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【WEB版】大賢者様の聖図書館  作者: 櫻井 綾
第3章 美しき華炎の使者

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193.見ないふり、今はまだ


 彼は、空を仰いで大きな溜め息を吐き出すと、足を組み替えて、私の背後の焔さんを睨み付けた。


「何をお話か、だって?そこの本の感想について、だけど」


 ぶすっとした声が、不機嫌丸出しで低く響く。


「別にアンタに関係ないだろ。そいつ、もう今日の仕事は終わったって言ってたし。仕事時間以外に秘書が何してようが、アンタが口出すことじゃないと思うけど?」


 彼の言葉に、私の両肩に置かれた焔さんの腕がぴくりと反応した。


「まぁね。でも僕は、この子の保護者でもあるから。それに……使節団に許されているのは、決められた日の訪問だけだったはずだ。今ここに君がいることを僕が咎めるのは、間違っていないでしょう?」


 焔さんの声までとげとげしくて、二人の間に挟まれた私は、肩を竦めて身を縮こませるしかない。

 先ほどは、急に焔さんが現れたことに驚いたが、今は二人の睨み合いにひやひやしている。

 焔さんはいつも通りすっぽりとローブを被っているから、すごく目立ってしまって……先ほどからちらちらと、テラスの他の利用者たちがこちらを窺う視線を感じる。

 妖精の彼のほうは、すっかり人間に見える変装?をしているからいいけれど……いや、やっぱり良くないか。

 このふたりの会話内容では、周りに彼が何者なのか知られてしまうのも、時間の問題のように思えてくる。


「大体、そんな小細工しても、紛れ込むのは許されることじゃないって、君分かってる?」

「元々、人間に許して貰わないと行動すらできない、なんていうのがおかしいんだろ。こうして気遣ってやってるだけありがたいと思えよ」

「君たちとしてはそうなのかもしれないけどね。今は国賓としての立場ってものが――」

「――っマスターっ!」


 いよいよ周りの利用者たちがひそひそと話しはじめて、私は慌てて立ち上がり、焔さんの口元を両手で押さえた。

 国賓、という単語を聞かれてしまったら、それが妖精を指すということを、一般の市民にだって気づかれてしまう。


「リリー……」

「マスター、ここは人目もあります。騒ぎになったら大変ですから……」


 懇願すれば、見つめる彼の瞳からすっと怒りが消えて、代わりに黒い瞳に映ったのは、何故か寂しそうな色だった。

 ……え?

 焔さんの手が、私の手を包み込んでそっと下ろさせる。

 自由になった焔さんの口元が、何かを言いかけた。


「……君は――」

「ちゃんと許可を取るために、人間の王には話、いってるはずだけど」


 タイミング悪く、後ろから妖精の彼の声が被さってしまう。

 すると焔さんは口を閉じてしまい、はぁ、とひとつ、重い溜め息を落として彼へと向き直った。


「確かに、そういう申請をしたことまでは知っているけど。まだ僕が許可を出してないはずだよ」

「待ってられなかったからなー」


 彼はふいと明後日の方を向いて、グラスをくいと煽った。

 その姿に、焔さんは再度溜め息をつくと、こちらへと向き直った。


「……ぜんっぜん良くはないんだけど。でもまぁ、こんな子供の我が儘に本気で付き合ってるのも馬鹿らしいから、今日の所は適当に相手して帰ってもらってくれる?リリー」

「あ、はい!わかりました」

「そんな指示に、素直に返事するなよ。っていうか子供扱いするな」

「僕から見れば、君もまだまだ子供だと思うけど?……じゃあ」


 冷たい一瞥を彼へと向けた焔さんは、去り際にするりと私の髪を撫でると、その場にマナの粒子だけを残して、ぱっと一瞬で消えてしまった。

 ……もう、はらはらしすぎて、どっと疲れた。


「……なぁ」

「はい?」


 私が再び椅子に腰掛け直しているところに、妖精の彼が真顔で首を傾げて尋ねてきた。


「お前たちって、そういう関係なの?」

「――っ違います!!!」


 それは、何に対する苛立ちだったのか。

 ばんっと思い切りテーブルを叩いて再び立ち上がり、大きな声を出した私の隣で、何が面白かったのか、彼はケラケラと笑っていた。





 その後、結論からいえば、彼は夜のカフェ閉店の時間まで、たっぷりと粘ってから帰って行った。

 途中でアルトがふらりとやってきて、ずっと私の膝で丸くなっていたけれど……おそらくは、焔さんが寄越した監視だったのだろう。

 正面玄関に用意された馬車に乗り込む前、妖精の彼は、笑顔で手を振った。


「まぁまぁ楽しかった。続き読んで、また来るからな」

「……お願いですから、次来る時は許可が下りてからにしてくださいね」

「あー、まぁ考えとく」


 にや、と口角を上げて馬車に乗り込む彼は、全く反省していないようだ。

 街灯の灯る夜道へと馬車が走っていくのを見送りながら、私は大きく息を吐き出した。

 色々と、気疲れしたというのもあるが……複雑な心が、ものすごく全身を重くしている気がする。

 彼と本について語る時間は、本当に本当に楽しいのだ。

 しかし焔さんのことを考えると、あまり心配を掛けすぎてはいけないとも思うし……かといって、異世界で出会った気の合う話相手である彼を、邪険にしたくもない。

 妖精は恐ろしい存在だ、油断してはいけない……なんていう常識は、理解しているつもりでいる。

 でも……本について、物語について、あんなにはしゃいで、私と変わらないほど楽しく話をするだけの彼を、遠ざける必要はあるのだろうか。

 私は仲良くしたい、と思う。

 でも、どうしても……妖精を警戒する焔さんのことを、気にしないでもいられない。

 なんとも複雑な思考は、割り切ることができず、胸が詰まるばかりだ。


「なんというか、お前もお疲れ」

「アルト……」


 肩に乗ったアルトが優しく労ってくれる声と、頬を滑るふわふわの尻尾に少し癒やされた。


「ありがと。……アルトも、監視だったのよね。お疲れ」

「まーな」


 くあ、と不安定な姿勢で伸びをした彼は、だらんと肩の上で伸びる。

 猫が液体、というのは聞いたことがあるけれど、どうやら使い魔という生き物も、液体であるらしい。


「もうこんな時間だし、イグニスのやつと一緒に夕飯、食ってけ。……機嫌も取っておいた方が良い」

「…………。そうだね」


 一瞬、遠い目になってしまったけれど、きっと暗いし、誰も見てなかっただろう。

 今日はモニカに、焔さんの好きなメニューにしてもらえるよう頼んでみよう。

 ……機嫌、悪いのかぁ。

 ちょっぴり肩を落としながら、私とアルトは寄り添い合って食堂へと向かったのだった。





 ――一方、最奥禁書領域。

 長椅子に仰向けに寝転んで、俺はただ、本が積み上げられた壁や、本がふわふわ浮かぶ天井を眺め続けていた。

 時計はもう、すっかり夜を指しているというのに……梨里はまだ、あの妖精と過ごしているようだ。

 それがなんだか、とても不愉快だった。

 梨里が楽しく過ごせているのなら、それでいいはずなのに……。

 気持ちを持て余して、落ち着かない心のままもう何時間経ったろう。

 ……オリバー、まだ館内にいるかな。

 この俺が、ザフィア以外の誰かと飲みたくなる日が来るとは……。

 色々と重い身体を、のろのろと数十分掛けて、やっと起こした時だった。

 ――コンコン。


「焔さん。梨里です」

「えっ」


 軽いノックの音と後に聞こえたのは、少し躊躇いがちな彼女の声だ。

 続いて扉から梨里が顔を覗かせる。


「よかった。起きてたんですね」

「あ、うん……」


 慌てて座り直し、衣服や髪を整えていれば、彼女は微笑んでバスケットをテーブルへと置いた。


「あの人をお送りするまでに、時間がかかってしまって……。心配かけてすみません。その……お夕飯、一緒にいかがですか?」

「ありがとう、お腹空いてたんだ」


 いつも通りに優しく微笑み返すと、彼女はようやくほっとした表情になった。


「今準備しますね」


 彼女が食事を並べてくれている間、俺はさりげなく自身の胸に手を当てた。

 ――あっけないほどさっぱりと、心が晴れていた。

 先ほどまであんなにも重く渦巻いていた感情が、彼女の姿を見た途端、すっと軽くなって、気分も良くなった。

 自分の心だというのに、急激な変化についていけていない。

 動揺を表に出さないようにするのに、必死になっていた。


「はい、焔さん。このお茶、すごく良い香りですよ」


 そう言って、梨里がティーカップを置いてくれる。

 にこり、と笑ってくれた彼女の顔を見ただけで、心がふわっと温かくなった。


「――ありがとう」


 ……今は、まだ。

 気づかない様に、見ないように。

 梨里とアルトと、ゆったりした食事を楽しむことに専念しよう、と――。

 俺はそっと、その「心」から目を背けた。






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