190.使節団のリブラリカ見学<2>
思い切って、例の書架を覗き込んでみるけれど――。
「……あれ」
そこはしんと静かなままで、誰も居ないようだった。
ミモレから聞いた書架は、確かにここだったはずだけれど……。
最近読んでいるシリーズが置いてある棚に目をやると、いくつか隙間が空いているようだった。
このシリーズは人気だから、いつも隙間だらけだな……。
無意識にその隙間へと指先を触れると、瞬間――ぱっと青い光の粒子が舞い散った。
薄暗がりにきらきらと輝く光に、息を呑む。
私にしか見えない光――幻想的な、青と銀、それから虹色に光る粒子は、妖精がここに居た名残だろうか。
まだ近くにいるかな?
書架を出て、きょろきょろと辺りを見回す。
それは、勘のような何かだった。
ふと視界に入った、窓際の閲覧席に惹かれて、歩き出す。
足音を立てないように、そっとそっと閲覧席を覗くと――。
――いた。
燦々と降り注ぐ日差しを浴びながら、他には誰も居ない閲覧席でひとり、彼が本を読んでいた。
ゆったりと椅子に腰掛け、足を組み頬杖をついて、少し気怠そうにしながら手元の本に集中しているように見える。
背中の翅は、陽の光を受けて虹色に輝き、彼の周囲には、先ほども見た青のような、銀のような粒子が、微かに舞っているようだった。
絵になる、という言葉がぴったり合いそうな光景に、一瞬見惚れてしまう。
また、身の内でたぷん、と水が揺れるような気配がして……、ゆっくりと顔を上げた彼と、目が合った。
「――お前」
ほんの少し、驚きが滲む声に、はっと我に返る。
その場で小さく礼をしてから、ゆっくり近づいた。
「……こんにちは。集中しているところ、お邪魔してしまい申し訳ありません」
「ああ、邪魔だな」
相変わらず不機嫌そうに、ふんとそっぽを向かれてしまう。
前回鉢合わせた時には、焔さんからも「関わらないように」と言われていたから逃げてしまったけれど……今日は違う。
ちゃんと仕事としてここにいるのだから、少しくらい会話しても、問題ないはずだ。
それとも、話す前から追い払われたりするかな……とも思ったのだけど、彼の座る席のすぐ傍まで行っても、そんなことはないようだった。
「巡回で参りました。何かお困りのことはないでしょうか?リブラリカはいかがですか?」
話し掛けると、彼がうーんと伸びをする。
切りそろえられた青い髪が、さらりと軽やかに揺れた。
「お前、今日はちゃんと仕事してるんだな」
「はい、大賢者の秘書ですので」
「……まぁ、ここ、静かだし。居心地は悪くないんじゃないか。困ってることは、特に――ああ、そうだ」
彼は何か思い出したように、手元の本をパタンと閉じるとテーブルに置いた。
「この本、続きが読みたいんだけど、書架になかったんだ」
「こちらですか? ちょっと失礼しますね……あっ」
「? なんだ?」
「あ、えと……いえ、なんでも、ないです」
差し出された本の題名を確認して、驚いてしまった。
だってそれは、さっきの書架の……最近私が読み進めているシリーズの本だったのだ。
子供から大人まで、幅広い層に人気のファンタジー小説だから、確か保管庫に10冊以上、同じ巻が所蔵されていたはずだ。
「こちらのシリーズなら、保管庫のほうに在庫があるかもしれません。確認して参りますので、お待ち頂けますか?」
「あ、ああ……」
「では少し、失礼します」
急いでホールへと戻り、リンアードさんへ保管庫を見てくる旨を伝えると、職員用の廊下へと向かう。
保管庫に飛び込んで目当ての本を抱えると、数分で再びホールへと戻ってきた。
駆け足にならない程度に、足音に気をつけ早足で……。
またあの閲覧席に戻ってくると、あの青い妖精がぼうっと窓の外、足下に広がる城下町を眺めながら待っていたことにほっとした。
「お待たせいたしました。こちらの本でよろしいですか?」
「ああ……うん、これだ」
差し出した本をぱらりと確認すると、彼は頷いてすぐ、むっとこちらを睨み付けた。
「……なんだよ。妖精がこんな話読んでて、おかしいか?」
「えっ?!」
いきなり、何言ってるのこのヒト。
突然の発言に驚いて、どう返事をしたらいいものか、困惑した。
どうしてそういう考えになったのかもわからないが、彼がこちらを睨む目には冗談を言っているような色はない。
「いえ、おかしいだなんて、そんなことないと思います!私もそのお話、好きですし――」
「え?」
「え」
「お前……、読んだのか?これ」
「あの……はい、ちょうど最近、このシリーズを読んでます」
「…………」
「これ、面白いですよね!だからあの、えっと――」
今度はじとっとした視線を向けられ、居心地が悪くなってきた。
……よくわからないけれどこれは、機嫌を損ねてしまったのだろうか?
やっぱりこのヒト、苦手だ。何を考えてるのか全然、わからない。
今すぐにでもここから逃げて、ホールへ戻ろうか……とも考えたけれど、思い留まった。
――妖精が、この本を読んでいることがおかしいか、と。
彼がそう言った言葉が、心の隅に引っ掛かっていた。
戻るとしても、これだけは言っておきたいと思った。
彼に向き直り、姿勢を正すとできるだけ落ち着いた声を心がけて、口を開いた。
「あの、ですね……。あくまでも私個人の意見ですけれど。面白い本を読むのに、人間だとか妖精だとかは、関係ないと思います」
私の言葉に、彼がぴくりと肩を揺らす。
長い前髪に隠れて向けられている視線に、戸惑いのようなものが混ざった気がする。
「本もご用意できましたし、私はこれで失礼します。ごゆっくりお過ごしください」
もう一度だけきちんとした礼をして、今度こそホールへ戻ろうと踵を返した時だった。
「――待て」
くん、と服が引っ張られて、足が止まる。
彼にカーディガンの裾を引かれていることに気づいたのは、振り返ってからだった。
私が振り向くと、途端に彼はばっと手を放してしまう。
「……ええと、何か?」
首を傾げる私に、彼は乱暴に自身の髪をわしわし掻き回すと……そっぽを向きながら、ぼそりと何か呟いた。
「…………んだ?」
「え?」
「……だから!……どこのシーンが、面白かったんだ?」
聞き取れはしたが、ぼそぼそと言いづらそうにしている彼を、まじまじと見てしまった。
私がそのまま黙っていると、彼は意外に優しい手つきで、ぽんと先ほどまで彼が読んでいた本を示す。
それでようやく、何を聞かれているのか理解できた。
「あ、ああ!ええと……3巻でしたら、私はあそこが面白かったです。主人公の騎士仲間が、森の中を気づかれないように進んでいる最中の――」
「!あの、魔獣の群れに遭遇するところか!」
「そうです、そこです!あの時の絶対絶命なあの騎士の心情表現とか、もう読みながらどきどきしてしまって……!」
「ああ、あそこはよかったよな。緊張感が伝わってきて。でも、騎士の判断とそこからの流れが予想外なのに、すごく自然で――あっ!」
「あ……」
つい夢中になってしまったが、ここは図書館で、相手はあの感じが悪い妖精だ。
好きな本の感想について話し合うなんて、しばらくしていなかったからつい、本当につい、楽しくなってしまった。
ほぼ同時に我に返った私たちは、しばらく沈黙した。
居心地の悪すぎる静寂の中、ばつが悪そうにしながらも、先に動いたのは彼の方だった。
「おい。……どうせ暇なんだろ。ちょっとここ、座れよ」
そう言って、彼はぽん、と隣の座席を叩く。
「え、でも……」
「大丈夫だ。他の妖精たちは、問題起こしたりしないから。……仕事なんて、そこら辺歩いてるだけだろ。もう少しこの本の話、聞かせろよ」
そっぽを向きながら話すのは、彼の照れ隠しなのだろうか。
長い前髪で目元は分からないのだが、青い髪から覗く尖りぎみの耳が、わかりやすいくらい赤く染まっていた。
焔さんには、何かあったら呼べ、と言われているけれど……別に危険がないなら、少しくらい話していても、いいだろうか。
幸い、使節団のせいで他の利用者はほとんど居ないし、リブラリカの閲覧席では話し声まで禁止されているわけでもないけれど……。
好きな本の話ができる、というのが魅力的で、私はしばらく悩んだが、どうしてもその場を去ることができなかった。
「あの……じゃあ、本当に少しだけ、ですよ」
そう言って私が隣に腰掛けると、彼がぱっと顔を上げた。
前髪の隙間から、綺麗な青が煌めいたのを見た気がする。
結局私たちは、その日の使節団の滞在時間いっぱいまで、その本の魅力についてひそひそと熱の籠もった会話に夢中になったのだった。




