16.初めての魔道具
いつもブクマ、評価頂いてありがとうございます!
このお話からロイアーの秘書指導教室、始まります……!
午前中にちょっとした騒動はあったものの、無事にブランチを済ませた私と焔さんは、待ち合わせのために面会用のあの個室に来ていた。
モニカからもらってきた紅茶を飲みながら、待つこと数分。
「お待たせして、大変申し訳御座いません」
ノックの音がして、室内へと入ってきた彼女は以前のように綺麗にスカートを広げ、こちらに頭を下げた。
慌てて立ち上がり、彼女へ頭を下げる。焔さんはソファに優雅に腰掛けたままフードの奥で軽く微笑んだ。
「いや。忙しい合間に申し訳ないねロイアー。座ってくれ」
「失礼致します」
焔さんと私が並んで座るソファの向かいに、ロイアーは綺麗な所作で着席する。
そんな彼女の口角が、僅かに上がっているように見えた。
「それで、大賢者様。私にご用と窺いました。何なりと仰ってくださいませ」
声が少し明るくて、柔らかい感じがする。
なんだか、嬉しそうに見えるのは気のせいだろうか。
「うん。先日君が言っていた、リリーの指導をお願いしたいのだけど、どうだろう?」
「そのことで御座いましたか。……無礼を承知でお尋ね致します。あの時、イグニス様からは許可を頂けなかったものと記憶しておりますが、今になって何故、その命を?」
「僕の意思ではないんだ。彼女が自分で、学びたいと言うものだから」
「彼女が、ですか?」
ロイアーの視線が、こちらに向けられた。
じっと見つめ合う形になった青い瞳は、落ち着いて見てみればとても澄んでいてまっすぐだ。
ふと、自分の机に置いてきたあの絵本を思い出す。……彼女にも、背を押してもらったのだ。
もらった気持ちにちゃんと応えたい。
「……はい、私自身の意思で、この世界についてご指導頂きたいとマスターにお願いしました」
少し緊張していたが、発せられた自分の声は思ったほど震えていない。
そのことにほっとしたのもつかの間、彼女は青い瞳をすっと細めて唇を開いた。
「……ひとつだけ、先に聞かせて頂きたいのですけれど。貴女はどうしてこの世界を学びたいとお考えになりましたの?」
「え?」
「ただの興味本位だったり致しませんか?指導をするにあたり、何をどこまで面倒をみるのか、教えを請う貴女の姿勢によって変わってきます。貴女は私から、一体何を、何のために学びたいのです?」
怒っているとか、責めているとか。そういうのとは違った真剣な声が、静かに問いかけてきた。
私もきちんと答えなきゃいけない。無意識に、ソファの上で背筋を伸ばした。
「私は……ロイアー様もご存知の通り、別の世界から来ています。この世界のことを何も知らないまま今日まで過ごしてきました」
ぎゅっと、膝の上で拳を握る。
「でも、こちらの世界で過ごすようになって、このままじゃいけないと思ったんです。今の私の立場にふさわしいだけの知識が、欲しいです」
強くこちらを射貫くような彼女の青い瞳から、目を逸らしてしまいたい。
こうして他人の目を見て話すのなんて、大の苦手だ。
――それでも。
あの絵本を、きっかけをくれた彼女から、逃げたくない。
今にも俯いてしまいそうな顔をぐっと上げて、こらえた。
「私は――、これからも『大賢者の秘書』という立場でいるために、この世界のことや、立場に見合った知識を学びたい、です」
「……」
私の精一杯で、彼女の沈黙の間も目を逸らさずにいた。
隣の焔さんは黙ったまま成り行きを見守っているし、アルトは窓枠でぼんやり外を眺めている。
肌がびりびりするくらいに、痛いほどの沈黙だった。
「……大変よろしい覚悟をお持ちですのね」
何十分にも感じられるような、実際はほんの数分の沈黙の後。
彼女は僅かに表情を緩めて、いいでしょう、と頷いてくれた。
「わかりました。貴女がイグニス様の秘書でいるためと、そう仰るのでしたら。私は、貴女がその立場に見合うくらいになるよう、ご指導を致しますわ」
「!ありがとうございます!よろしくお願いします、ロイアー様」
安心したのと嬉しいので、一気に身体の緊張が緩んだ。
笑顔で頭を下げると、頭上でぷい、とロイアーがそっぽを向いた。
「……私の名に、敬称はいりません。この図書館内での階級は、私も貴女もそう変わらないのですから」
「で、でも、これから指導を頂く立場なので……」
「私は、貴女のことをリリーさん、とお呼びします。貴女も、私に敬称はつけずお呼びなさい」
「……えっと、それなら……ロイアーさん、でよろしいですか?」
「ええ」
ロイアーが満足そうに頷く。
焔さんがロイアーに、指導の時間等について細かく指示して、その日は解散となった。
「それでは、イグニス様。失礼いたします」
「うん、時間取ってくれてありがとう」
去り際、焔さんに対してまたきっちりと礼をとったロイアーは、続いて私に向き直って綺麗な微笑みを見せてくれた。
「リリーさん、どうぞよろしくお願いしますね」
「はい!ご指導の際はお願いします!」
青いスカートの裾が、ひらりと翻って扉の向こうへ消えていく。
最後に見せてくれた彼女の微笑みが、なんだかとても嬉しく感じた。
午後の残りの時間は、いつも通り自分の机周りで過ごし、焔さんと夕食を済ませて早めに自宅へ帰宅した。
「……ふう」
ベッドに潜り込む前のちょっとした時間に、ふと携帯電話の画面が目に入る。
「あれ」
また、メールの通知が来ていた。
今日は珍しく、沢山連絡が来る日らしい。
「あ……」
メールの中身を確認して、思わず声が漏れる。
それは、あの古本屋『路地裏』の店長、佐久間さんからだった。
息子さん夫婦と暮らすようになって、あの頃とは違う楽しみが出来た、元気にしている、と近況が綴られていて、文末では私を気遣う言葉がちらほら見える。
最後は、新しい本を作ったらまた読ませて欲しい、と締めくくられていた。
――嬉しい、な。
『路地裏』は無くなってしまったけれど、こうして佐久間さんとの繋がりは続いている。
私がただ目的もなく書いていた小説を初めて読んで、本という形にすることを進めてくれたのも、佐久間さんだった。
毎回私の書いた小説を読んで、また次も楽しみだと言ってくれることに、どれだけ支えられてきたのだろう。
ほわりと胸の中心が温かくなったように感じる。
「――お?なんだ、寝るんじゃないのか?」
椅子を立った私がベッドに向かわずノートパソコンを取り出したのを見て、既にベッドで丸まっていたアルトが首を傾げた。
「うーん。……ちょっとだけ」
はにかむように笑い返して机に向かうと、私はパソコンの電源ボタンを押した。
まだ、夜は長い。
今はもうちょっとだけ、書きかけの物語に向き合っていたい気分だった。
ロイアーから指導を受ける、初日。
あらかじめ指定されていたあの小部屋をそっと覗き込むと、すでに彼女の姿があった。
「お、おはようございます!あの、よろしくお願いします」
「あら、お早いのですね。おはようございます、リリーさん」
彼女は一瞬意外そうな顔をして、すぐにいつも通りの綺麗な礼を見せてくれた。
「お約束した時間より早く行動なさるのは、とても良いことですわ。お相手を待たせないことは、淑女として大切なことです」
「はい」
実際に約束した時間よりもだいぶ早めに来たのだが、どうやら正解だったようだ。
「早いけれど始めましょうか。まずはこれからの事についてお話しますので、どうぞそちらに掛けてください」
「では、失礼します……」
多少緊張しながらも、ロイアーの正面のソファに座る。
すっと彼女が机の向こうから、こちらにノートとペンを差し出してきた。
「まずはこちらを差し上げます。お勉強をするというのなら、メモは必須でしょう?」
「わ、ありがとうございます」
こちらの世界の、ノートとペン。
仕事中はずっとあの場所に籠もっていたため特に必要性もなく、今日持ってきたいと思っても手に入れる場所すらわからなかったから、もらえるというのは本当にありがたい。
受け取ったものは、手のひらくらいの大きさでページの多いノートと、シルバーで出来た華奢な細工のペン。
2つを手に取って、ふと違和感に気づいた。
ノートはいいとして、このペン。確か、いつもの領域の私の机にも備え付けで同じようなものがあったけれど……。
色々な角度からしげしげと眺める。……やっぱりだ。
このペンにはキャップもついていなければ、ノックをする場所も、万年筆のようなインクをつけておくような場所も見当たらない。
細かい細工が美しいし、見た目はアンティークの付けペンのようだけれど。どうやって使うのかが、わからないのだ。
試しに、ともらったばかりのノートを開いて、1ページ目にそっとペン先を引いてみる。
「……」
予想通り、ペンの先が触れた場所には、何も変化がなくノートは無地のままだ。
「そのマナペンの使い方は、ご存知ないようですね」
その声に顔を上げると、ロイアーさんが私の手元をじっと見ていた。
「マナペン、というのですか?」
「ええ。魔力を使って筆記をする、魔道具のひとつです。これを使えませんとお勉強にはなりません。……では、最初の授業です」
そう言って、ロイアーが制服のポケットから小さなノートと似たようなペンを取り出した。
「よく見ていてくださいませ」
身を乗り出すようにして、ノートにペンを立てるロイアーの手元を見つめる。
すっと静かに引かれたペン先は、ノートの上に明るい空色の綺麗な線を引いていた。
「あ!」
よくよく見れば、手元で握られているペンの周りにはいつか見たようなとても小さな光の粒が舞っている。
「見えたようですわね。このマナペンは、自身の魔力をインク代わりに紙に定着させ、筆記をする道具なのです。勿論、一般の方々には魔力が無い方もいらっしゃいますから、そういった方向けにはインクをペン先につける形の筆記具も存在します。ですが、この図書館で働く職員は全員魔力を持っている者たちですから、このマナペンを使用するのがここでの普通なのですわ」
「自分の魔力が、インクに……」
「貴女も、マナジェム持っていらっしゃるでしょう?ジェムが色づいたということは、魔力がある証です。貴女にも、使えるはずですわ」
私にも、使える……?
手にしたままの真新しいマナペンを見つめる。液体のインクがいらない魔法のペンだなんて、なんだかとてもわくわくする。
「まずはそのペンを使えるように致しましょう。筆記ができなければ、大切なことをメモすることもできませんから。……ペンは、普通に握っていただいて大丈夫ですわ。そうです。力む必要もありません」
ロイアーの指示に従って、再び手元のノートにペンを構える。
「初めての時に大切なのは、意識することです。このペンで、文字を書く。そういう意思を強く持って、ペン先に集中してください。さあ」
このペンで文字を書く、という意思を。
ペン先を見つめて、集中する。
さっきロイアーさんが見せてくれたように、私もこのペンで、文字を書いてみたい。
私の気持ちに反応するように、ちらちらと、マナペンのシルバーの軸に青い光の粒が舞い始める。
すっと引いたペンの先。
「わ!」
とても薄かったけれど、青い線が1本ノートに引かれていた。
「そうですわ。その感覚を忘れず、安定するまで続けてください」
「はい!」
しばらくしてノートの1ページ目が埋まるくらいになった頃には、私のマナペンの先からは鮮やかな青い線が生まれるようになっていた。
「そろそろ良いでしょう。では、これからの方針をお話致します」
使えるようになったばかりのマナペンで、メモを取っていく。
「当面の目標は、ひと月後の王陛下主催の舞踏会までにこちらの世界の常識と知識、さらには淑女としての社交マナーを身につけていただくことです。あまり時間はありませんが、貴女のせいでイグニス様が恥をかくような事態など、私は許せませんので……何が何でも、全て身につけて頂きますから。お覚悟なさってくださいませ」
「……、常識、知識、社交マナー……え?」
一生懸命メモを取っていた私は、耳に届いた不穏な言葉尻に恐る恐る視線を上げた。
ロイアーが、今まで見たことのないような底知れないにっこり笑顔でこちらを見ている。
「リリーさん、お返事は?……お覚悟、できてますのよね?」
「……えっと……、その、はい……」
美人の笑顔がこんなにも黒く見えたのは初めてかもしれない。
じわりと変な汗が滲む。反射的に首を振ってしまいそうになったけれど、この時の私には頷く以外の選択肢は用意されていないようだった。
私の消え入りそうな返事を聞いてすぐ、彼女の形の良い眉が片方、ぴくりと上がる。
「お声が小さいですわ。姿勢も悪いですわね。しゃんと背を伸ばして……そう、立場のある淑女ならば、しっかりはっきり、発言なさい」
「は、はい!」
「よろしいでしょう。今後も忘れずにいてください」
前途多難、という言葉が頭をよぎった気がするけれど、敢えて見ないふりをする。
知りたいと思ったのも、指導を受けると決めたのも自分なのだ。
自分にできる精一杯は頑張ろうと、ぐっとマナペンを握りしめた。




