188.染まる頬
妖精の使節団がオルフィード国にやってきてから、2ヶ月が過ぎようとしていた。
シャーロットとライオット王子の婚約は保留のまま、大好きな親友は王城に留め置かれている。
週に一度、妖精の使節団がリブラリカに来て、焔さんやライオット王子、司書たちの立ち会いのもと、書架で自由に本を読んでいる。彼らが来る日は決まって、一般の利用者があまり来ない状況が続いていた。
焔さんはいつも、妖精たちが来る日には、私をリブラリカから遠ざけようとした。
休日ではない日に重なると、わざわざ王城に行かせてシャーロットの話相手を命じたり、何かと理由や仕事を言いつけて、最奥禁書領域から出ないようにさせているのだ。
大切にされているのも、妖精たちに接触させたくない気持ちも、分からないではないのだが……。
「やっぱり、私も一緒にご案内すべきだと思うんです」
「ええぇ……いや、梨里さんには、やってもらいたいことあるし……」
「今日はなんですか?妖精避けのポプリなら昨日大量に作りましたし、薬草畑の見回りと採取、加工は朝のうちに終わらせました。他の司書の皆さんも、利用者がいないから手伝うことはない、と仰ってましたよ」
いつもの朝食後。
向かいに座り紅茶を傾ける焔さんに、ずいっと身を乗り出す。
焔さんはそんな私から遠ざかるように身体を反らすと、明後日の方を見ながらコホン、と咳払いをした。
「いや、あの……あ!そうだそうだ、ちょっとマナブックにして欲しい本があってさ……」
「……焔さん?」
「だって!だって君を、妖精に関わらせたくないんだ!」
じろり、と見つめながら低い声を出せば、焔さんが我が儘をいうように唇をとがらせた。
頬が少しだけ赤みを帯びていて、こんな姿は本当に、可愛らしい少年のよう――なのだが。
今日の私は、これで引き下がるわけにはいかなかったのだ。
「……焔さんが、私を思って言ってくださってるのはわかります。でも、あんな書状まで頂いているんです。私がご案内に参加しないわけにはいかないじゃありませんか」
「で、でも……!でもさ……」
焔さんはまだ、折れたくないようでぶつぶつ言っているが……本当に、今回ばかりは折れてもらうほうが良さそうなのだ。
それは、二日前のこと。
ひょっこりと最奥禁書領域まで遊びに来たザフィア様――身体はライオット王子の彼は、お土産のお菓子と共に、一通の手紙を私へと差し出してきた。
「これ、あのフェイン=ルファンとかいう妖精に頼まれたんだ。君に渡して欲しいって」
「私に、ですか……?」
困惑しながら手紙を受け取る隣で、一緒にお茶をしていた焔さんが、あからさまに不機嫌な目でザフィア様を睨み付けた。
「ちょっとザフィア。なんでそんなもの持ってくるの?」
「お前が嫌がるのはわかってたけどさー、仕方なかったんだよ。ほら、この子王子様だし?仕事くらいさせてあげて、ね?」
「そんな猪王子のことなど知るか」
「えー!そんなこと言わないでよ!僕の血を引く、ほら、こーんなにそっくりな可愛い子孫なんだよ?!」
「それがどうしたんだよ。僕が嫌がるのわかってるんだったら持ってくるなよ」
「そんなに怒るなってー。イグニスー!」
いつものように楽しそうなやりとりをしている二人を置いて、私は手紙の封を切った。
さらり、と手に触れたのは、不思議な感触の便箋。
しっとりと手の平に馴染むような、それでいて、掴んでみるとさらり、ふわりとした感触が指先に伝わる。
開封したときから、きらきらと美しいマナの粒子が沢山こぼれ落ちていて、本能的に、これは妖精たちの世界のものだと悟った。
花の模様の透かしが入った綺麗な便箋には、燃え踊るような赤い文字が揺らめいている。
肩に飛び乗ってきたアルトと共に、マナの輝きで眩しいくらいの便箋を覗きこんだ。
――麗しの秘書殿。
突然お手紙を送る無礼をお許しください。
なかなか会うことが叶わぬ貴女の姿を夢に見て、胸が苦しいです。
またそちらに伺うことの出来る日が近づいておりますが、私たちが再び会うことは叶わぬのでしょうか。
大賢者殿の秘書、リブラリカの、唯一の麗しい花である貴女が居てくれない訪問に、いつも落胆しています。
どうか、わたくしたちに会いに来てはくださらないでしょうか?
お会い出来る日を、いつまでも心待ちにしております。
――貴女の炎、フェイン=ルファン。
一通り文面を辿ってから、隣のアルトを見たら、目が合った。
恐らく、考えていることは同じだろう。
「……ぞわっとした」
「俺も」
やっぱり。
彼らしい、と言えば、彼らしいのだろうか。
少なくとも、数度しか会ったことのない私の中の印象と、ぴったり合うような粘り気のある言い回し。鳥肌が立ったのは私だけではなかったらしい。
手紙を置いて、自分を抱きしめるように二の腕の辺りを摩る。
……さて、問題は中身だ。
取り敢えず、今は中身――この文章に込められた、真意についてだけ考えよう。
隣からふわり、と大好きな香りがしたと思ったら、彼の腕が手紙へと伸ばされる。
私が読んだばかりの手紙を、どれだけ触りたくないのか、指先で摘まむように持ち上げた焔さんは、文面を目でなぞり、ふんっと鼻息荒くテーブルへ叩きつけたのだった。
……と、そんな事があった先日だ。
あの時の手紙を取り出して、テーブルの上に置くと、それを見た焔さんがあからさまに嫌そうな顔をした。
「焔さんも読みましたよね?……あちらは、大賢者の秘書という立場である私が同席しないことに、不満なんですよ」
そう、あの手紙の裏を読むと、そういうことになる。
どんな意図で不満なのか、というところまではわからないが……使節団の来訪に、秘書が同席しない、その部分を指摘されたなら、こちらも今まで通り、焔さんの言う通りにし続けるわけにはいかなくなる。
「私は、大賢者イグニス様の秘書です。国賓として接待を受けている彼らに、失礼をするわけにはいかないと、私は思います」
「…………」
「シャーロットのいないこのリブラリカを、私が守らなくちゃって……そう、思うんです。代理としてユリーシアさんがいらっしゃいますが、彼女だって慣れない仕事に忙しくしてます。何より……私も、大賢者様の秘書として、お客様をお迎えしたいと思っています」
「梨里さん……」
「焔さんが、妖精たちに関わって、私に危険がないか心配してくださってるのは分かってます。ちゃんと気をつけます。何かあったらすぐにお話します。だから……」
「――本当に?」
不意に顔を上げた焔さんが、長い指で私の髪をさらりとすくい上げた。
「本当に、ちゃんと話してくれる? きちんと気をつけてくれる?」
不安いっぱいの迷子のような瞳に見つめられて、鼓動が跳ねた。
――こんなに弱気な焔さんは、珍しい。
だから私は、にっこりと笑顔で頷いた。
「はい、お約束します。……心配しないでください。私、好きな人のお願いは、無視できません」
思い切った発言をしたと、自分でも思うが……どうせ相手は焔さんだし。
大した反応もなく、流されるだろうと思っていた。
しかし――。
「あ――……」
途端に焔さんが息を呑んで、その白い頬がほんのりと薄く、色づいたのを見てしまった。
――え、何。
予想外の反応に、激しく動揺する。
こっちまで釣られて真っ赤になってしまいそうで、慌てて長椅子から立ち上がった。
「――っと、とにかく!そういう事ですので、今日の使節団訪問には立ち会います!い、異論は――どうしてもなら後で聞きます!じゃあまた後で――っ」
「あ、ちょ、梨里さ――」
背中に掛かる声を閉め出すように、焔さんの執務室の扉を閉めた。
な、なんなの、今のは――っ?!
まるで、意識でもしているかのような。
慌てて首を振って、淡い期待を追い出す。
そんな訳ないじゃない。
一度きっぱりと振られているのに、そんな――。
「突然……やめてくださいよ」
本人に聞こえるわけなんてないのに、小声でひとりごちる。
ドキドキと騒ぐ心臓を必死に宥めながら、私はひとまず、妖精の使節団たちを受け入れる準備をしようと歩き出した。




