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【WEB版】大賢者様の聖図書館  作者: 櫻井 綾
第3章 美しき華炎の使者

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174.その青にご注意<1>


 そろそろ帰らなくては、とシャーロットの部屋を出たのは、すっかり夜になってからだった。

 侍女について廊下を歩きながら、隠れてため息をつく。

 ……こんなに遅くなっちゃって、焔さんに叱られるよね……。

 もう夜だというのに、城の中は人通りが多い。

 警備の騎士達だけでなく、侍女や侍従も多く行き交っているようだ。

 そんな中、ちらりと遠くの廊下の角を、ふさふさしたものが横切ったように見えた気がした。


「あ……!」


 そうだ、すっかり忘れていた。

 ヴィオラと一緒に来たんだから、帰る前に合流しないと……!


「秘書様?どうかされましたか?」


 前を歩いていた侍女が、私の声に首を傾げる。


「あっ……えっと、その……」


 見れば、正面玄関のホールはすぐ目の前だ。

 このまま行ったら、ヴィオラを城に残したまま、帰りの馬車に乗ることになってしまう。


「あのー……そ、そう!申し訳ないのですが、帰る前にもう一度、応接室で休ませていただいてもよろしいでしょうか?」

「え、ええ、構いませんが……。大丈夫ですか?どこか具合でも……」

「いえいえ!あの、ちょっとだけ緊張していて、疲れてしまったというか……少し休ませてもらえれば大丈夫なので!」


 侍女に戸惑われながらも、なんとか応接室に案内してもらえた時には、心底ほっとした。

 いつでもお呼び下さい、と言って侍女が出て行くと、大きなため息をついて長椅子に崩れ落ちてしまった。


「あ、危なかった……」

「危なかったというか、不審者だけどな。完全に」


 呆れたアルトの声がしたと思ったら、ブレスレットの宝石からしゅるり、と黒い影が現れる。

 影は滑らかに空中を漂って、猫の形に固まった。

 声の通り、呆れきった紅い瞳がこちらを見つめた。


「だって、ヴィオラを置いて帰るわけにいかないじゃない」

「あいつなんぞ放っといたって、自分でなんとかするだろ」

「……後で何言われるかわからないでしょ」


 じと、と睨み返して言うと、アルトは目を泳がせながら、小さく応えた。


「……まぁ、確かにな」

「だから探すの。行くよアルト」

「ったく仕方ねえな」


 立ち上がって手を伸ばすと、アルトがひょいと肩に上ってくる。

 そのまま部屋を出ようと扉に手をかけて、そうだ、と思いついたことがあった。


「あ。あの魔術使えるかな?」

「ん?」


 焔さんに教えてもらった、簡単な魔術がいくつかある。

 水を得意属性とする私が使えるものの中で、こんな時にこそ使うべきものがあったじゃないか。

 集中するために目を閉じて、すうと深呼吸。

 身体の中の、暖かな力を意識して……薄い膜を思い浮かべて、その膜で全身を包むように……。

 これは、薄い水の膜を作り、自らの存在感をぼやかす魔術だ。

 まだ完全に姿を隠すことはできないけれど、気を付けて見ようとでもされなければ、すれ違う人たちにばれることもない、はずだ。

 暖かい力が十分広がった感覚の後、最後に小さくぱちん、と、泡が弾けるような音がしたら、魔術が完成した合図。


「どうかな?」

「おお、だいぶ上手くなったな。さすがは大賢者イグニスの秘書殿」

「やめてよそういうの……」


 アルトとひそひそ声で話しながら、静かに応接室を後にする。

 ばれないかどきどきしながら、できるだけ物音を立てないようにそっと歩いていく。

 廊下ですれ違う人は沢山いたけれど、誰ひとり、フラフラと歩く客人には気付いていないようだった。

 ――よかった。私の魔術、ちゃんとできてる!

 その事実に、少しだけ自信がつく。

 さあ、この調子でヴィオラを探さないと。

 ……さっきはこの辺で、ヴィオラを見かけた気がするんだけど……。

 ふさふさを見たと思った角のあたりまで戻って来てみたものの、そこには何もない。


「ねえアルト。ヴィオラの居場所、わからない?」

「わからんでもないが、イグニスの使い魔じゃないからな、あいつ……。同じ眷属じゃないと、はっきりとはわからんぞ。何となく、あっちだと思うが」

「あっちね」


 何となくでもいい。

 今はただ、早くヴィオラを見つけて、リブラリカに帰らなきゃ。

 応接室に誰もいないのがばれても、面倒なことになりかねないし……。

 そんな焦りもあって、それまでよりは少し大胆に、城の中を小走りに駆け回るけれど。

 しばらく走り回っても、どうしても、ヴィオラの姿を見つけられない。


「もう、すぐに戻るって言ったのに……」

「だからあいつは信用できないんだ」


 愚痴をこぼし合いながら、広い城の中を彷徨う私たち。

 もう諦めて帰ってしまおうか――そんなことを本気で考え始めていた、その時だった。


「!おいちょっとまて……!」

「え?」


 角を曲がろうとした私に、アルトが急に叫んだ。

 しかし間に合わないまま、私は角を曲がりきってしまう。


「……ぁ!」


 その先で叫びそうになってしまい、思わず口を押さえた。

 誰もいない廊下の途中で、綺麗な青い妖精が蹲っていたのだ。

 美しい羽は、少し苦しそうにしわが寄ってしまっている。

 丸まった背は、微かに震えているようだった。

 ど、どうしよう……!

 焔さんからは、妖精と会わないよう気を付けろと言われていたのに。

 驚いて止まりかけた頭で、このまま回れ右して逃げてしまえば――と考えた。


「……リリー、こっちに気付いていないみたいだし、ほれ、今のうちに」


 アルトが小声で囁いてくる。

 小さく頷き返して、1歩、2歩と後退りした。

 ……のだけど。

 目の前で苦しそうにしている背中を、妖精だからと見なかったことにはできなかった。

 周りを見渡すけれど、なぜかこのあたりには侍女や侍従がいないようだ。

 人を呼ぶことができないのなら……仕方がない。

 ぐっと、覚悟を決めて、肩の上のアルトに小さく言った。


「ごめん。見なかったことにして」

「は?……っておい!」


 走り出したのと同時、集中をとくとぱちん、と耳元で音がする。

 姿をぼやかす魔術が解けたのだ。

 そのまま、蹲っている妖精の元へと駆け寄ると、傍に膝をついた。


「あの!大丈夫ですか?!」

「……?!お前……」

「え?」


 妖精の肩に触れると、はっと顔を上げた彼が、長い前髪から覗く青い瞳を丸くした。

 目があった途端に、心配して声をかけたことを少し後悔しそうになる。

 この妖精……!リブラリカで、私をにらんでたひとだ!

 彼も驚いたのか、呆然とこちらを見ていたけれど、すぐ我に返って私のことを軽く突き飛ばした。


「いた!」


 あまり力は入っていなかったけれど、バランスを崩して小さく尻餅をついてしまう。


「ちょっと、何するんですか!」

「……うるさい、お前、なんでここに」


 彼は、私を突き飛ばした反動か、壁を背に座り込んでいた。

 肩口で切り揃えられた青い髪が、冷や汗をかいた頬に張りついている。

 この距離で見ると、本当に顔色も悪いし、息も乱れて苦しそうだ。

 ますます放っておけなくなって、怒りをぐっと堪える。


「……用事があっただけです。私より、貴方、すごく苦しそうですけど。どうしたんですか?人、呼んできますか?」

「いい。うるさい構うな」

「うるさいって……そんなに具合、悪そうなのに」

「人間にどうにかできる事じゃ……」


 無愛想に失礼なことばかり言っていた彼は、そこで不意に言葉を切った。


「いや、この匂い……」

「?匂い?」


 突然何を言い出すのか。

 特に何かの匂いがしている訳でもないし、見るからに不調そうな彼が何を欲しているのかもわからない。


「リリー、こんな奴放っておけって。こんだけ口が回るなら、死にやしないだろ」

「でも……」


 確かに、こちらが心配しているというのにこんな言い方されるし……やっぱり、人を呼んで終わりにしてしまった方が良いかもしれない。


「……じゃあ、私ちょっと――」


 人を呼んできます、と立ち上がろうとした――その時。


「待て」


 突然伸ばされた彼の手が、私の腕を掴んで、ぐっと引き寄せた。


「わ……!」


 突然のことに再度、バランスを崩した私は、彼の背後にある壁に手をつく。

 きらきらと、不思議な揺らめきで輝く宝石のような瞳が、至近距離で私を睨みつけていた。


「お前、水の魔術、使えるだろ。今ここで、水、出して見せろ」






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