55.社交界の浮名流し
いつもお楽しみ頂いていて、ありがとうございます。
サルビエロ。
どこか聞き覚えのある言葉に少しだけ考え込んで――はっとした。
「あ、文具店の……!」
そうだ、確かあのマナペンを購入した、大きな文具店。
あそこを経営しているのが、サルビエロ商会という名前だったはずだ。
「一度、イグニス様のお名前で取引をしている以上、ご挨拶をお断りすることはできそうにありませんわね……。リリー、頑張れますか?」
シャーロットがこちらを気遣ってくれているのが分かる。
あのお店では、沢山後悔したから……もう二度と、あの時のような思いをしないように。
「……ありがとう、シャーロット。大丈夫、いけるよ」
ぐっと膝の上に置いた手を握りしめて、そう応える。
「イグニス様がまだ戻ってきてないんだから、秘書の私がしっかりしないと」
「……ええ、ええ。そうですわね。それでこそ立派な秘書様、ですわ」
シャーロットが一瞬驚いた顔をして、それからぎゅっと両手を握り嬉しそうに頷いた。
「大丈夫ですわ。もちろん私も一緒に参りますから」
「うん、ありがとう。すごく心強いよ」
「俺も行く。イグニスも、すぐ戻ってくるだろ」
「オリバーもありがとう」
こんなに頼もしい友人ふたりがいてくれるなら、何回だって頑張れそうな気がしてくる。
「では、準備をしたら参りますと、男爵様へお伝え頂けますか?」
「はい、畏まりました!」
シャーロットの言葉に、ほっとした様子で騎士がホールへと戻っていく。
それを見送った私たちは、長椅子から立ち上がり、ドレスの皺を伸ばしたりアクセサリーのずれを直したり。
身支度を調え、深呼吸してホールへの扉へ手を掛けた。
重い扉が開いて、溢れてくる音楽と光、人の波。
……うん、大丈夫だ。
2回目だからか、心の準備をしていたお陰か。
先ほどより緊張しすぎることもなく、ホールを見渡すことができた。
扉を出た先で、先ほどの騎士がこちらに礼を取る。
「サルビエロ名誉男爵殿は、あちらでお待ちです」
「ありがとうございます」
騎士が目線で示した方には、壁沿いに設えられた長椅子とローテーブルがあり、飾りカーテンでほんの僅かホールと区切られている空間があった。
ここからでも、誰かがそこに座っている足下が見えている。
「……」
一度深呼吸をして、ゆっくりそちらへと歩いてゆく。
さほど距離もないその場所まで歩いて、カーテンの外側から小さく声を掛けた。
「失礼致します。……サルビエロ名誉男爵様がこちらでお待ちと窺ったのですが」
「ええ。どうぞお入りください」
聞こえてきたのは壮年の男性の声。
一度シャーロットと頷き合ってから、オリバーが少し持ち上げてくれたカーテンをくぐった。
「失礼致します」
カーテンの内側には、2人の男性がゆったり長椅子に腰掛けていた。
ひとりは、趣味のよい貴族服に着られているような印象を受ける、髭を蓄えた小柄な男性。
そしてもうひとりは……男爵の息子だろうか。
長い手足を持て余すように組んで、上等な貴族服を僅かに着崩した若い男性が、品定めでもするかのようにこちらを眺めていた。
2人に向けて軽く会釈をする。
「初めまして、サルビエロ男爵様。お待たせしてしまい申し訳御座いません。大賢者イグニス様の秘書を務めている、リリーと申します」
「これはこれはご丁寧に。お初にお目に掛かります秘書様。それから……ロイアー当主代理殿もいらしてくださったのですね。ご機嫌麗しゅう。私、サルビエロ商会の会長を務めるフィガロ・サルビエロと申します。どうぞお見知りおきを」
フィガロ・サルビエロはいそいそと立ち上がると、大袈裟な程の礼をして見せた。
「ご機嫌よう、男爵殿。失礼ながら、私も同席させて頂いてよろしいかしら?」
シャーロットが綺麗に返礼すると、男は笑みを深めて「勿論ですとも!」と何度も頷いた。
そのまま彼の視線が何かを探すように動いたのを見て、私は軽く頭を下げる。
「大賢者様へご挨拶と窺いましたが、申し訳御座いません。イグニス様は所用にて陛下とお話をしておりまして、失礼ながら私と副館長のロイアー様にて参りました」
「なんと、左様で御座いましたか。いや、大賢者殿の不在中に押しかけてしまい、こちらこそ失礼致しました。ああどうぞ、お掛けくださいませ」
「……それでは、少しだけ」
シャーロットに教えられた通りにそっと会釈を返して、サルビエロ父子とできるだけ距離を取った場所に静かに腰を下ろした。
傍に控えた王宮の侍従がすかさず飲み物を置いてくれるが、長居をするつもりがないため手はつけない。
同じように元の場所に座ったフィガロ・サルビエロは、嬉しそうに自分のグラスを傾けながらにこにこしている。
「いやあ、お二方とも、先日我が商会へ訪れて頂いたようで、本当に驚きましたよ。しかも当商会自慢の最高級マナペンを気に入って頂いて、大賢者様のためにご購入頂いたとか。あのような高貴なお方にご使用頂いているなんて、誠に光栄で御座います」
「こちらこそ、あの時はお世話になりました」
「あの日は残念ながら、私も息子も商談に出ておりましてな。商会内にいる時でしたら直接対応しましたのに、申し訳御座いませんでした」
「あの日はお忍びでしたので、どうぞお気になさらず」
「おお、秘書殿はお優しくていらっしゃる。またのご利用の際には、是非事前にご一報くださいませ。何でしたら、リブラリカのほうへ出向いて自慢の品々を披露させて頂きたい。きっと、大賢者殿に気に入っていただけるような品をお持ち致しますので」
「お心遣い感謝致します。イグニス様にもお伝えします」
「ありがとうございます、是非お願い致します。……ああそうだ、この機会にご紹介させてくださいませんかな?今や我がサルビエロ商会の経営責任者のひとりに名を連ねている、倅のシェーマスで御座います」
……きた。
控え室を出る直前、シャーロットから忠告された通りの話の展開に、警戒して少し居住まいを正した。
サルビエロの次期経営者と言われている、その息子。
こんな社交の場なら、その噂から十中八九紹介を受けることになるだろうから、相手にしてはいけないと、シャーロットが怖い顔で注意してくれたのだ。
父親からの言葉を受けて、それまでずっと同じ姿勢で寛いでいた青年が、ゆっくりと組んだ足を解いた。
座っていても分かるほどの長身、綺麗な白い肌に、父譲りの青い瞳は切れ長。
切りそろえられた、グレーがかったプラチナブロンドをさらりと揺らして、整った口元が薄らと笑みの形を浮かべた。
「ご無沙汰しておりますロイアー嬢。そして……初めまして、大賢者の秘書様。ご紹介頂きました、シェーマス・サルビエロと申します」
形の良い唇から、低く甘い声がさらりと零れた。
「……初めまして。リリーと申します」
形だけ会釈をして、短く挨拶を返す。
――シェーマス・サルビエロ。
社交界で有名な浮名流しで、美青年。泣かされた女性は数知れず。
シャーロットが苦々しい表情でそう言っていた、まさにその通りにしか見えないような青年だ。
「皆がね、噂していたんだよ。あの大賢者の秘書だなんて、絶対に老婆だろうって」
「おい、シェーマス――」
「いいでしょう父上?噂なんて、すぐに本人の耳に入るものだ。……だけどね、リブラリカで秘書らしき女性を見たという人たちは皆、口を揃えて若い女性だった、と言うんだよ」
「……ええと」
「若い女性が大賢者のような老人の秘書だなんて、信じられないと私も思っていたんですけれどね……こうして実際に会ってみたら、こんなに若くて初々しいご令嬢だったなんて。先ほども、若い人たちに囲まれていたようじゃないか」
「見ていらしたんですね。お恥ずかしい限りです」
「いいや。こんなに若い女性が秘書だったなんて、みんな驚きなんだろう。……どうやら大賢者殿の守護魔術を受けていらっしゃるみたいで、さすがだね」
「……」
一方的に流れるように続けられる会話に、どう返事をしたらいいのかわからない。
男爵が落ち着かない様子で見守る中、シェーマス・サルビエロは愉快そうな表情を崩す事なく、品の良いにやり顔をこちらに向けている。
「どうだろう秘書様?私はあんな無礼者たちのような強引な真似はしないから、挨拶だけでもさせては頂けないだろうか?」
すらりと長い指が開いて、彼の手のひらが差し出された。
これは、淑女の手の甲に挨拶のキスをしたい、というお誘いの動作のはず。
差し出された手に、自分の意思で手を乗せれば触れるのを許可したことになる……というものだったはずだ。
これについても、シャーロットから事前に可能性の話をされていた。
もし応じてしまうと、焔さんの守護魔術がシェーマス・サルビエロに対して発動しなくなってしまうというリスクがある。
しかし、先日の取引があり、相手はサルビエロ商会というそれなりの財力や権力を持つ存在である以上、丁寧な誘いを無下にするのは、こちらの印象があまり良くない。
そっとシャーロットを窺い見れば、微かに眉根を寄せはしたものの、静かに目を閉じた。
この状況では受けるしかない、ということらしい。
仕方なく、彼の手に恐る恐る自分の手を乗せた。
ひんやりした彼の指先を手袋越しに感じて、反射的に手を引っ込めてしまいそうになる。
それをやんわり阻むように掴まれて、シェーマス・サルビエロはテーブル越しにかがみ込むと静かに、私の手の甲を覆う手袋へ唇を押し当てた。
「……っ」
ぴくり、と肩が揺れる。
先ほどの様な守護魔術が発動することはなく、すぐに手を開放されるとキスされた方の手を胸元に握りこんだ。
普通なら、手の甲へのキスはフリで済ますのがマナーなのに。
――この人、わかっててやったんだ。
焔さんにされたときには心臓が跳ねたそれも、今回はなんだかぞっとするような気分だ。
シェーマス・サルビエロはまた元の場所に足を組んで座りながら、青い瞳をこちらに向けて――満足そうに細めた。
その視線に、本能が逃げ出したいと叫ぶ。
この人は――嫌だ。
「……あのっ」
そう感じた感覚のまま、もう戻ります、と言いかけた時。
コツコツコツ、と壁を叩く音に、その場にいた全員が入り口へと一斉に振り向いた。
「――お話中申し訳ありません。大賢者様がお戻りになりますので、そろそろ」
そこでは、入り口で待機していたはずのオリバーが、にっこり綺麗な笑顔を貼り付けてこちらを覗き込んでいた。
「あら大変、すぐに行かなくてはなりませんね。男爵様、それでは私たちはこれで失礼いたしますわ」
すぐさま、シャーロットがそう言って私の腕を取り立ち上がらせる。
「っはい、では、失礼致します」
――2人とも、ありがとう!
内心でまたも友人たちに感謝しつつ、慌てて呼び止めようとするサルビエロ男爵の声を振り切って、私たちはホールへと逃げ出した。




