52.舞踏会へようこそ
いつもお読み頂いていて、ありがとうございます。
いよいよ開幕です。
「こちらのお部屋を控え室としてご使用くださいませ」
従者の人はそう言って恭しく礼をすると、部屋を辞していった。
玄関から案内されたのは、そこそこの広さの部屋。
テーブルに、長椅子。床に敷かれた絨毯まで高級なものばかりで揃えられたその部屋は、入り口に騎士が立っていた。
会場ホールが近いのだろうか、人々のざわめきと優雅な音楽が小さく聞こえてきている。
「大賢者様用の控え室、ということですのね」
シャーロットが感心したように頷いている。
「控え室?」
「ええ、大賢者様ともなれば、国王陛下と並ぶ地位ですから。疲れたときにすぐ休めるよう、ホールに隣接した小部屋を用意されましたのね」
「へぇ……」
「リリーも、疲れた時にはここへ戻ってくるといいですわ。ほら、そこのベルを鳴らせば、お茶なども用意して頂けるはずですから」
「う、うん……」
疲れた時に避難できる部屋があるのは有り難い……けれど、たぶん使わないだろうな。
私には次元の違うことばかりで、恐れ多すぎる。
「僕はずっとここにいても良いんだけどね」
「俺もー」
焔さんとオリバーがそんなことを言いながら座ろうとするけれど、シャーロットがぴしゃりとそれを制止した。
「だめですわ。すぐ戻ってくるとしても、一度は陛下にご挨拶しなければ。ここまで来たのですから、ホールに顔見せ程度は行わないと」
「……だよねぇ」
「イグニス様。リリーがこんなにも綺麗に着飾ったのに、見て貰わなければ意味がないではありませんか」
「む。確かにそれは一理ある」
途端に、焔さんはぴんと背筋を伸ばすとこちらへ腕を差し出してきた。
「リリー、行こう。あ、移動で疲れてなければ、だけど」
うずうずとこちらを窺う姿が可愛く見えて、少しだけ笑みがこぼれる。
「大丈夫です。……緊張はしてますけど」
差し出された腕に、そっと手を乗せる。
私のことは焔さんが、シャーロットのことは、大賢者の従者として参加するオリバーがエスコートする予定になっていた。
2人の準備はどうだろうか。
見れば、はにかむオリバーの腕に、シャーロットがおずおずと手を伸ばしているところだった。
「……きょ、今日だけですから!貴方が大賢者様の従者だから、仕方なくなのですからね!」
「はいはい、わかってるわかってる」
……オリバーが嬉しそうで、私もちょっとだけ嬉しくなる。
貴族のしがらみとか色々あるとしても、オリバーにとっては、こんな状況だからこそ叶う時間のはずだ。
ふと目が合ったオリバーは、嬉しそうに頷いてくれた。
よかったね、と言葉に出さず頷き返す。
「気は進まないけど……よし、行こうか」
「はい」
焔さんについて、入り口とは反対にある、大きなカーテンの掛けられた扉へと向かう。
ガチャリと重い音を立てて開いた扉。
その隙間から、先ほどまでくぐもって聞こえてきていた音楽とざわめきが溢れだしてきた。
「……!」
「舞踏会へようこそ、リリー」
扉を抜けた先の光景に絶句していると、焔さんの優しい声が掛かった。
何度も何度も、物語で――本で読んでいた光景が、目の前に広がっていた。
磨き上げられた寄せ木細工の床に、貴婦人や令嬢たちの色とりどりのドレスの華が咲き誇る。
ホールの壁際にはテーブルと、立食形式のパーティー料理が沢山並べられていて、同じように壁際に設置された長椅子では、貴族たちが優雅に談笑していた。
吹き抜けになっているホールには、魔術によるものなのか、きらきらと輝く美しいリボンや布飾りがふわふわと浮かんでいて、いくつもの豪奢なシャンデリアからは絶え間なくマナの粒子が降り注いでいる。
物語の中に入り込んでしまったかのような、そんな世界が広がっていた。
「綺麗……」
思わず呟いてしまってから、はっと我に返って気を引き締めた。
だめだめ、集中しなくちゃ。
私は、大賢者イグニスの秘書としてここへ来たんだ。
背筋を伸ばして、胸を張って。
視線は少しだけ下向けに。
ゆっくりと会場を歩き出した焔さんの歩調に合わせて、あまりキョロキョロしないように注意しながら、周囲を観察しつつ歩いて行く。
私たちが出てきた扉には、ホール側にも騎士が控えているようだった。
そこを離れて、人混みの間をゆっくりと歩きながら玉座へと近づいていく。
……ちりちりと感じる、周囲からの視線が肌に刺さるようだ。
さわさわとした小さな波紋のようなざわめき。
通りすがりに微かに聞こえたのは、「あれが……」とか、「もしや」といった言葉たち。
煌めくダンスホールで、こんなに豪奢なマントを羽織っているのは焔さんしかいないわけで。
早くもあれが大賢者ではないのかと、貴族たちの話題になっているようだ。
しかしまだ、直接話しかけてくる人はいない。
社交界の決まりとして、まず始めに主催、もしくはその場で一番位の高い人物へ挨拶をすることが絶対とされている。
控え室から玉座まではあまり遠くはなかったのだけれど、やはり人の視線を感じて身体が強ばってしまう。
……大丈夫、大丈夫。
足が止まりそうになる度に、心の中でそう呟く。
隣に、焔さんがいてくれるから大丈夫。
「……視線が気になる?」
そんな中、隣からこそりと焔さんの囁きが聞こえた。
「気になりますね……すみません、気にしないようにはしてるんですが」
「仕方ないね。みんな興味津々って感じだもの」
お互いに前を向いたままで、ひそひそと言葉を交わす。
丁度通りかかった令嬢たちの輪から、鋭い視線がいくつも飛んできた。
……フードを被っているとはいえ、焔さん、長身だし細身だし……かっこいいからな。
隣に立つのが私では、やっぱり申し訳ないような気持ちは消えないし。
「――まぁ、あれがもしかして大賢者様なのかしら」
「随分なお年の方だと聞いていましたけれど……あれは……」
こちらに聞こえるような声量で、そんなことを話す貴婦人たちもいる。
「……やれやれ。いつの時代も、舞踏会というものはあまり変わらないね」
先ほどの会話が聞こえたのか、焔さんが呆れたようなため息を吐く。
「昔も、こんな感じだったんですか?」
「うーん……まぁ、これとは大差ないように思うけれどね」
「そう、ですか」
なんとなく言葉を濁されたような気がするのは、気のせいだろうか。
しかし、そんなこそこそとした会話も、もうしてはいられないようだ。
気がつけば、もう玉座は目の前に迫っている。
ホールの床より数段上に設置された場所に目を向ければ、豪奢なカーテンに飾られたそこに、ひと目でそれとわかる男性が煌びやかな椅子に腰掛けていた。
――あれが、このオルフィードの国王。
豊かな白い髭を蓄えた初老の男性が、どっしりと玉座に構えている。
一つ前の貴族からの挨拶を受ける姿は、真摯な眼差しときっちりした姿勢から威厳を感じさせた。
よく見れば、椅子に座っていても大柄に感じる王の隣に、いつも以上にきらきらしい衣装を纏ったライオット王子が立っている。
貴族が恭しく話しかける言葉に、王も王子も柔らかな表情で受け答えしているようだった。
やがてその貴族が去ったタイミングを見て、焔さんが静かに玉座へと足を進めた。
玉座の近くまで来たところで、焔さんの腕から手を離し、王の真正面に立つ焔さんから一歩下がったところで、深く深く礼を取った。
ふわりふわりと、私の動きに合わせて、ドレスの薄い生地が花びらのように広がる。
ヒールの高い足下にちょっとふらつきそうになったけれど、ここは気合いで堪えるところだ。
私の更に半歩後ろで、シャーロットとオリバーも同じように深く礼を取ったのが気配で伝わってくる。
「……もしや、貴殿は」
私の視界いっぱいには、床が映っている。
頭上から聞こえた王様らしい人の声は、驚きに掠れて聞こえた。
「やあ。直接会うのは初めてだね、ザフィアの子孫。今日はお招きどうもありがとう」
対して、いつも通りの焔さんの声が聞こえてくる。
一国の主を前にしても、この対応。
誰に対しても同じように軽い口調の焔さんに、ほんの少しだけ緊張が緩む。
視界の外で、重い衣擦れの音が響いた。
「ようこそ、――本当に、ようこそ城へ来てくださった。建国の英雄、オルフィードの叡知。偉大なる大賢者イグニス殿」
感極まったような王様の声は、決して大きくはなかったのだけれど。
その声に、ホールのざわめきはしんと引いていき、優雅なワルツだけが変わらず流れていた。




