41.晴れの休日に、物思い
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ぼんやりと覚醒した頭で、今何時かなぁなんて呑気なことを思う。
ふわふわの布団の中が気持ち良くて、そのままゆっくり伸びをした。
手を伸ばして、探り当てた携帯電話の画面で時間を確認する。
……午後2時。
うわ、だいぶ長く寝ちゃったな……疲れてたのかな。
最近は淑女のマナー講座も頑張っていたし、昨日は向こうの世界で城下街を遊び歩いた。
起き上がってみれば、部屋の中には燦々と光が差し込んでいる。
昨日と違って、今日は綺麗な晴れの日のようだった。
そういえば、と部屋の中を見回しても、黒猫の姿はない。
きっといつも通り、焔さんのお世話をしに行っているのだろう。
のんびりと遅い昼食を取って、ぼんやりと考え事をしながらかちゃかちゃと食器を片付けているところだった。
「?あれ……」
滅多に鳴らない携帯電話の着信音が部屋に響く。
その画面に表示された名前を見て、私は慌てて通話ボタンを押した。
「っも、もしもし!」
『あ、でたー!よかった、やっほー梨里。久しぶりー!』
「美佳!久しぶり……!」
大学時代の友人は、電話口での声も調子も相変わらず朗らかで、明るかった。
「どうしたの、急に電話なんて……」
『急じゃないよー!ちょっと前に、そっち行くからお茶しよってメールしたじゃん』
「あ」
そういえば、そんなメールが来てたっけ。
『あ、じゃないよもー。相変わらずほけほけしてるのね、梨里は』
「ち、違うよ!ちゃんと覚えてたけどさ……!」
『ほんとかなー?まぁいいけど。それでさ、そっち行くの今週末なんだけど、どう?大丈夫そう?』
「へっ。今週末?」
今週末と聞いてぱっと頭に浮かんだのは、王家主催の舞踏会。
「あー……」
台所を離れてソファに腰掛けながら思い出そうとしてみるけれど、やっぱりだめだ。
今週末の土日、どちらだったのか思い出せない。
『え?何か用事入ってた?』
「うん、どっちかに仕事が入ってたはずなんだけど……。ごめん、今ちょっとどっちだったか思い出せなくて……」
『えええ……じゃあ無理かなぁ……』
「うーん、でも、週末ずっとではないはずだから、仕事がないほうの日だったらお茶できると思う。……上司に確認しておくから、また連絡してもいい?」
『うん、それは大丈夫だけど……。なんかごめんね、タイミング悪くて。梨里、無理してない?』
「してないしてない!私も楽しみにしてたんだよ。美佳は週末、どっちでも大丈夫?」
『うん、私はどっちになっても大丈夫。それじゃ、連絡待ってるね』
「うん、わかったらすぐ連絡するね。……それじゃあまた」
ツーツーと通話が切れた音がして、携帯電話は再びしんと黙り込んだ。
今アルトがいれば舞踏会が土日のどちらだったか確認できたんだけど……、いないのだから仕方ない。
明日焔さんに聞いてみよう、と決心して、再び立ち上がる。
「掃除と洗濯、しちゃわないと」
独り言を呟いて、綺麗な青空を見せる窓の外をふと見やった。
どこからか子供のはしゃぐ声が聞こえてくる休日は、ゆっくりした時間が流れているようだった。
部屋に差し込む光は、やがて夕焼けになり、そっと消えていく。
かちゃん、と背後で小さな音がして、はっと我に返った時には部屋の中が真っ暗になっていた。
「うお、なんでこんな暗いんだ」
小さな足音がして、暗闇の中で帰宅したアルトの声がする。
慌てて椅子から立ち上がり部屋の電気を点けると、やっと目が合ったアルトからじと目で睨まれた。
「あ……あはは……お帰りアルト」
適当に誤魔化し笑いをしながらすうっと目を泳がせると、目ざとい使い魔様は部屋をぐるっと見回して、「なるほどなぁ」と溜息を吐いた。
「文字書きに夢中になって、部屋の明かりすら忘れてたか」
「……仰るとおりです」
アルトの視線の先にあるのは、部屋の中で唯一明かりがついていた、机の上のパソコン。
「本当にお前、夢中になると周りが見えなくなるのな。その分だと夕飯もまだ食ってねーんだろ」
「うん……」
人間、指摘された途端に空腹感が襲ってくるという謎の現象が起きることがある。
そっと部屋の時計を見れば、もう夜の10時を過ぎていた。
「大丈夫、作り置きのカレーがあるから……あ、でもごめん、こっちもうちょっとだから、それやってからにする」
「ん?」
ぱたぱたとまた机に戻る私の膝に、アルトがとんっと乗ってきた。
普通の猫様とは違い邪魔をしてくるようなことはないので、そのままにして手元の画面に入力を続けた。
「なんだこれ……印刷所?」
「うん、申し込みの画面」
パソコンの画面に出ているのは、いつも使っている、すぐそこの商店街にある印刷所のホームページ。
ページ数や表紙の紙なんかを選択して、他にも必要なところを入力していく。
一緒になって画面を見ているうちに、私が何をしているのかアルトにもわかったようだった。
「ああ、ずっと書いてたやつ、本にするのか」
「うん、今日やっと書き終わったの」
以前勤めていた古本屋『路地裏』の店長、佐久間さんへ贈ろうと書いていた物語が、今日やっと最後まで書き終わったのだ。
少し薄めの文庫本一冊分くらいの量になった物語。
それの印刷数を2冊と入力したところで、アルトの尾がぺしりと私の手の甲に触れた。
「アルト?」
「なぁそれ、2冊って自分の分の他に、誰かにやるのか?」
「うん、前に勤めてた古本屋の店長さんに贈るの」
「……それ、他の奴にはやらないのか?……イグニスとか」
「……えっ」
ぴたりと、入力を続ける指先が止まる。
見れば、私の両腕の間に収まっているアルトが、あの綺麗な赤い瞳で真摯にこちらを見上げていた。
しばらくその目と見つめ合って、無言の時間が流れる。
「……いや、無理でしょう」
しばらく経って、私が冷静に返した一言にアルトはがおうと吠えた。
「なんでだよっ」
「なんでって言われても……」
私の書いたものなんて、所詮は素人の趣味の範囲ぐらいのレベルのモノだ。
それを、その世界で大賢者だなどと人々に尊敬されるような人に、見せられるわけがない。
……大体、私がこんなふうに小説を書いているという事実自体、焔さんは知らないはず。
「焔さんって大賢者様だし、あんなに本が好きで、今までにもどれだけ沢山の本読んできたのか分からないくらいの人なんだよ?私が小説書いてるってことさえ話したことないのに……。そんなすごい人に、自分から読んで欲しいなんて言える訳ないでしょう?」
「ぐっ……」
言葉に詰まった様子のアルトに肩を竦めて、そのままぽちぽちと入力を進めた。
最後に申し込み完了ボタンを押して、……よし、終わり。
「待たせてごめんね、アルト。カレー用意するね。食べるでしょ?」
「……おう」
なんだかちょっとだけ不満げな様子の黒猫に首を傾げつつ、手早く用意したカレーは空腹に大変沁みた。
本の印刷が完了するのは一週間後だから、次の週末にでも店へ受け取りに行こう。
そうしたら、来週中には佐久間さんに送れるかな。
やりきった達成感と満腹感に、ほうっと幸せな溜息を吐く。
……佐久間さん、いつもみたいに喜んでくれるかな?
そんなことを考えながら当時、『路地裏』に勤めていた頃の穏やかな毎日を思い返しつつ食後の紅茶を傾けた。
「……そういえば」
その時ふと、自分の記憶に引っかかりを覚えて首を傾げた。
いつも佐久間さんに読んで貰っていた、私の本。
佐久間さんは一番に読んでくれて、いつも「こんな素敵な物語、老いぼれがひとり読んだだけでは勿体ない」といって、お店の隅に置いておくねと笑ってくれた。
それなのに、私がどれだけ店の棚の整理をしても、私は自分の本を店先で見かけることはなかったのだ。
……あれは、どうしてだったのだろう。
確か、閉店のために本を荷造りしている時でさえ、1冊すら見かけることはなかったはずだ。
あんな風に言っておいて、実は佐久間さんが私の本を持っていて、店先に出すことはなかったのか……。いやでも、そんなはずはない、と思う。
あの店長が、店に置くと言って置かないことはなかったのだろうし。
……ということは、店に置かれてすぐ、売れてしまっていたのだろうか?
無名で、何処かの印刷所が出版しているわけでもないような本、買うような人がいるとは思えないのだけど。
考え事をしながら大分飲み進めていた紅茶は、すっかり空になってしまっている。
立ち上がって、壁際に置いてある本棚の前へと向かった。
お気に入りの本ばかり並べた本棚の、手を伸ばさないと届かない一番上の段。
その隅に固められた13冊が、私が今までに本の形にした、私の書いた物語たちだ。
13冊のうち、一番左端にある1冊を引き出す。
分厚くも薄くもない、飾り気の一切ない白い表紙に、黒いインクでタイトルだけが印刷された表紙の文庫本。
思い入れのある、一番最初に作った本だ。
タイトルは――『雨の音』。
ぱらぱら捲って、ちらちらと瞬間的に目に入る文章たちは、暗記すらできそうな程全部覚えている気すらする。
……もしかしたら、この本を何処かの誰かが手にしてくれて、読んでくれたりしたのだろうか。
もしも読んでくれた人がいたのだとしたら――この物語を読んで、どんなことを思ってくれたのだろう。
あの時、この世でたった2冊だけ印刷したこの本の片割れは、今どこにあるのだろう。
ほんの少し気になっただけだったのだけど、これはなんというか……うん、あまり考えすぎると、気になりすぎて眠れなくなってしまいそうだ。
……あまり考えすぎないようにしておこう。
なんなら、今度また佐久間さんに連絡を取る時にでも、ついでに聞いてみるのがいいかもしれない。
もし本当に誰かに売ったのだとしたら、聞けば教えてもらえるだろう。
そう結論づけて、本を棚に戻した。
時計を見れば、もう夜中の12時近くなってしまっている。
明日は出勤日だし、早く寝る準備しなくちゃ。
「アルトー。私お風呂入ってきちゃうねー」
「……おう」
ぱたぱたと就寝の準備を進める私を、アルトの紅い瞳が何か言いたげにじーっと見つめていたけれど。
私がそれに気づくことはなかった。




