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【WEB版】大賢者様の聖図書館  作者: 櫻井 綾
第3章 美しき華炎の使者

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196.痛むこころの、行き場とは


 ――梨里がカフェで、ルゥルゥと話をしていた頃。

 一方、最奥禁書領域の焔のところには、白いジャケットに輝く蜂蜜色の髪をした彼が訪れていた。


「んー、美味しい紅茶だね」

「…………」

「なんだよう、俺が折角こうして訪ねてきてやったっていうのに。ここ最近、本当に恋愛小説ばっかり読んでるんだなあ」

「……はぁ」


 ぱたん、と膝の上で本を閉じて、向かいに座る猪王子へと視線を向ける。

 目が合うと、彼はにこりと爽やかな笑みを向けてきた。

 今日も唐突に、ふらりと最奥禁書領域へ入ってきた『彼』。

 瞳の輝きを見るまでもなく、その気配はライオットではない――。


「……ザフィア。今日は何の用?」

「その返答!つれないなぁ。数百年越しの親友とのお茶だぞ?もっと嬉しそうにしたっていいだろうに」

「その数百年越しのお茶とやら、今日で何回目かわかる?」

「ええと……うん? 9? いや、10回目だったかな?」

「君……ほんとに暇なんだね」

「失礼な!暇なわけないだろ? 俺がこうやってこの子の身体を借りる度に、この子が半べそになりながら、山になった仕事を徹夜でこなしてるんだぞ」


 ……こいつ、自分の子孫になんてことをしてるんだ。

 じとっとした目で見ても、ザフィアはけろりと笑顔のままだ。

 こういう所は、昔から本当に、王という存在に向いた性格だなと感心する。

 やはり、放っておこう。うん、それがいい。

 そう心に決めて、自分の分の紅茶を傾ける。

 ザフィアは、俺の態度など気にもせず、にこにこと話続けていた。


「それはそうとさ。最近はどう? そうやって恋愛小説読んで、何か勉強になってる?」

「うーん……」


 確かに、色々な恋愛小説を読み漁ってはみたけれど。

 特に自分の中で何かが変わった……とか、そんなこともない。

 ……多少、思うところがないわけではないが、些末なことまでこいつに話す必要性も感じない。

 曖昧に肩を竦めて返事にすれば、ザフィアは大袈裟に溜め息をついて長椅子へと背を預けた。


「おいおい……。そんな調子でどうするんだよ」

「どう、と言われても」

「ここに来る途中、今日も見たぞ。あの子と青い妖精が、楽しそうにしているところ」

「……あいつが来てるのは、知ってる」


 表情に出さないよう気をつけたが、ほんの少しだけ指先が動いたかもしれない。

 そうでなかったとしても、長い付き合いであるザフィアの目は誤魔化せないようだった。


「ふうん。気にはしてるってわけか。……でもイグニス。お前、わかっててこんな所に引きこもってるなんて、本当にそれでいいのか?」

「良いも何も、言ってることがわからないけど」

「いや、わかってるだろ。あの子が他の男と楽しそうにしてるんだぞ? お前、何とも思わないわけ?」


 ちくり、と胸に痛みを感じた。

 ――何とも思わない、訳がない。

 だからといって、……俺には、何もできない。

 痛みと苛立ちに似た感情を見ないふりして、俺はそっと視線を落とす。


「リリーは、楽しい時間を過ごしてる。それを邪魔することないだろ?」


 ――それを邪魔する権利なんて、俺にはないのだから。

 梨里から好きだと言ってもらったとはいえ、彼女の想いに応えてもいなければ、彼女の恋人でもない俺が、ふたりを邪魔することなんてできない。


「彼女が心変わりしたり、あの妖精に彼女をかっ攫われたりしたらどうするんだよ?」

「そんなこと、起こる訳がないだろ」

「起きるわけないなんて、なんでわかる?……彼女は人間だ。人間は、簡単に心変わりする生き物だろ?」

「……彼女に限って、そんなこと、ない」


 最後の方が尻すぼみになってしまったが、俺は小声で、そんなことを呟いていた。

 ……なんだよ。

 これじゃあまるで、俺が彼女を、その……想っているみたいじゃないか。

 手元の綺麗な赤茶色の水面に映っているのは、見たこともないような、迷子のような己の顔。

 そこには、見てはいけない感情が映っているような気がして、すぐに目を逸らした。


「……イグニス」


 静かで真剣な声に、のろのろと顔を上げる。

 手を組んだザフィアが、その薄紫の瞳を鋭くして、俺を見つめていた。

 その眼差しの強さに、椅子に座ったままだというのに、後ずさりしたくなる。


「もう、やめろ」

「……何を」

「俺たちは確かに、残酷なことをした。……だからといって、お前が幸せになってはいけないなんてこと、ないだろ」

「…………」

「俺はもう死んだ身だが……、死ぬ間際まで、あいつと添い遂げられなかったこと……添い遂げるという選択をできなかったことを、深く後悔していた。お前だってもう、800年も独りで居たんだろう? ならもう、やめにしたっていいじゃないか」


 ザフィアの言葉に、膝の上で握った拳の中で、爪が皮膚に食い込んだのがわかった。


「そんな……わけ、ないだろ」


 ――やめにしたっていい、なんて。

 そんな簡単なものじゃない。


「あいつは――フィオレッタは、もう今、妖精の国に渡って幸せに暮らしてるんだろ? だったらもう、あいつのために、なんて……こんなことを続けていたって、何もならないじゃないか」


 ……彼の言う通り、最後に確認したとき。

 もう何百年前のことかわからないけれど、その時には、彼女は妖精として、幸せに暮らしているという話を聞いた。

 そのことに少し、ほっとしたのは事実だ。

 でも――。


「……だからといって、俺があの時したことが、許されるわけじゃないだろ……」


 800年ひとりでいて、沢山考えた。

 梨里と出会ってから、まだ半年ほどしか経っていないが……その間に得た経験や、梨里と、彼女の周りの人間たちとの交流があって、フィオレッタへしてしまったことを悔いる気持ちは、更に深くなっていた。

 もういい、だなんて……今やめにしてしまったら、積もりに積もったこの気持ちの、行き場がない。

 俯き黙ったままでいる俺に、ザフィアの静かな声が降った。


「お前にも、思う事はあるだろう。だけど……もう一度言うぞ、イグニス。もう、やめていい。いいんだ。……俺は、お前には、後悔して欲しくないんだよ」





 ザフィアが帰って、何時間経っただろうか。

 気がつけば、時計は夜の9時を過ぎていた。

 ……あれ。

 おかしいな、と思ったのは、その時だった。

 いつもならば、とっくに梨里が夕食を持ってきて、一緒に食べている頃だ。

 ……もしかして、まだ、あいつと一緒にいるのだろうか。

 その可能性に思い至ると、何とも言えない、焦りのような不愉快な気持ちで、胸が暗くなる。

 彼女の気配を探ってみると、すぐ近くにいるのがわかった。

 最奥禁書領域の中の、彼女に渡した小部屋にいるらしい。

 梨里は、一度集中すると時間を忘れてしまうこともあるし……読書にでも夢中になっているのだろうか。

 ……彼女の顔が、見たいな。

 未だもやもやした気持ちのままだったけれど、彼女の顔を見たら、これもまた晴れるだろう。

 そう思ったら、すぐに身体が動いていた。

 早足で彼女の部屋の前まで行き、ノックする。


「梨里さん、いるかな?」


 声を掛ければ、部屋の中で物音がした。


「あ……その、ちょっと、待ってくださ……」


 くぐもった彼女の声が、ちょっと掠れて聞こえた気がした。


「……?」


 風邪? いや、でも、朝ご飯の時は元気そうだったけれど……。

 そのまま待っていれば、少しして、きい、と小さく扉が開いた。


「……ごめんなさい、お待たせしてしまって」

「え――」


 隙間からちら、と覗いた彼女の顔を見て、心底驚いた。

 いつも柔らかな笑顔の彼女が、目元を赤く、泣き腫らしていたのだ。






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― 新着の感想 ―
[良い点] ザフィアさんが現れるたびに、王子様が半べそになりながら山になった仕事を徹夜で……! 「半べそ」というのがなんか可愛くて、笑っちゃいました。王子様、頑張って! 焔さん、そろそろ自分の気持ち…
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