19.甘いケーキとお茶の魔法<前編>
ここまでが本日の更新分です。
ぐぐっと距離が縮まるのは、甘いケーキと紅茶のおかげです。
今日の昼食はなんだろう?
うきうきした気分でバスケットを抱えて、最奥禁書領域まで帰ってきた。
コンコン、といつも通りノックした扉から、「どうぞー」と今日は優しい声が返ってくる。
「失礼します」
「梨里さん、おかえり」
「ただいま帰りました」
ふわっと柔らかい笑みで迎えてくれた焔さんに、つられてこちらまで笑顔になる。
いつものテーブルにバスケットを置いて、ふと目についたのは脱ぎ捨てられた彼のローブ。
昼食前に、と拾い上げたローブを整えてコートハンガーに掛ける。この動作も、大分慣れたものだった。
「焔さん、またローブ……。こんなに素敵なんですから、ちゃんと掛けなきゃだめですよ」
「ああ、ごめん。いつもありがとう」
いつもこう返事されるのだ。そして次もまた絶対に、このローブは放り出されているのだろう。
焔さんはこういうところが少し適当で、そして直す気もないらしい。
そんなところが少し子供っぽい。
「どういたしまして、です」
「さて、今日の昼はなんだろう?お腹空いたなー」
私がそんなことを考えているなんて知らず、ソファに移ってきてバスケットをごそごそする焔さんのことを、こっそり可愛いだなんて思っていたりするのは内緒だ。
この国の歴史についても勉強したし、彼が何百年も生きている大賢者であることも、頭ではわかっているつもりなのだ。
……でもやっぱり、見た目は若いし、整ってるし。子供っぽかったり可愛かったり……全然年上って気がしないんだよなぁ……。
こんな風に思ってしまうことすら、不敬なのかもしれないけれど。
わたしにとっての彼は、どうしても『路地裏』常連の焔さんという印象が強い。
「わ、ホットサンドだ!いいね。ほら、梨里さんもこっちに来て食事にしよう」
「あ、はい!今行きます」
嬉しそうに手招きされて、悶々と広がりかけた思考を畳みそそくさとテーブルに向かう。
ホットサンドは具沢山で、紅茶はとっても良い香りがしていて、焔さんはにこにことホットサンドを頬張っていて……とっても好きだなぁ、なんてしみじみ思う昼下がりだった。
そんなふうに回り出した日常の中。
ロイアーの授業が始まって、最初の休日がやってきていた。
ごーんごーん、と。
遠くから響いた微かな鐘の音に、ふと顔を上げる。
今日はずっと雨が降っていて、ガラス張りの天井に叩きつける雨音が、館内に静寂に似た落ち着いた空気を作り出していた。
もうお昼か。
外が雨なせいか、館内には人も少なめだ。
がらがらの読書席を見回して、私はそっとガラス越しの中庭に視線を落とした。
この休日に、焔さんのところへ行くアルトについて私はこちら側へとやってきた。
目的は図書館。
開放区画を勉強や仕事と関係なく見たいと思っていたから、今日は一日こちらで過ごすつもりで出掛けてきたのだ。
開放区画は一人歩きをしても問題ないので、アルトもなしにひとり。ただの利用者として、書架にあった小説を読んでいた。
うーん、そういえば、お昼どうするかとかあまり考えてなかったな……。
数日前、仕事とは関係なく開放区画を歩いてみたいと言った私に、焔さんはこちらの世界の私服を用意してくれた。
白い丸襟に薄い水色の、ひだがたっぷりのワンピース。ちょっとクラシックな雰囲気なのは、こちらの世界ならではというところだろうか。
あまり派手なものは好まないと伝えた甲斐あって、生地は高級だが見た目はシンプルで、上品なお嬢さん、くらいの見た目になっているはずだ。
というわけで今の私は制服ではないので、いつもの食堂を使って良いのかどうか……少し、いやかなり気が引ける。
でもお弁当を用意してきたわけでもないし……一旦家に帰ろうかな……。
そんなことを思っていた時だった。
とんとん。
「?」
後ろから優しく肩を叩かれて、振り向いた。
「……こんにちは、秘書さん」
「あ」
周りの迷惑にならない最低限の声量で挨拶してきたのは、つい数日前にも見かけた緑の制服の。
「えっと――ブリックス、さん?」
「覚えていてくれたんですね、嬉しいです」
「あ、ええと、こんにちは」
「急に声を掛けてしまってすみません。私服ということは、お休みですか?」
「はい、今日は休日です」
「僕、これからお昼なんですけど。よかったらご一緒しませんか?」
「ええと……」
その瞬間小さくくるくるとお腹が鳴って、いつもタイミングばかり良い自分の腹の虫にがっくりとうなだれた。
どうせ一人では昼ご飯を済ませる場所もわからなかったし、ここは有り難く甘えた方が良さそうだ。
「……はい、よろしければ、ご一緒させてください」
その後、嬉しそうにするブリックスについてやってきたのは、一般開放区画にある利用者向けのカフェだった。
半屋内になっていて屋根もあるため、今日みたいな雨の日でもゆったり中庭を眺めながら食事ができる造りになっている。
見渡してみればかなりの席数があり、利用者に交じって制服姿の職員もいるようだった。
「ここは、職員も利用者も利用するカフェなんですよ。中庭挟んで向こう側にいつもの職員用食堂があります」
「ああ、そうなってるんですね」
「あちらのテラス側の席でいいですか?」
「はい、大丈夫です」
カウンターで軽めのランチを購入して、人のいなさそうな場所に席を確保した。
「秘書さんとまたお話したいなと思っていたので、またご一緒できて嬉しいです」
向かいでにこにことブリックスが笑顔だ。
実は開放書架で偶然ブリックスに会ったあの後、ロイアーからも少しだけ彼の話を聞いていたりしたので、彼がとても良い人だというのは知っている。
職員と仲良くするのも良いことですわ、とロイアーも言っていたし、彼とももう少し仲良くなれたら良さそうなのだけれど……。
「秘書さん?」
「あっいえ!すみません、ちょっと考え事をしていて……。私も、お昼をどうしようかと思っていたので、誘って頂けて助かりました」
そう言ってカップの紅茶に口をつける。甘めの花の香りがふわりと鼻腔を掠めて、少しだけほっと息を吐いた。
「ああ……あの後、シャーロットから聞きました。秘書さんは随分と遠くからいらしていて、この国について勉強中なのでしたね。あの時はシャーロットと貴女が一緒だったから、まさか本当に仲良くしてくださってるのかと驚きました」
「へ……あ、ああ、そうなのです。ロイアーさんからは、色々なことを教えて頂いています」
そうか、ロイアーは私のことをそんな風に話してたのか。
ちょっとだけぼろが出そうで危なかったけれど、ブリックスはあまり気にしていないらしく、「それはよかった」としきりに頷いている。
やはりロイアーのことをシャーロット、と名前で呼んでいたりするし、ブリックスの方はロイアーに好意的なようだけど。
ロイアーは、ただ昔から付き合いのある鈍感男、信用はできる、……人だなんて言っていた。
二人ってどういう関係なんだろう?
私が紅茶を飲みつつそんなことを考えている間にも、ブリックスは申し訳なさそうな顔をして話しかけてくる。
「シャーロット、きつく当たったりしていませんか?」
「え……いえいえ!すごく丁寧に教えて頂いていて、良くしてもらっています」
「そうですか……ちょっとあいつ、きついところあるんですが、これからも仲良くして頂けたら俺も――あ、失礼!僕も、安心できます」
慌てて言い直すブリックスに、ふとあの時のことを思い出した。
「そういえばブリックスさん、この前会った時にはもっと砕けた話し方してましたよね」
「ああ、そう……でしたかね。すみません。シャーロットの前だったのでつい」
「あの、私にもそういう、砕けた話し方して頂いて大丈夫ですよ。私、ブリックスさんより年下ですし。ここでは、私、後輩ですから」
何より、いつまでもすごい人のように扱われているのは私が居心地悪い。
ちょっと勇気を出して申し出てみると、彼は珍しいものでも見るように目を丸くした。
「え……いいの?ああいやでも、秘書さんは秘書さんですし……」
「その秘書さんっていうのも、よろしければリリーって読んで頂けると嬉しいです。……私の気が楽になりますので、お願いできませんか?」
「……正直なところ、そう言ってくれるとありがたい、かな。あまり得意じゃないんだ」
照れたように笑いながら、すっとテーブル越しに手を差し出される。
「それじゃあ俺のことも、オリバーって呼んでくれる?……改めてよろしく、リリー」
「わかりました、よろしくお願いします、オリバーさん」
「くすぐったいから、オリバーでいいよ。リリーこそ敬語とかいいから、気軽に話して」
恐る恐る触れた彼の手が、ぎゅっと私の手を一度握って離れていく。
こんな人の温もりを感じるのは、モニカに手を握られた時以来だ。
「……わかった、ありがとうオリバー」
「ん!さーて、飯食おう!」
「うん」
ランチにと購入したクロックムッシュはふっかふかでチーズがとろとろ。ものすごく絶品だった。
モニカがいつも用意してくれる食事のメニューといい、この国は洋食文化が発達しているらしい。
ほどよく胡椒の効いた一口が口の中で濃ゆく溶けてゆく感覚に、思わず頬に手を当てて呟いていた。
「お、おいしい……!」
「ああそのクロックムッシュ、すごい旨いよな。このカフェの名物だよ」
「はい!すっごくふわふわで美味しいで……あ、美味しいよ!」
敬語を使わないというのはやっぱり慣れない。
途中で言い直した私に、オリバーは気にした風でもなく笑ってくれる。
「そういえばその料理、外来本のレシピだったかな」
「……がいらい本?」
聞き慣れない言葉だ。オウム返しすると、オリバーはああ、と自分の分のパスタを飲み込んで頷く。
「外来本。大賢者様が遠いところから仕入れてきた本のことだ。とても少ないけれど、禁書庫と開放書架にあるんだよ」
「へぇ……」
それは初耳だ。
もしかしたら、私の世界の本もいくつか置いてあったりするんだろうか。
「あ、そうだ。話そうと思ってたことなんだけどさ。俺と鉢合わせになった日、あのあとシャーロットに……その、あの時の話のこと……」
オリバーが突然もごもごと歯切れ悪く話すから、何のことかすぐぴんときた。
「……食堂で初めて会ったときのこと?」
「そう!それ……もしかして……」
オリバーはちょっとだけ青くなって、そわそわと心配そうな表情になっている。
彼がロイアーのことを大切に思っているのがなんとなくだけど感じられて、ちょっとだけ心が温かくなった。
ふふ、と小さく笑いながら、彼を安心させるように頷いてみせる。
「大丈夫ですよ。あ、大丈夫……、だよ。食堂で偶然会って、若いのに優秀ですね、って言われただけだってお話したから」
「……そっかぁ。ありがとう……」
大きく脱力して椅子にずりずり沈んでいく姿は、どうしてもちょっと微笑ましい。
「幼馴染みって言ってましたっけ。ロイアーさんのこと、本当に大切なのね」
「いやぁ……あいつが生まれてすぐの頃から見てるから、なんていうかもう実の兄みたいなもので――」
「――だ・れ・が!」
カチャン!
ちょっとだけ高い音を立てて、ティーセットを載せたプレートが私たちのテーブルに突然置かれる。
まったく気づかなかった。
急な出来事に、私とオリバーは揃って飛び上がった。
「――こほん、失礼。どなたが、どなたの兄のようだというお話でしたかしら?」
視界に煌めくのは、曇り空や雨模様なんてものともしない綺麗な金の髪。
両腕を組んで怖いほど綺麗な笑顔を浮かべ立っていたのは、見慣れた青い制服を纏った――シャーロット・ロイアー。
今まさに、話題に出ていたその人本人だった。




