158.週末、曇り空<3>
再び開いた私の口からは、微かに震えた声が漏れた。
「そんなの……賛成するわけ、ないじゃないですか……っ!」
決して、大きな声ではなかった。
それでも、怒りを孕んだ私の声は、強く――焔さんを責めていた。
「え……」
「何を考えてるんですか……っ!そんな、そんなことを言われて、オリバーがどれだけ……っ」
唯でさえ傷ついている彼が、焔さんの言葉を聞いて、どれだけ辛かったか。
焔さんは、「オリバーは笑っていた」、なんて言うけど……。
「そんな、そんなの……っ。だめです、だめですよ!」
「梨里さん、ちょっと、いきなりどうし……」
「どうもこうも、ないです……っ!」
言葉が、喉の奥でつかえて絡み合って……上手く、でてこない。
私の剣幕に、焔さんもアルトも、驚いたように目を丸くしている。
――私の恋した相手が、こんなふうに、友人たちの恋心を考えない発言をするなんて、と。
胸の痛みは、増すばかりだ。
「焔さんは、本当に……本当に、そんなことで、シャーロットたちが喜ぶと、思ってるんですか……っ?」
「え……っと」
「喜ぶわけ、ないじゃないですか!恋っていうのは……恋っていうのは!お互いが、お互いの気持ちを、大切にしないと……っ」
「だから、僕は……。オリバーが、結婚できるようにって……」
「それは!焔さんが言ったから、言った通りになるってだけじゃないですか!……オリバーの恋は、オリバー自身が、きちんと、気持ちを伝えないといけないのに……っ」
「……気持ちを伝えるって言っても。オリバーは、ロイアーとは身分が釣り合わないから、って……」
「そうだとしても……っ!今、恋をしてるのはオリバーなんです!結婚するとかしないとか、そういうのは……、そういうのは、オリバーとシャーロットがどうするのかって話で!」
「ふたりが話をしたところで、身分の問題は、どうにもならないんだから……それなら、僕が言って、みんなが良いようにしたほうが、ずっと効率的じゃないか。面倒もないのに」
「……っ」
効率的だとか、そういう話をしてるんじゃない。
彼らの気持ちを、一番大切にしなきゃいけないって、話を――。
そんなふうに、まだまだ言いたいことはあるのに。
胸が痛すぎて、言葉になってくれない。
苦しい。
「――っ、梨里さん!」
私は、立ち上がって踵を返していた。
「焔さんは、なんにも……っ何にもわかってないです!」
「だから、何を……」
「ひとりで、帰りますっ!」
「ちょっと――っ」
半ば走るようにして大股で部屋を突っ切ると、後ろ手に勢い良く扉を閉めた。
ばたん、と思ったよりも大きな音がして、廊下を通りがかっていた侍女さんたちがびくりとこちらを振り返る。
私は、そのまま早足でサロンの出口へ向かった。
勢いのまま、玄関ホールを通りすぎようとしたときに、慌てたように私のところへやってきたのは。
「リリー……っ!」
「あ――」
グレアだった。
ドレスの裾を持ち上げて、小走りにやってくる彼女。
向こうには、彼女が接客していたのだろうか、何処かの貴族の姿がある。
「どうしたの、そんなに急いで――。大賢者様は?」
「……グレア、私、帰る」
「…………」
ぶすっとした声で、短く用件だけを伝える。
すると彼女には、何か伝わったものがあるらしく――そっと両肩を、優しい手で撫でられた。
「そう、わかったわ。外にある馬車、使ってくださいな」
「……え、でも……」
ちらり、と彼女が話していたらしい、貴族らしき男性を見る。
どう見ても、玄関にある馬車は、これからその男性が乗る予定だったものなのに。
男性は、私たちの方をじっと見ていたから、会話も聞こえていただろうに……ただこちらへ微笑むと、頷いてくれた。
……使っていい、ということだろうか。
「いいのよ。彼、私の夫なの」
「え……っ」
「私の大切な友人のためですもの。ほら、気にしなくていいから早くお行きなさい。……追いつかれたく、ないのでしょう?」
彼女にやんわりと背を押され、私は……その言葉に、甘えることにした。
今は、焔さんに追いかけてきてほしくない。
「グレア……本当に、ありがとう」
「ええ。またね」
「うん、また」
最後にすれ違い様、彼女の夫だという男性に深く頭を下げて、私は馬車に飛び乗った。
いつの間にかついてきていたらしい、アルトも足下で跳ねて、扉が閉まる前に車内へと飛び込んでくる。
グレアが御者に何かを伝えると、綺麗な馬車は滑らかに走り出した。
背後に、シャザローマが遠くなっていく。
私……焔さんのことを、置いてきてしまった。
――ズキン。
再び、胸が激しく痛んで、私はワンピースの胸元をぐしゃりと握りしめた。
「……リリー」
「…………」
アルトが心配そうな声で呼びかけてきたけれど、聞こえないふりをした。
ああ、もう――。
胸の痛みは、彼から遠く離れても、治まらない。
びっくりするくらい……痛くて、辛くて、仕方なかった。
「…………」
大きな音を立てて閉まった扉を、しばらく無言で見つめていた。
彼女の姿が見えなくなって、数分は経っただろうか。
力を失った足が、かくんと崩れて――身体が、長椅子へと沈んだ。
……何、なんだ?今の。
俺が何か――彼女を怒らせるようなことを、言っただろうか?
呆然とした頭で必死に考えようとするけれど……全然、見当がつかない。
わからないことにまた、驚いて――俺は、両手で頭を抱えた。
一体何が、彼女を怒らせてしまったのだろう?
俺はただ、みんながみんな幸せになれる案を、提示しただけだというのに……。
てっきり、彼女は賛成してくれると思っていたから……本当に、どうして拒否されたのか、わからなかった。
ずきり、と。
胸の辺りに激しい痛みを感じて、手を当てる。
……なんだ、こんな時に。
賢者であるこの身体は、滅多なことでは不調になったりしないのに。
こんな痛みは、初めてだった。
先ほどの、彼女の泣きそうな顔を……怒りに小さく震える姿を思い返すと、またずきんと、胸が痛む。
……自分は一体、どうしたというんだ。
胸の痛みに混乱している間にも、彼女の言葉が脳裏に蘇る。
『焔さんは、なんにも……っ何にもわかってないです!』
俺が一体、何をわかってないっていうんだ。
怒りではない。
わからない、理解ができない混乱で……頭がいっぱいになる。
こんな感情は、知らない。
混乱と、感じたことのない痛みに、しばらく長椅子から動けないでいた。
……大丈夫、梨里には、アルトがついていった。
だから、彼女の安全だけは大丈夫だ……。
俺が動けなくても、今は……。
――大賢者などと呼ばれる俺だが、今だけは。
この胸の痛みや、複雑すぎるこの感情をなんとか消化するのに手一杯で、彼女の背を追いかけることさえ、出来なかった。




