の光が差したかと思うと、そこに美しい女性が現れた。白い衣をまとい、長い金の髪に金の瞳。挙げ句に後光が射している。確実に人間ではない。
「申し訳ありません。タイムラグが生じたようですね。わたくしは人間たちの言う『女神』という存在。あなたがたふたりをここへ逆行させたのは、わたくしです」
「『逆行』とは?」と隊長。
「ここはあなた方からすれば過去です。魔王が倒され国を呪う前の」
女神が話すには、先ほどの魔物が言っていた魔王は前魔王で、その仇をとろうとしたのが私たちが知っている魔王だという。そして女神はこの魔王の呪詛をやめさせたいらしい。そのために何百回と、ありとあらゆる手段を講じてきた。聖女や白騎士を過去に送るのも、ゆうに百は越えるという。だけれど成功したためしがないそうだ。
「どうして私たちが?」
そう尋ねると女神は隊長を見た。
「亡骸すら守ろうとしたあなたなら、魔王の心を変えられるのではいかと期待したからです」
「亡骸を守る?」
「そう」と女神。「彼はあなたがもう生きていないというのに、落ちてくる梁から守ろうとしました。愚かだけれど、そこに勝機を感じます」
隊長を見る。だけれどその顔は見えない。
「あなたも強い人です」と女神は私を見た。「ふたり揃えば大きな力となるでしょう」
「分かりました。やってみます」
「頼みます。ただし」と女神は私たちふたりの顔を順に見た。「あなた方はこの使命のために過去の世界に生き返りました。使命が終われば、それが成功でも失敗でも消えてしまいます」
「そんな!」隊長が前に出る。「あんまりではありませんか」
「この時代の人間ではないからです。だけれど再びあなた方の時代に生まれることはできるのです。使命が成功していれば、聖女が非業の死を遂げる世界ではなくなっています。その世界で彼女もあなたも、幸せに生きることができるでしょう」
「……成功、すれば」隊長が呟く。「分かった。絶対に成功させてみせる!」
「お願いします。星の数ほどの聖女たちが苦しみながら死んでいます。どうにか救ってください」
「では魔王はどこにいるのです?」
女神はうなずくと、ついていらっしゃいと進んだ。よく見ると足が動いていない。宙に浮いているのだ。
その背を追っていくらも行かないうちに、野原はなだらかな下りになった。
はるか下に美しい湖と小ぶりの綺麗な城が見えた。
「あれが魔王城です」
「あれが!?」
隊長と私で思わず口をそろえた。全くそんな雰囲気がない。
「魔王はあなた方の考えるような存在ではなかったのです。魔物ではあっても禍々しい存在ではありません。それを人間が変えてしまったのです」
それではよろしく頼みます。
そう言い残して女神は消えた。
お読み下さり、ありがとうございます。
前後編予定。
もしかしたら前中後編かもしれません。




