42.そう、それだけ
いつもブクマ、評価頂いていてありがとうございます。
梨里、今回も頑張っています!
「おはようございます。朝食ですよー」
もう日課のようになった言葉を掛けながら、今週も焔さんの部屋の扉を開けた。
あ、珍しく起きてる。
ソファで読書をしていたらしい焔さんは、顔を上げて柔らかに微笑んでくれた。
「ああ梨里さん、おはよう」
「読書ですか?」
「うん、でも大丈夫。ご飯にしよう」
「はい」
軽くテーブルを片付けて、バスケットの中身を並べていくのも、私の役目。
今日の朝食は温かなスープにホットサンドという、定番ながらもお気に入りのメニューだった。
久々のモニカの料理に幸せ気分になりながら、そういえば、とホットサンドを頬張る焔さんへと視線を向けた。
「あ、焔さん」
「ん?」
「あの、舞踏会当日って6日後と7日後、どっちでしたっけ?」
「6日後だよ。梨里さんの世界だと土曜日かな。……ん、もしかして何か予定ある?」
「いえ、舞踏会は大丈夫なんですけど。……古い友人と会う約束をしていて、土日のどちらにしようかと」
「……お友達?」
ぴく、と焔さんが一瞬肩を揺らす。
ゆっくりと目が合って、焔さんがどうして反応したのかよく分からないまま、はい、と頷いた。
「大学時代の友人なんです。彼女と会うの本当に久しぶりで……土曜が舞踏会なら、会うのは日曜にするから大丈夫です」
「あー……彼女って……女の子か。そっか、うん」
「……焔さん?」
1人ほっと息を吐いている焔さんが何を考えているのかはよくわからなかったけど、その後はいつも通りの朝食時間が流れて、私はシャーロットとのマナー講座へと向かった。
面談室の扉を開けると、待ってましたと言わんばかりにグレアとシャーロットが同時にこちらを振り向いた。
「おっ……はようございま……」
「リリー!お待ちしてましたわ!さあ早くこちらへ!」
美人ふたりの圧力に、びくっと飛び上がる私の腕をシャーロットの手がむんずと掴んで、そのまま部屋の隅に置かれた衝立へと連れ込まれる。
普段面談室に衝立なんて置いていないから何事かと目を白黒させていると、グレアとシャーロット、ふたりがかりであっという間に制服を脱がされ、コルセットを締められて。
「よろしいですわ」
「えっと……」
両脇の2人に開放されたときには、ドレスを着せられていた。
ぱっと見、図書館や街でたまに見かける、貴族の若い女の子たちが来ているような、普段使いのデイドレスのようだけど……。
「私が少し前に来ていたサイズでしたけれど……問題ありませんでしたわね。よかったですわ」
「ええ。リリーは小柄ですから心配してましたが、身長以外はやはり、シャーロットと変わりませんわね」
それぞれ満足そうに頷いているのはいいのだけど、本当に何故いきなりドレスなのか。 どうやらシャーロットのお下がりのようだし、ものすごく良い生地で出来ているのがわかる。
……それにやっぱり、ほんのちょっとだけ……、ドレスを着ているという事実が、嬉しいというか心がときめくというか。
こんな素敵なドレスを着るような機会は、元の世界の日常では滅多にない。あるとすれば、成人式とか、自分の結婚式くらいだろうし。
女の子としては、どんな理由であれドレスを着られるなんて、心が浮き立つというか……。
って、そうじゃなくて。
「あの、2人とも?急になんでドレスなんて……」
ドレスに浮かれる心で流されそうになってしまったけど、どうしての部分を放っておく訳にはいかない。
はっと我に返って尋ねれば、シャーロットがずい、と左手を広げてこちらに突きつけてきた。
「あと5日、ですの」
「……え?」
「舞踏会本番まで、この授業はあと5日となりましたのよ、リリー」
「う、うん……?」
「そのお顔。わかってませんわね……まぁ仕方在ありません。よく聞いてくださいね、リリー。これまで貴女は、とても努力なさって立派な淑女になるべくお勉強してきましたわね?それは、私もグレアも、一番近くで見てきたつもりですわ」
私の両肩をがっしり掴んだシャーロットの言葉に、戸惑いつつもかくかくと首を縦に振りつつ聞いていると、隣に立つグレアが腕を組んだまましみじみと頷いていた。
「貴女は本当に、この短期間で良く学んでくださいました。……舞踏会は今週末。そこへ淑女として赴くために覚えなくてはならない、最後のひとつ……それをこの5日間で、みっっっちりと叩き込んで差し上げなくてはなりませんの」
「最後の、ひとつ……」
「ええ。それを覚えなくては、舞踏会へ出ることなど出来ません。……そう、それはワルツです!」
「えっ」
意外な単語が出たことに、思わず声が漏れた。
ワルツって、確か……先週までにもちょっとだけ、基礎の部分は学んでいたはずだ。
……そう、小学校とかでやった、フォークダンスなんかではない、社交界のワルツ。
筋肉痛になりながら、きちんとした姿勢と一緒に軽く習ったアレを、今度はみっちりって……。
一瞬で遠のきかけた思考を、必死でつなぎ止める。
「え……ちょ、ちょっとシャーロット。確かに舞踏会に出るわけだけどさ、その、別に本当に踊る必要はないんじゃ……。基礎はほら、ちゃんと教えて貰ったんだし」
「確かに、リリーの仰ることもわかります。社交界は広いですし、出席だけしてダンスをなさらない方々もいらっしゃるのは事実ですわ」
「でしょう?だったら無理にその、覚えなくても……」
「いけません。甘いですわリリー」
私の力ない望みをかけた主張は、きっぱりとシャーロットに両断されてしまった。
「いけませんの。淑女たるもの、踊らないとしても、ワルツくらいは嗜んでおくのが常識というものですわ。勿論、基礎はお教えしましたけれど、実践もこなせるようにならなくては」
「で、でも……誰かと踊るとか、ないと思うし……。焔さんだって、踊らないでしょう?」
「あら、どうして踊らないと言い切れますの? あのイグニス様ですもの、当日着飾った貴女を見て誘ってくださるかもしれないではありませんか」
「……いやいやいや、それはな……」
「だめです。これが最後なのですから、ほら!基礎の姿勢、ステップの復習からいきますわよ」
「え、ちょっとま……ぐ、グレア!押さないで!わ……」
もうこうなってしまった彼女たちを止められないことくらい、この1ヶ月くらいの付き合いでわかっているので、大人しく反論を飲み込んでステップの姿勢をとった。
そもそも、多少着飾ったとはいえ、美人でもない私程度の凡人が、焔さんからダンスに誘われるなんてあるはずないし。
……人前で踊るなんてこと、絶対に出来る気がしない。恥ずかしくて緊張して、動けなくなってしまう自信がある。
復習としてひとり、ワルツのステップを踏みながら、ふと――本当に一瞬だけ、相手がいるはずの場所に焔さんを想像してしまって、思い切りドレスの裾を踏んでつんのめった。
運良く転ばずに済んだけれど、びっくりした拍子に少しだけ動悸がした。
……シャーロットがあんなことを言うから、つい焔さんのことを考えてしまった。
焔さんと自分がワルツを踊る、なんて――そんなこと、あるはずないんだから。
「リリー大丈夫?集中してくださいませね」
「は、はい……!」
ふるりと一度頭を振って、ほんわりした大賢者様を思考から追い出す。
大丈夫大丈夫。今はただ、ステップに集中して――。
履き慣れないヒールの靴で、背筋を伸ばしてまた一歩踏み出す。
右、左、右、ターンして――。
無心で同じ動きを繰り返しているうちに、いつの間にか動悸はすっかり落ち着いている。
こうして私の淑女のマナー講座最終週は、ワルツの特訓で幕を上げたのだった。
「うう……身体が痛い……」
「大丈夫?」
昼食後、長椅子にぐったりともたれ掛かる私に、心配そうな焔さんの声が掛かった。
午前中ずっと、本当にずっとひとりステップを踏みっぱなしで体中がばきばきいいそうだ。
「あ……あはは……大丈夫です、すみません。お見苦しいところを……」
「いや、食休みなんだし、少しゆっくりしてていいんだよ。……ほら、モニカが持たせてくれたお茶、今日は筋肉痛に効く薬草が入ってるみたいだし」
「優しさが沁みます……」
昼食を取りに行ったとき、身体のあちこち痛くて変な動き方をしていたからモニカにも心配されたのだけど、どうやらそんなところにまで気を遣ってくれたらしい。
みんなの優しさが沁みる……。
そっと口に運んだお茶はハーブティーのような良い香りがして、ほのかな甘みにほっと息をついた。
いつもは机の対面に座る焔さんが、お茶を勧めてくれたそのまま、すとんと長椅子の隣に腰を下ろし自分の紅茶を飲んでいる。
「うん、ほっとするね」
視界に映る横顔はいつも通りの綺麗な微笑みで、お茶を傾ける姿は本当に絵になる。
何となく自分がだらりとしているのが恥ずかしくなってきて、その場にきちんと座り直した。
……なんだろう、ちょっとだけそわそわするような、落ち着かないような気分だ。
ゆっくりと静かな時間とお茶に癒やされていると、手元のティーカップがいつの間にか空になっていた。
見れば焔さんも飲み終わっているようで、それなら食後の片付けをしようとテーブルの向こう側に置いてあるバスケットに手を伸ばし、少し身を乗り出す。
急に動こうとしたのが災いしたのか、その瞬間。
びきっと、膝の裏の辺りに痛みを感じて、がくんと身体が沈みこんだ。
「ぅわっ」
慌てて身体を支えようと前に出した手は、運悪くテーブルの端を滑ってしまう。
これは顔面衝突――っ。
咄嗟にぎゅっと目を閉じたけれど。
ぐっと腕を引かれる力が加わって、私の身体は勢いよく反対方向へと倒れこんだ。
「っと――」
一瞬で、温かくて優しくて、薬草の良い香りがする何かに包まれる。
その匂いを感じた瞬間、自分の状況を確認する前に、ぶわっと全身が燃えるように熱くなるのを感じた。
「梨里さん、大丈夫?怪我ない?」
「あっ――」
開けた瞼の向こうにあったのは、焔さんのいつも着ているベストの胸元。
長椅子に2人倒れ込むような姿勢で――いや、私が焔さんに覆い被さるような姿勢で、寝転がっていた。
焔さんの胸元に触れる自分の手が、視界に入る。
そろそろ上げた視線の先、心配そうな焔さんの顔が。
ぴったりと密着した身体が。
少しずつ自分の状況を把握する度に、ふるふると全身が震え出していた。
「梨里……?」
何も言わずにはくはく口を開けたり閉じたりしている私の頬に、焔さんがそっと手を伸ばしてきた。
その綺麗な指先が、私の頬に触れるか触れないかの時。
乱れた焔さんの艶やかな黒髪が一房、さらりと彼の白い頬に落ちかかって。
何故か色っぽく見えたそれに、心臓がばくんと勢いよく跳ね上がる。
それが引き金になって、私はびゅんと勢いよく後ろに飛び退いた。
「ごっ……ご、ごめんなさいっ!!」
「!」
私が勢いよく離れたせいで、行き場をなくした焔さんの指先が宙を彷徨う。
「あ、ああああのあのあの!!ごめんなさい!ごめんなさ、焔さん、怪我……っ」
「え、えっと、僕は大丈夫。あの、それより梨里さ……」
「ごめんなさいドジですみません本当にごめんなさい!助けてくれてありがとうございます!」
「……いや、これくらい、別に……」
「本当にすみません!あの、これ!!これ、モニカに返してきます!」
顔どころか、全身真っ赤になっている自覚さえある。
とんでもないスピードで残りの食器類をバスケットに放りこんで、慌てて駆けてくるアルトを連れて焔さんの部屋を飛び出した。
足早に本棚の間を歩く中、頭の中はぐちゃぐちゃで、足下でナーナー言っているアルトの声なんて届かない。
全身で、焔さんの体温や匂いを思い出してしまって――その感覚が全然消えてくれない。
「何、これ……」
焔さんから離れたのに、心臓はまだどきどきと走り続けていて。
「なんなの……」
焔さんと今日くらい近い距離になったことなんて、今までにも何回かあったはずだ。
最初に次元の狭間に落ちかけた時だって、抱き上げられた時だって、今日と変わらないくらい身体が接触していた。
なのに、こんなに心が乱れるのは、これが初めてだ。
きっと、それだけびっくりしただけだ。
焔さんが、焔さんがかっこいいから、急にあんな距離になって、転びかけた時のびっくりがそのまま加速しただけだ。
焔さんはいつも、私に優しくしてくれるから。
さっきだって咄嗟に助けてくれた、ただそれだけで。
きっとあの指先だって、私の顔に何かついてたとか、そういうあれなだけで。
午前中すっごく疲れたし、本当に、びっくりしただけだ。
「それだけ、そう。それだけ……」
だからきっと、このどきどきもすぐに収まる。
面談室を通り抜けて、職員用の通路に差し掛かると、だんだんと心が落ち着いてくるのを感じる。
モニカにも心配かけちゃってるし、転び駆けて焔さんにも迷惑かけちゃうし。
もっとしっかりしなくちゃ。
まだほんのり赤みの残る顔で、こちらの声など聞こえないとばかりに百面相するリリーを見上げ、俺は溜息を吐いた。
「なぁんでこんなわかりやすいのに……」
使い魔の呆れ声は、やっぱり届いていないようだった。




