159.どたばた朝模様
週末が終わり、再びやってきた平日の朝。
あんなふうに、焔さんをシャザローマに置き去りにして帰ってしまった手前……。
「顔を合わせるのが、気まずい……」
「そりゃそーだろーよ」
呆れた、というようにアルトが器用に肩を竦めてみせた。
これまでだって、顔を合わせるのが気まずい朝なんて何度もあったけれど……今回が一番、うんと気まずいと思う。
それでもしっかり時間通り、きちんと食堂で朝食を受け取って、恐る恐る焔さんの執務室へと向かった――のだが。
「……ん?」
普段とは違う景色に、扉へと向けていた歩みを止めた。
いつもならばしっかりと閉まっているはずの、執務室の扉。
それが今朝は、中途半端に開いている。
「開いてる……?」
「開いてるな」
引きこもっているのが好きな焔さんにしては、珍しい。
閉め忘れた……なんてことは、ないと思うのだけど……。
「焔さん、扉開いてますけど……――」
アルトを肩に、部屋の中をのぞき込んで……その場に居るはずのない人の姿に、悲鳴を上げる代わりにびくりと飛び上がった。
「え……」
食べ終わった食器が、テーブルの上に放置されている。
2人分のティーカップが対面に置かれていて、長椅子のこちらとあちらに、ひとりずつ成人男性が寝転がっていた。
片方は、見覚えのある黒い三つ編みが毛布の間から覗いている……間違いなく焔さんだろう。
うん、あの芋虫のような丸い膨らみ方はいつも通りだ。
……で、だ。
問題の、もう片方の成人男性のほうへと近づいていって、どうしたものかと溜息をついた。
長椅子に座ったままの姿勢で、腕を組み俯くようにして眠っている男性。
ふわふわした美しい蜂蜜色の髪に、上等な白と金の上着。
ここまで近づいても、緊張するような鋭いマナは感じないから……恐らく、【彼】ではない。
顔を見なくても分かるほど、親しい友人のひとりだ。
一体いつの間に来て、いつから居座っているのか……いや、問題があるわではない……のだが……。
……いや、あるか。問題。
一国の王子が、従者も探しに来ることができないようなこの場所で寝落ち、というのは……だいぶまずいのではないだろうか。
なんてこと、私が困っていてもなんにもならないけれど。
「……とりあえず、」
ひょい、とテーブルにのり上がって、器用に食器を避けながら歩くアルトが、ひょんと尾を振ってこちらを見上げる。
「朝食、もう一人分取ってくるか。こいつら起こす前に」
「……それが良さそう」
今この状況では、そうするのが一番最善に思えた。
二人を起こさないよう慎重に、テーブルの上の食器を片付け、急いで食堂へとんぼ返りする。
戻ってきた私とアルトに、モニカは目を丸くしたけれど……事情を話すと、すぐにもう一人分、食事を用意してくれた。
「そういえば、確かに……昨夜の夜番のスタッフがね、大賢者様が来たって大騒ぎしていましたわ。2人分の食事をご用意したと聞いていたから私、てっきり貴女と大賢者様で夜食を召し上がったのだとばかり思っていたのだけど」
「あ……そうだったんですね。すみません、ご迷惑を掛けて……」
「いえいえ!いいんですよ!私たちはそれが仕事ですからね。……はい!おまけにビスコッティも入れておきましたから、美味しく召し上がってくださいな」
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、また急いで執務室へと戻ってくる。
再び扉を開けると、今度は焔さんが身を起こして待っていた。
「あ……。梨里さん。おは、よう」
「……おはようございます。その……」
ぎこちない挨拶に、こちらもつい足を止めてしまう。
けれど、動揺したのは一瞬だった。
すうと息を吸って、彼より先に頭を下げる。
「あの、先に帰ってしまって、すみませんでした」
「あ、いや!気にしていないから、梨里さんも気にしないで欲しい。というか……ごめん、僕も、その……色々わかっていなくて、悪かった。君の気分を害してしまって……本当に、ごめん」
「焔さん……」
彼もこちらに、真摯に頭を下げてくれていた。
顔を上げた焔さんは、沈んだ様子をみせながらも、真剣な目でまっすぐにこちらを見て言葉を続けた。
「……申し訳ないことに、あの時、わからなかったこと……まだ、僕にはわからなくて。それでも、僕に理解できなかった何かが、君を傷つけてしまったことは、わかってる。これから、それを理解できるように努力することにしたんだ。だから……僕に少し、時間をもらえるかい?」
その不安げだが意思のある眼差しと、縋るような声音に、ずっと心の奥の方で感じ続けていた鈍い痛みが、わずかに和らいだような……軽くなったような気がした。
私が傷ついたことについて、真摯に向き合おうとしてくれている。
私は勝手に、好きになった人に裏切られたような気持ちになっていたけれど……彼が私に歩み寄ろうとしてくれている事実に、今度は嬉しくなる。
恋というのは本当に……気持ちの浮き沈みが激しくて、心が忙しい。
そっと己の胸に当てた指先は、あたたかかった。
「……ありがとうございます。待っていますね」
「……うん」
考え方や、意見が食い違った後だとしても、そっと微笑み合うことが出来た。
ただそれだけのことが、本当に幸せに感じられた。
「――さて、話は終わった?」
「わ……っ!」
そんな中。
突然横合いから掛けられた声に、今度こそその場で飛び上がった。
控えめに片手をあげながら、困り顔でこちらを見つめていたのは……いつの間に目を覚ましていたのか、ライオット王子だ。
「で、殿下……!あの、ご、ごめ……っ」
「あー……なんか、邪魔したみたいですまない」
「いえあの、全然、ぜんっぜん、大丈夫ですから……!」
慌てて答えながら、両手で顔を覆った。
ああもう、顔から火が出そう。
一体どこから見られていたのかわからないけれど……焔さんと2人、話していただけだというのに、見られていたことが、なんだか妙に恥ずかしかった。
焔さんは、じと目でライオット王子のことを見ながら、これ見よがしに大きな溜息を吐く。
「ほんっとに……君って猪なだけじゃなくて、空気まで読めないの?」
「なんだと?!」
「見ればわかるでしょ見れば……。今声掛けるとこじゃなかったじゃないか」
「あー、いや、でもだな。俺だって早めに城に帰らないといけないし……」
「君の事情なんて知ったことじゃないよ」
「おい」
「そこでいつまででも寝ててくれたら、俺が後で適当にこう、ぽいって……」
「ぽいって……って、おい、どうするつもりだったんだよ?!」
「……ちょ、ちょっと2人とも……」
どうしていつも、こうなってしまうのか。
いつも通りの言い合いを始めた2人を前に、大きく肩を落とす。
元気づけようとしてなのか、アルトがふかふかの肉球をぽん、と私の肩に置いた。
「もういい。ほっとけ」
「アルト……」
「あいつらも腹、へってんだろ。朝食準備して食べてれば、そのうち黙るさ」
「……そう、だね」
結論からすると、私とアルトが朝食を終える頃になって、焔さんとライオット王子はやっと言い争いをやめて、食事をしてくれた。
食事が終わって、帰るというライオット王子を見送ろうと最奥禁書領域を出れば、途端にいつもの面談室で待ち構えていたシャーロットと侍従さんに、半泣きで縋り付かれた。
侍従さんにわんわん泣きわめかれながら、ライオット王子は引きずられるように城へ向かう馬車に詰め込まれていったのだ。
ぐったりとしたシャーロットから少しだけ話を聞くと、今朝になって王子の姿が見えないと、王国中を騎士や侍従さんたちが走り回っていたそうだ。
次からは、王子が最奥禁書領域へ来たらすぐにシャーロットへ連絡する、という約束をさせられて、それが済むと彼女は寂しそうに私の手を握り、仕事へと戻っていった。
「それじゃあ、リリー。……ごめんなさい、また、お茶の時間作るから……」
「うん。その、無理しないでね、シャーロット……」
「……ありがとう」
彼女の後ろ姿を見送り終えて、廊下に立ち尽くしながら自分の両手に視線を落とす。
先ほど私の手を握ってくれた親友の手は、覚えているより少し骨張っていて、痩せて冷たくなっていたように思えた。
久々にほんの少し会えただけだったけれど、そんな僅かな時間でも彼女の心労が目に見えるようで……やっぱり心が、痛かった。




