君の匂いの誘惑
「洗濯おねが〜い」
「はいよ」
浴室に入った林檎から声がかかり、私はよいしょと立ち上がって脱衣所に向かった。脱衣籠の中の洗濯物を洗濯機に放り込みながら、私は小さく鼻唄を奏でる。
ここ最近は林檎の仕事が忙しくて帰りが遅く、帰りを待ってる間に先に風呂を頂いて、林檎が入ったら洗濯機を回す流れになっていた。
しかし、林檎の話ではやっと今日で仕事がひと段落着いたらしい。
達成感と空腹から全速力で帰ってきたらしく、帰宅した林檎は汗だくで息切れすら起こしていた。私はその姿につい笑ってしまいながらも、労って風呂まで連れて行ってあげたのだ。
仕事が落ち着いたってことは、最近ご無沙汰だった夜の方も、相手してもらえるだろうか……。
そんなことを考えてたら、つい浮かれた気分になってしまう。
淡々と洗濯物を洗濯機に放り込んでいたら、私はとあるものを手にして思わず動きを止めてしまった。
先ほどまで林檎が着ていたブラウス。いつもよりも汗を吸っていて、じっとりとした感触が手に伝わってくる。随分急いで帰ってきたんだな……と冷静な思考が浮かぶ反面、邪な感情が胸の奥からムクムクと湧いてきた。
いやいや、そんな、ダメだろう。
私の頭の中の天使がそう囁く。が、すぐさま横から悪魔がそそのかしてきた。
汗をたっぷり吸収したブラウスからは、いつもよりも濃い林檎の匂いがむわっと漂ってきている。顔を埋めたら、トぶくらいの興奮が待っているはずだ。
逡巡の末、悪魔に背中を押されるようにして、私はブラウスに顔を埋める。
すぅと、鼻から息を吸い込んだ。
脳の奥まで突き抜ける、汗と柔軟剤の芳醇な香り。そして、林檎自身の濃い匂い。この世で、一番大好きな匂い。
その匂いに思考を支配されて無我夢中で嗅いでいると、不意に声が聞こえてきた。
「あ、の〜……」
思わずビクッと肩を振るわせ、恐る恐る振り返る。そこには、すりガラスの扉を少し開けてこちらを覗き込んでいる林檎の姿が。
「えっと、洗顔フォーム新しいやつ、出そうかなって」
林檎の言葉が耳に入るが、動揺から右から左に流れていく。顔が熱く、真っ赤になっているのが自分でも分かった。
口をぱくぱくとさせて狼狽えている私の横をすり抜け、林檎が濡れた体のまま脱衣所の戸棚から新品の洗顔フォームを取り出して浴室へ戻っていく。そのすれ違いざまに、頭だけぐいと引き寄せられてキスをされた。
そして、
「あとで、いっぱい可愛がってあげるからね」
まるで獲物を狙う捕食者かのように目を細めて、舌なめずりをしながら微笑みを浮かべる林檎。
浴室の扉がガラリと閉まると同時に、私は足の力が抜けてその場にへたり込んでしまう。心臓の音がうるさい。ぎゅうとブラウスを抱きしめ、匂いに包まれながら先ほどの林檎の顔を思い出す。
それだけで、興奮で背筋がぞくりと震えてしまう。
私は今日、抱き潰されてしまうかもしれない……。




