君の知らない私の覚悟
「じゃ、行ってきまーす!」
「あぁ、気を付けてな」
今日は林檎が学生時代の親友―春野桃と会う日だ。
笑顔で家を出る林檎を見送り、私はソファに腰を下ろして溜息を吐いた。窓から差し込む日差しの暖かさに、心を落ち着かされる。
正直、春野桃と会せることに不安がないと言えば嘘になる。
だって私は、人間ではないから。人間にはなれないから。
科学的な説明ができない現象で、私は狼女になった。そのおかげで林檎を支え、寄り添い、愛することができるようになった。
とはいえ私の耳は人間とは違って狼のそれだし、尻尾だって生えている。人間には、どうしたってなれない。
その点において、私は春野桃に―あまつさえ、新田苺にも劣っている。
人間である林檎は、やはり人間と居るべきじゃないのだろうか――
なんて考えるのは、もう辞めにした。
種族がなんだ。
常識がなんだ。
林檎が小学生の頃から今に至るまで常に寄り添い、林檎の心も身体も隅々まで把握し、林檎をこの世で一番想っているのは、この私だ。
不安は消えない。だけど、その不安に負けない。
林檎は何度も言ってくれた。一番愛しているのは私だと。その言葉を、信じるのだ。
親友がなんだ。
上司がなんだ。
私は林檎に一番愛され、林檎を一番愛している。それは揺るがない。
不安がるのはもうお終いだ。
林檎の想いを信用して、私が林檎に注いだ愛は報われると信じる。林檎は、私の家族で、友達で、同居人で、ペットで、恋人だ。
私は胸を張って一生林檎の傍に居続ける。
それが、私の決意だ。
◆
いつものリビングが、ひどく静かに感じられた。
私はコーヒーを淹れると椅子に座り、壁にかかった時計を眺めた。時刻はもう午後六時を過ぎている。
(確か桃が、帰りは遅くなると言っていたわね……)
そう、今我が家には桃が居ない。それがこの静寂の原因だった。
今日は桃が兼ねてから会いたいと思っていた、恩人であり初恋の人―鈴木林檎さんと会う日だ。
先日、私が同性愛者なのがバレ、桃が女性も恋愛対象に入ることを知り、桃の想い人が鈴木さんであるとことが発覚した。
その時に鈴木さんが私の部下であることも話したがために、今日一緒に行かないかと誘われた。
勿論行くわけがなく、断ったのだが……。
私はマグカップを置き、自分を問い正した。
私はどうしたいのだ。桃を手放したくない。鈴木さんも諦めたくない。
二兎追うものは一兎も得ず……一兎なら確実に手に入るという訳ではないけれど。
鈴木さんへの想いは変わらない。けれど、桃への想いは自分が気づかないうちに、とても大きくなってしまっていた。
私の心を満たしてくれるもう一人の笑顔が、脳裏から離れない。
(私はいつから、こんなに桃のことを――)
いや、きっと放っておけないだけだ。ひょんなことから知り合って、なんだか気になって構ってしまって、そして傍に置いておきたくて――。
そこまで考えて、私はふふっと笑ってしまった。
なんだ、私はずっと前からとっくに、桃を手放したくないと思っていたんじゃないか。
不意に、スマホの画面が点く。そしてメッセージが表示された。
『すみません突然の雨で帰りが遅くなりそうです』
『林檎の家が近いので、もしかしたら泊めてもらうことになるかもしれません』
そのメッセージを見て、返信を打ち、席を立つ。
上着を羽織り、傘を二本持って家を出た。
桃からのメッセージを見て、私はやっと分かった。
鈴木さんの家に泊まるのを、引き留めたい。
桃を、鈴木さんに取られたくない。
もう恐れない。私は覚悟を決め、玄関扉を開けて飛び出した。
私は、桃のことが――
◆
『林檎の家が近いので、もしかしたら泊めてもらうことになるかもしれません』
『どこ?』
『え?』
『場所送って。迎えに行くから、待ってなさい』




