君に初恋をした瞬間
「え、桃ってもしかして、小説家になりたいの!?」
「ちょ、声大きい!」
私は慌てて目の前の友人を宥め、周りに聞かれていないか周囲を見回して確認する。どうやら誰もいないようだ。人通りの少ない廊下で助かった。
胸の中のリングノートをぎゅっと抱きしめ、顔を驚ろかせたままの友人から視線を逸らして俯く。
やらかした。ネタ帳なんて移動教室にまで持って行くんじゃなかった。まさか廊下に落として、しかもその中身まで見られるだなんて。自分で小説書いてるだなんて、きっと彼女にも引かれただろうな。
◆
昔から、頭の中で物語を作ることが好きだった。外で遊んだり流行りのものに乗らず、空想ばかりしていたから、周りの目には気味悪く映ったのだろう。小学生の頃、自分の考えた物語を書き留めていたノートをクラスの主格的女子に見られ、馬鹿にされた。しかも彼女はそれを誰彼構わず言いふらし、気が付けば周りからは嘲笑われる毎日。
「妄想してにやにやしてんじゃないわよ、この根暗!」
ノートを取り上げられ、中身を大声で読み上げられ、挙句には破り捨てられた。恐らく、別に彼女らは本当に私が気に食わなかったわけではない。ただ、自分らがカーストの上位に居座るため、虐げる相手が欲しかったのだ。それがたまたま、根暗で気の弱い私に向いてしまったのだ。反抗するすべのない私は、卒業まで陰湿ないじめを受け続けた。
私はトラウマから逃げるように、中学は少し離れたところへ進学した。小学生時代の二の舞にならないよう、努めて明るく振る舞った。根暗だと言われないよう前髪を切り、自分から周りに話しかけるようにした。
その甲斐あって、私は無事普通な女の子だと周りに認識された。
しかし、創作意欲は収まるどころかどんどんと溢れ出していた。将来は小説家になりたいと願っていたが、母親には「小説だけで生活できる人なんてほんの一部なのよ」と諭され、父親には「そんなことより宿題はやったのか」と取り合ってもくれない。
それでも次々沸いてくる物語を捨てることはできず、私はこっそりとリングノートにその物語を書き記していた。ネットにも小説を投稿し始めていたから、その案や次の話のネタなどもそこに書いてあった。
だから、誰にも見られてはいけなかったのだ。良いネタが思い浮かびそうだからと言って、移動教室に持っていくだなんて言語道断だったのだ。小説家になりたいと知られれば、白い目で見られるのだ。親から、友達から、他人から。
◆
最悪だ。中学ではいじめられまいと努力してきたのに。このまま逃げだしたら、彼女はネタ帳のことを誰かに言うかもしれない。それだけは、止めたい。
「あの、このノートのことは――」
「私、桃のこと応援するからね!」
予期せぬその言葉に、俯いていた顔を上げる。私の前に立つ彼女は目を輝かせ、眩しい笑顔を浮かべていた。
「小説書けるなんてすごいよ、私なんてなんの才能もないや」
「……でも、小説家なんて無理だって、皆言うし」
卑屈になり目を伏せた私に、笑顔のままの彼女は、私の手を取って力強く言った。
「無理なんかじゃない。桃がなりたいって願って、努力し続ければ絶対叶うよ。だから、私は応援する」
その言葉に、どれだけ救われただろうか。これまでの人生で私の夢を肯定してくれたのは、夢は叶うと、応援すると、私を鼓舞してくれたのは、彼女だけだった。
「……ありがとう、林檎」
「ちょ、ちょっと、なんで泣いてるの!?」
この日、私は彼女―鈴木林檎に、恋をした。




