君しか知らない私の愛情(後編)
苺さんは優しい。
こうしてわざわざお迎えに来てくれたし、薄着で震えていた私に上着も貸してくれた。
出会った頃から助けて貰ってばかりだ……私はこの先、苺さんにきちんと恩を返せるのだろうか。
そんな事を思いながら信号待ちをしていると、雨音交じりに苺さんの声が聴こえた。
「……桃に、謝りたいことがあるの」
それは雨音にかき消されてしまいそうなくらい、か細い声だった。
初めて聞くそんな声と、こちらを見つめる思いつめたような視線に、私は思わず唾を飲み込む。
苺さんに謝られるようなことなんて、まるで思い当たらなかった。以前感じた不安が、また頭をよぎる。
「えっと……前みたいに、追い出される心配はしなくても、大丈夫ですか……?」
恐る恐る訊ねると、苺さんは苦笑混じりに、大丈夫よ。とだけ言った。
◆
「いらっしゃいませ」
近場にあったバーに入り、店の奥の方のカウンター席に並んで座る。私たち以外に客は居なかった。
カウンターの中のバーテンダーさんは派手なピンク髪で、こちらを見て少し驚いたような表情をしたけれど、すぐに柔らかな笑みに戻った。
「取りあえず、何か頼みましょうか」
そう言って、苺さんはバーテンダーさんのおすすめのカクテルを、私は死ぬほどお酒が弱いので、ノンアルのカクテルを頼んだ。もう、お酒で失敗はしたくない。
頼んだカクテルが渡されると、私と苺さんは小さく乾杯をして、一口だけカクテルを飲んだ。
店内のおしゃれなBGMだけが聴こえる。
私は苺さんが話し出すのを、カクテルを少しずつ飲みながら待った。
数分は経っただろうか。不意に苺さんが口を開いた。
「私は、最低だわ……」
その言葉の意味が、意図が分からなかった。
苺さんが最低?
何を言っているのだろうこの人は。予想外の言葉に、私は間抜けな声を上げ、狼狽えてしまう。
「ちょっと待ってください。私、苺さんのことまったくそんな風に思った事ありませんけど」
「いいえ、私は最低なことをしたの」
そう言って、頑なに自分の言葉を貫こうとする苺さんに、私は首を傾げる。
苺さんはゆっくり深呼吸をすると、思い切ったように言葉を発した。
その言葉に、私は絶句してしまう。
「私はね、鈴木さんが入社した時から、彼女の事が好きだったの」
苺さんが、林檎の事を……?
突然の告白に混乱するが、話を遮るまいと、私は口をぎゅっと紡いだ。
苺さんはカクテルを見つめたまま、淡々と語った。
「仕事はだめだめだけど真面目で、一所懸命で、可愛くて。そんな鈴木さんに好意を持ったの。彼女と仲良くなるために、色々と根回ししたりもしたわ」
「……」
「でもね、貴女と出会ってから分からなくなったのよ」
「何が、ですか?」
私のその問に、苺さんはこちらを向いて、困ったような笑みを浮かべた。
「私が本当に好きな人が、誰なのかよ」
その言葉に、胸の中が熱くなるのが分かった。
私は落ち着きを求めるように、カクテルを口に含んだ。緊張で、味がよく分からなくなった。
「貴女が私の所によく来るようになって、私もそれが心地よくて、貴女を手離したくないって、自分勝手に思ってた」
「苺さん……」
「桃の好きな人が鈴木さんだって知った時、どうしてもこの関係が壊れる気がして、怖かったの……」
……あれ? 苺さん、なにか誤解していない?
「私は、貴女が居なくなるのが嫌で……鈴木さんの家に行かせたくないって、迎えに来てしまったの……桃の好きな人を知ってた上で……本当に、ごめんなさい」
「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてそうなるんですか?」
思わず苺さんの話を止め、私はそう訊ねる。それに対し苺さんは、少し困惑したように、こう言った。
「だって、桃は鈴木さんの事が好きなんじゃ」
……そういう事か。私はどうしようかと頭をかき、覚悟を決めた。
「苺さん。私はあくまで林檎のことを"恩人"か"初恋の人"としか言ってませんよね? 今好きな人は、別に居ます」
「え……?」
戸惑いの表情を見せる苺さん。私はそんな苺さんの手を握り、真っ直ぐに見つめた。
「苺さん、貴女が私に手を差し伸べてくれたあの時から、貴女の事が好きでした。こんな私ですが、恋人になって頂けませんか」
私の告白に、苺さんは驚いたまま固まっている。
それでも私の口は止まらない。ずっと、ずっと伝えたかったのだ。
「苺さんに出会えて、私は本当に救われました。困ってる私を助けてくれて、貴女の傍に居たくて何度も押しかける私を受け入れてくれて、同棲に誘ってくれて」
「……」
苺さんはもう、"同棲"ではなく"同居"だ、と訂正しなかった。
「……なによ、それ」
苺さんが小さく呟く。
「一人で悩んでた私が馬鹿みたいじゃない」
「苺さんが勝手に誤解してたんですよ」
私がそう言うと、苺さんはその通りね。と笑った。
「苺さんは、私の事、好きですか?」
私は苺さんの手を握ったまま訊ねる。苺さんは一呼吸置いてから、私の目を真っ直ぐ見つめてきた。
そして、
「ええ、大好きよ」
目に涙を浮かべながら微笑んで、そう言ってくれた。
◆
バーの扉が開くと、チリンと鈴の音が店内に響いた。
「いらっしゃいませ――って、なんだ」
カウンターの中のバーテンダーは来店した人物を確認すると、口調を崩して微笑んだ。
来店した女性は店内に人がいないことを確認すると、適当な席に腰を下ろして、バーテンダーに話しかける。
「なぁ、さっきこの店から出てきたのって、苺だよな?」
「そうね。高校のときの面影もあったし、連れの女の子も"苺さん"て呼んでたから」
ピンク色に染まったの髪先を弄りながら、バーテンダーは少し不貞腐れたように呟く。
「それにしても、私にまったく気が付かないなんて……元カノとしてどうなのよ」
その愚痴に、女性―三枝柚子は苦笑を浮かべた。
「そりゃ、高校の時と比べてお前はだいぶ変わったんだから、仕方ねぇだろ」
「ま、それもそうね」
そしてバーテンダーは、あぁ。と思い出したように呟くと、カウンターから身を乗り出して柚子の額に口付けをした。
「おかえり、柚子」
「おう。ただいま、花梨」




