191.驚くにもほどがある
コツコツコツ……と、マナペンの先で机をつつく。
頬杖をついてむすくれた顔をしているが、誰に見られているわけでもないし。
執務机でいつもの様に書類と向き合いながら、俺はまた溜め息をついた。
――昨日の、使節団訪問。
フェイン=ルファンのくだらない話題を右から左に流しながら、妖精たちを警戒しつつホールに立っていた間、気が気ではなかった。
というのも、途中から梨里の姿が見えなくなったと思えば、他でもないあの青い妖精と一緒にいるのを感知してしまったからだ。
リブラリカの敷地内であれば、俺の結界内故に、大体だが誰がどこに居るのか、何か騒ぎが起きていないか感知することができる。
特に梨里は、俺のマナを込めて作ったブレスレットを付けているから、結界内でなくともどこに居るのか知ることができるのだが……。
どうして、寄りによってあの失礼極まりないヤツと一緒にいるのか。
他の妖精よりも少し、彼を気遣うのはわかる。
礼とはいえ、貴重な水の加護をくれた相手だし、少しくらい、親切にしようかという心境になるのも理解できる。
だが……あの無礼極まりないあいつだぞ?
もう1時間近くは一緒に居るようだし、何となく、楽しそうにしているような空気が伝わってくるから、余計もやもやした。
巡回で見回って、気遣って話し掛ける以外に、そんなに長時間、何を話すことが――。
そもそも。あの青い妖精のことは、最近になって、気にはなっていたのだ。
使節団がリブラリカに来る時……あの青い妖精だけがいつも、ふらふらと自由に書架を歩き回り、集中して読書をしている。
そして他の使節団の妖精たちは、書架を見ているようでその実、全然読書をしていないのだ。
あの動きと態度は、主であるフェイン=ルファンを護衛しているようなものだとしか思えない。
代表であるフェイン=ルファンはいつも、ホールで俺の隣に張り付いたままで……あの青い妖精以外、だれひとりとして図書館を利用しに来ている様子がない。
となると、妖精たちのリブラリカ見学の目的として考えられるのはふたつ。
ひとつは、俺の説得。
もうひとつは――あの青い妖精が、リブラリカを利用すること。
この予想が正しければ、あの青い妖精は、フェイン=ルファンの従者……とは考えられなくなる。
フェイン=ルファン同様、妖精の国で、ある程度の地位を持つ妖精であるか、あるいはフェイン=ルファン個人の、特別に扱う者か……。
どちらにせよ、フェイン=ルファンと同様に警戒しなければならない相手だと認識はしている。
……俺の梨里に、手を出したりした前科もあるわけだし。
悶々と思考を続けながら、愛用している梨里と揃いのマナペンで、今度は自身のこめかみをとんとん叩いた。
手元にある書類は、王宮から届いたものだ。
そこには、今までの妖精使節団のリブラリカ利用の様子、こちらから送った報告の数々を踏まえて、国王がしてきた新たな提案が記してあった。
曰く――あることを「条件」に、希望する妖精がリブラリカを自由に利用することを許可したい、と……。
誰からの希望なのかわかりきっているだけに、簡単に了承の返事を出すのは気が乗らない。
あいつが梨里に近づくのは、妖精を警戒していることを別にしても、何かこう……面白くないのだ。
ただ、仕事に私情を挟むというのも、いかがなものかとも思うと……やはりここは、了承の返事を出すべきなのか?
まあ、俺としても、自分の領域内でということであれば、まだ……そう、まだ、梨里が楽しんでいるなら、そう……俺が制限するようなことでもない。
……ない、はずで。
「んああぁあ……」
それなのに、なんなのだ。この胸の不愉快さは。
梨里が楽しいのならば、俺がそれを阻むというのは……そんなことをしたら、嫌われたりするかもしれないし。
あの青い妖精は気に食わないけれど、梨里が良き話相手と思っているのならば、それはそれで……後見人としては、良いことだと見守るのが……。
「はぁ……」
どうして納得できないのか。
どうして割り切ることができないのか、すっきりしないのか。
いくら考えても答えがでない思考の渦に唸っている間、思考に集中しすぎていて、部屋の長椅子で丸まっていた使い魔が、呆れたような目でこちらを見ているのすら気づかないでいた。
「はぁ……昨日は本当に、楽しかったな」
妖精の使節団たちがリブラリカを利用しに来たのが昨日。
今日の私は、いつも通りの賑やかさが戻ってきた一般書架で、本の整理や掃除をしながら、ゆったりと巡回をしていた。
担当してるのは、大好きな物語小説が多く並ぶ書架だ。
掃除や整理をしながら、本棚の隙間を見つけて、減っているシリーズの本をメモする。
あとでカウンター担当の司書に引き継いで、保管庫に蔵書があれば補充してもらうのだ。
心地の良い静けさの中を、上機嫌で巡っていく。
そうしている間、何度も思い出してしまうのは、やはり昨日の、青い妖精との読書談義だ。
あんな風に誰かと、自分の好きな本について語り合うのは本当に久しぶりで……仕事中だということも忘れて話し込んでしまった。
青い妖精の彼は、そうやって話してみると、今までの不機嫌というか、無礼な行動の数々がなんだったのかと思うくらい、普通の青年だった。
彼は、人間の書いた物語が好きなのだそうだ。
妖精の国にいたときから、色々と読んでいた……とか言ってたっけ。
好きなシーンの好みなども馬が合うようで、談義はとても盛り上がった。
彼は意外なことに、きれいな言葉使いや表現が好きなようで、色々な細かい部分の描写についても、語りきれないほど話した。
本が好きな人に、悪い人はいない……なんて言葉を、信じたいタイプではあるけれど。
この言葉って、妖精にも適応されるのかな?
昨日は、すぐに使節団の帰り時間になってしまって、もっと話したい事もあったのに……と残念な気持ち半分、焔さんに叱られるかなと不安な気持ち半分で、ホールへと戻った。
けれど焔さんは、使節団たちが帰った後、「何もされなかった?」と聞いたくらいで、私が彼と一緒にいたことについては特に何も言わなかった。
リブラリカで私が何をしていたのかなんて、彼には全部お見通しのはずなのに。
私が彼と一緒にいても、特に何かされないのなら、仲良くしても構わないってこと……なのかな?
相変わらず、想い人が考えていることは、よく分からない。
考えごとにふけりながら、黙々と手を動かし、綺麗に拭いた棚に本を並べる終えると、「よし」と小さく呟いた。
こうして綺麗になった書架を見ると、とても気分が良い。
まぁ、あの妖精とはまた、次の使節団訪問の時にでも会えるだろう。
そうしたら今度は、彼が借りていった4巻について語り合えるだろうか。
ちょっと楽しみだな……なんて、そんなことを思っていたから、また胸の内でとぷん、とマナが揺れても、気持ちにつられてなのだと思っていた。
「……あの」
と、背後から声を掛けられた時は、少しだけびくっと飛び上がってしまった。
いけないいけない、掃除と考えごとに夢中になって、困った利用者が近づいてくるのに気がつかないなんて、司書失格だ。
だから私は、慌てて笑顔で振り返った。
「はい!すみません、どうかされまし――」
――そして、見事に固まった。
振り返る途中でぴたりと動きを止めた私の手から、ぽとりと力なく掃除用の布が落下する。
中途半端な体勢のまま絶句する私の視線の先で、声を掛けてきた利用者は、少しだけ愉快そうに――だけどちょっとだけ恥ずかしそうに――ちら、と片手をあげて見せた。
「よう」
「…………え?」
私は完全に混乱していた。
目の前にいる利用者は、私より少し背が高い青年だった。
下町でよく見るような、シャツとだぼっとしたカーディガン姿で、小脇に本を抱えている。
耳も尖っていないし、背中に美しい翅があるわけでもない。
ぱっと見は唯の利用者。人間、一般市民だ。
なのに――どういうわけか、切りそろえられた青い髪がさらりと揺れる角度も、長く伸ばした前髪が目元を隠しているのも、ちらりと覗く綺麗な青い瞳の輝きも――昨日あったばかりの誰かに、そっくりなのだ。
「え……、あ、へ?」
「……っくく、いいな、その驚き具合。最高」
驚いて言葉の出てこない私を見て、彼はくっくっくと声を殺して笑っている。
これは一体、どういうわけだ。
「え……だ、だって、え、は、はね……え?」
「昨日の続き、話さないか? 秘書サン」
まだ少し笑みを残したまま、昨日について語る彼は――どう考えても、私の知る彼以外いないようだ。
「種族が違う!」、と、全力で胸の中で叫ぶだけに止め、口には出さなかった私を後でアルトに褒めてもらおう……と、こっそり心に決めたのだった。




