君の元カノと私
「あ? "桃ちゃん"じゃん」
突如名前を呼ばれ、私はびくりと肩を震わせる。
駅前の喫煙所前は煙たくて、それが苦手で、私はいつものようにそこを足早に通り過ぎようとしていた。そんな時に、喫煙所から私を呼ぶ声が……。
私が恐る恐る振り返ると、女性が一人、タバコを灰皿に押し付けてからこちらへ向かってくる。すらっと背が高く、派手な金髪をひとつに結んでいるその人には、見覚えがあった。
「……あれ、あってるよな?」
不安そうに再度訊ねてきたその女性は、苺さんの元カノ――三枝柚子さんだ。
苺さんに帰りが遅くなる旨の連絡を入れ、スマホを仕舞う。
「連絡できました」
「お、んじゃ行くか」
そう言うと壁から背を離し、私の半歩前を歩き出す三枝さん。なんでも、私とゆっくり話がしたいらしい。良い人だというのはなんとなく分かっているが、やはり見た目と言葉遣いに、やや萎縮してしまう。
「や、この前は悪かったな。急に押しかけたりして」
肩越しにこちらをちらと見て、申し訳なさそうにする彼女に、私は慌てて否定をした。
「いえとんでもないです。その、三枝さんのおかげで、良いこともありましたから」
三枝さんの来訪をきっかけに、私達はお互いの秘密を打ち明け合い、更に親密になれたのだ。それに、こんな言い方は失礼かもしれないが、苺さんの態度を見るに、三枝さんとヨリを戻したりすることは無いだろうなと、勝手に安心していた。
「柚子でいいよ。アタシも桃ちゃんって呼んでるしな」
「分かりました……柚子さん」
そう呼ぶと、柚子さんは満足そうに頷いた。
◆
柚子さんに連れられてやってきた場所には見覚えがあった。
「あれ、ここって……」
確か、苺さんと以前来たバーのはずだ。ここで互いの思いを伝え、晴れて私達は恋人となれた。そんな、思い出の場所だ。
でもなんで、柚子さんが私をここに……?
私が戸惑っていると、柚子さんは慣れた様子で扉を押し開ける。チリンチリンとドアベルが軽やかな音を奏で、それに気がついたバーテンダーさんがこちらを振り向いた。ショッキングピンクの派手な髪の毛には、やはり見覚えがあった。
そんなこと思っていたら――
ダァン!!!
私はその場で飛び上がってしまう。
突如として鳴り響いたその爆音は、バーテンダーさんが磨いていたグラスをカウンターに叩きつけるように置いたことによるものだった。
般若の面のような形相で睨みつけられ、私は咄嗟に柚子さんの背中に隠れてしまう。おかしい、前来た時と様子が違う!
怯える私を庇いながら、柚子さんは諭すようにバーテンダーさんに話しかける。
「バカ、勘違いすんなって。この子をよく見ろ」
そう言いながら、私を前に突き出した。眉間に皺を寄せたバーテンダーさんに再度睨めつけられる。うぅ……怖い……。
と、不意にバーテンダーさんの表情が憤怒から驚愕へと移り変わった。
「貴女……前来てたお客さん?」
「えっと、はい。私の事覚えてるんですか?」
特に目立つようなことはしていないと思うけれど……いや、店内で告白してたな……。
しかしまた別の理由があるようで、バーテンダーさんと柚子さんは苦笑を浮かべる。
「そりゃ、まぁ」
「一緒に来てた相手が、な」
その言葉に、私の脳裏に苺さんの笑顔が過ぎる。「桃ちゃん」と柚子さんに呼ばれ、顔を上げた。
柚子さんは私とバーテンダーさんの間に入るように立つと、こちらを向いて改まったように口を開いた。
「アタシは三枝柚子。大学生の時の苺の元カノだ」
そして、バーテンダーさんをちらりと横目で見ると、バーテンダーは頷いて私に微笑みを向けた。
「私は宮澤花梨。高校生の時の苺の元カノです」
「……えぇ!?」
私が困惑を隠せずにいると、柚子さんは悪戯っぽく、にやりと笑った。
「つまりここは、新田苺の毒牙にかかった同盟ってことだ」




