168.男同士の作戦会議
「……で、どうして呼び出されたのか、教えてもらってもいい?」
がやがやと活気のある、夜の『アヒルのくちばし亭』。
その奥にある個室のひとつで、俺は再びオリバーと食事をしていた。
夕方に梨里経由で彼からの呼び出しを受け、一緒に食事してほしいという彼の頼みを渋々了承した訳だが……。
元々、俺はあまり外出を好まない。
短期間で何度も外出し食事をするというのは、正直なところ勘弁してもらいたかった。
「どうしてって!作戦会議だよ、作戦会議!!」
どん、と勢いよく酒のグラスをテーブルに置いて、既に少々酔っているオリバーが、ずいと身を乗り出してきた。
……こいつ、もうだいぶ酒臭いな。
まだ店についてからそんなに時間も経っていないのに。
そっと後ずさる俺を気にもとめず、オリバーは拳を握りしめ、力強く続ける。
「いいか、イグニス……!シャーロットは城に行っちまって、状況は悪い方向にばかり向かってる。だが!幸いにもあの妖精達のおかげで、正式な婚約自体は流れたんだ!」
「……ああ、まあ、そうだね」
「これはチャンスだろ?まだ猶予があるってことだ!」
「で、君はその猶予の間に何をするんだ?」
俺の問いかけに、オリバーは一瞬考え込むような素振りを見せてーーすぐに、にこりと笑顔になった。
「それを話し合うために、こうして集まったんだろ?」
「いや、僕は呼び出されただけだし……。僕には案なんてないよ、もう」
肩を竦めてみせれば、「わかってる」と彼はまた笑った。
「イグニスには、あの夜、ああ言ってもらったからな。あー、なんだ……別の良い案が浮かぶまで、気晴らししよう。な?」
「気晴らし、ね……」
まぁ、この店の料理は美味しいし……気分転換だと思えば、付き合うのも悪くはない、のだけど。
大衆向けの酒場なだけあって、いくら個室でも騒がしいことこの上ない。
物音がしない、静寂に包まれた最奥禁書領域とは正反対の場所だ。
「お!このピラフうまいな!イグニスも食えよ」
「ああ。……ん、ほんとだ」
「な!」
うん、確かに旨い。
じゅわっと口に広がる肉汁は、サイコロ状にカットされている肉か。
コクのある深い味だが、思いのほかさっぱりしていて食べやすい。
オリバーが雑に渡してきた分を、もぐもぐ噛み締める。
うーん、という声に顔を上げると、オリバーはもう、自分の皿にお代わりを追加しようとしているところだった。
「本当にさ……難しいよな。気持ちを大切にするって」
「…………」
「今日、ユリーシアにさ。俺のマナペン、あいつへ送ってもらうよう頼んだんだ」
「オリバーのマナペンを?」
「うん。前に、城下街の文具屋行ったことあったろ?あの時、あいつが選んでくれたマナペンをさ」
「それは……」
マナペンを贈り合う、ということが、貴族の恋人たちの間で流行だということは知っている。
だが、オリバーが彼女に選んで貰ったマナペンを、彼女へ送る、というのは――。
どういう意味になるのだろう。
困惑しているのが顔に出ていたのか、オリバーは苦笑して首を振った。
「特になんか、意味があるわけじゃないぞ。……でも、そうだな。意味を込めるなら……」
「込めるなら?」
「……ごほん。そんなとこまで言わせんな。恥ずかしい」
そこまで言っておいて、オリバーは酔いとは違う何かで頬を赤くしながら、ぷいと顔を背けてしまう。
「イグニスが考えて。どうせ簡単に分かるだろ」
「……わからないよ」
ぽつり、と。
気がつけば、素直にそんな言葉が、唇から零れていた。
「僕には……わからないよ。そういう、恋愛のこと」
「――――」
オリバーのほうは、見られなかった。
大賢者などと大袈裟に呼ばれていたって、いくら偉そうにしていたって……何百年と生きていたって、わからないものはわからないのだ。
利害だけで事を考えられない、複雑さ。
理屈ではないという、感情の動き。衝動。
そんなの――どうやって理解しろというんだ。
オリバーは、恋愛ごとで問題を抱えているっていうのに、それを理解できない俺が、作戦会議だなんだと……役に立つはずもないのに。
少し腐ったような気持ちで手元のグラスを見つめる俺の肩を、オリバーの手が優しく叩いた。
「わかんないならさ。これからわかればいいってだけの話だろ」
「そんなこと言ったって……」
「イグニス、本好きなんだろ?なら、恋愛小説でもなんでも読んでみたらいいじゃないか」
「僕だって、そういう本を読んだことぐらいはあるさ。……けれど、表現としては理解できても、内容に共感まではできないんだ」
「んー、誰だって最初はそうなんじゃないか?……恋愛なんてさ、してみなきゃわかんねーよ。こんな複雑な気持ち」
「……なら、僕にはずっとわからないな」
「どうしてだ?イグニスだって、誰かを好きになったりするかもしれないだろ?」
「僕は――誰も、そういう好きにはならないと、決めてるから」
「――……」
梨里意外には、話したことのない胸の内。
呆れられるか、溜息でも吐かれるか……そう思っていた沈黙の後。
個室に響いたのは、オリバーの笑い声だった。
思いがけない反応に、目を丸くする。
オリバーはからりと気持ちの良い笑顔で、ばんばんと俺の背中を叩いてきた。
「本当にイグニスって、知らないんだな。そんなこと決めてたって、恋愛なんていうのは、どうにもならないもんなんだよ」
「どうにもならない?」
「好きになるのなんて、気がつかないうちに一瞬だよ。気づいた時にはもう手遅れ。好きにならない、恋愛なんてしない……なんて言うやつに限って、一度惚れたらとことん惚れ込んだりな」
「……そういう、ものか」
確かに、似たような言葉をどこかの書物で見かけた気がする。
恋は、するものではなく落ちるもの――そんな言葉もあったような。
自分の意思ではどうにもならないなんて、そんなの――俺は知らない。
「やっぱり、わからないな」
溜息を吐く俺に、オリバーは気を悪くするでもなく、美味しそうな野菜とチーズが挟んであるサンドイッチを差し出してきた。
「そんなにわからないって言うなら、さっきも言ったけど、改めて読んでみたらどう?恋愛小説。今ならわかることがあるかもしれないだろ。なんなら、今城下で流行のやつ貸そうか?」
「いや、本なら沢山持ってるし……」
「そう言うなって。一昨日発売されたばっかりの新作なんだよ。今平民に人気の、新鋭の作家でさ……貴族の中にも、ちらほらと隠れファンが多いんだ」
平民に人気、新作、新鋭の作家――という単語に、ぴくりと指先が跳ねた。
確かにここ最近は、ロランディアに行きっぱなしだったこともあって、この世界の流行の本について、調査する時間を取れていなかった。
人気の本、というだけで、読みたくなるのは本好きの性か。
まぁ……改めて、恋愛小説を読んでみるというのも、悪くないかもしれない。
オリバーの言う通り、何か新しい気づきがあるかもしれないし。
わくわくとこちらの返答を待っているオリバーの手前、僅かな気恥ずかしさを隠してこほん、と咳払いをした。
「……そんなに人気だというなら、読んでみるか」
「そうこなくっちゃ!受け渡しはどうする?明日、リリーに渡せばいいか?」
「あ……!い、いや。僕が直接受け取るから。そうだな、朝応接室に来てくれるか?気配で分かるから」
何故か、リリーに恋愛小説を仲介させる、というのが、とても気まずく感じた。
そして、そんな俺の反応を見て、オリバーはどういうわけか、笑いを堪えているようだ。
その様子に、ちょっとだけムッとした。
「ははは、わかったわかった。明日の朝な。持ってくからよろしく」
「ああ……助かる」
そこで一度、会話が途切れて、オリバーと俺は目の前の料理の山へと手を伸ばす。
美味しいサンドイッチをもう一つ手に取りながら、ふと個室の入り口の方へと目をやった。
普段来ないような場所。
リブラリカのモニカが作るものとは違う味付けの、美味しい料理と酒。
ざわざわと活気のある、沢山の人の気配。
隣には、楽しそうに食事をする男性の友人。
ああ――まるで、ザフィアと過ごしていた日々に感じていたような、そんな温かさだ。
昔を思い出してしまい、ほんの少し胸に痛みが走るけれど――。
「おお……!イグニスイグニス!これ、これすっごい旨い……!」
「そんなに?……僕にもひとつくれる?」
――痛みを感じてもなお、温かいな、と。
素直に思えるくらい、不思議な居心地の良さを感じていた。




