150.さらなる悩みごと
突然現われた、ローブをすっぽりと被った長身の人物に、男性たちが後退る。
ふわり、と広げられたローブに庇われ抱き寄せられた私は、大好きな人の、古い本と薬草の香りを強く感じて、ぎゅっと胸が締め付けられた。
――そう、これが最近の、『さらなる悩みごと』だ。
どういうわけだかわからないけれど、焔さんの過保護に磨きがかかった、というか。
いつでもどこでも、少しでも困ったことがあると、さっきのように突然現われる。
そして、何より。
――……っ、近いーっ!!
これまたどういうことなのか、全く理解出来てない。
出来ていないのだけれど……その、距離が、近いのだ。
つい最近告白をして、すっぱり振られて。
諦めないと宣言したのは、間違いなく私のほうだったはずなのに……焔さんから私への距離が、今まで以上に近いのだ。
私がこうして驚きと諦めに固まっている数秒の間にも、焔さんはフードの陰からにこにこと首を傾げているし、先ほどまで私に絡んでいた男性たちは顔を見合わせているし、ギャラリーの令嬢、令息たちはざわざわしている。
こんな、本来静寂を保たなければならない図書館内で、騒ぎを起こしてしまうなんて……。
ああもう、今すぐ何もかも放り出して、職員通路へ全力で逃げてしまいたい。
しかし人前であるからこそ、そんなことができないということも、わかっている。
悲しいかな、これまで何回も、同じ目に遭ってきたのだ。
すう、と息を吸って、一拍おいて。
焔さんの胸元をやんわりと押し、一歩離れる。
ぴっと服の端を引いて乱れを整えるふりをして、かかとを揃え、すっと頭を下げた。
「マスター、何かご用が御座いましたか」
一歩退いた立ち位置と、伸ばした背筋、深く下げた頭。
これが、大賢者に仕える秘書の、あるべき姿だと思っている。
私は、この国で伝説とまで伝えられる大賢者イグニス様の秘書。
沢山の貴族も一般市民も見ているこの場で、彼に敬意を払う姿勢を見せるのは、当然のことだ。
下げた頭の向こうで、周りも少しずつざわめきが収まっていき、焔さんがゆっくりとこちらに向き直ったのが分かった。
「……うん。探していたんだ。仕事があってね」
「左様で御座いましたか。お手数お掛けしてしまいまして、申し訳御座いません」
「構わないよ。こうして会えたし」
「ありがとうございます」
焔さんも、周りに人がいるから、ということをわかってくれたのだろう。
話し方を合わせてくれた彼に、内心感謝しながらようやく顔を上げた。
周囲は、野次馬だった貴族たち、市民たちも皆一様に、焔さんへと頭を下げているようだった。
――この国において、国王と並ぶ、いやそれ以上の地位にあるはずの人。
約800年もの昔に、建国に携わったという、伝説の大賢者……それが私の上司であり、想い人であるこの人だ。
「……それで?」
焔さんの声に、視線を戻す。
しゃらら、と、ローブの飾りが流れる涼やかな音が、高い天井へと響いていく。
顔が見えないよう、目深に被ったフードの奥で、焔さんの固い声が先ほどの男性たちへと向けられた。
「君たちは、何?僕の秘書に何か用?」
冷たい声で問われて、戸惑い顔だった男性たちがびくりと肩を揺らした。
「あ……。お、わ、……私……」
大賢者の威厳に気圧されてなのか、ひとりが口を開き掛けるけど言葉にならない。
そんな中、最初に声を掛けてきたひとりが、小さく一歩だけ前に出て、頭を下げた。
「……わ、私たちは、幸運にもリリー様をお見かけしまして……ご挨拶を、と……」
これまで、焔さんに冷たく問いただされて、謝る以外の言葉を応えられた人はいなかった。
怯えながらも受け答えができたのは、この令息が初めてかもしれない。
だが焔さんは、自分へと下げられる令息の後頭部をちらりと見ながら、ふんと鼻を鳴らした。
「君たちが、僕の秘書に挨拶をする必要性なんて、ないと思うけれど」
「も、申し訳ありませ……」
「まぁいいや。君たちがリリーに話し掛ける必要はない。もうこんなことするな」
「……っは、い」
ばっさりと令息を切り捨てて、焔さんはふいと顔を背けると、何事もなかったかのように私へと腕を差し伸べた。
「リリー。行こう」
「……はい、失礼いたします」
令息と会話していた時とは、比べものにならないほど柔らかくなった声が、私の名前を呼ぶ。
傍においでと誘う声を、拒むことは難しくて。
少し躊躇しながらも、指先をそっと、差し出された焔さんの腕に添えた。
私の肩に居たアルトが、悠々と焔さんの肩へ移動する。
ほんの少し触れている私の指先に、自分の空いている手が乗せられる。
焔さんはそうして、満足そうに私を隣に引き寄せた。
「騒がせて悪かった。皆、仕事に戻ってくれ」
焔さんが少しだけ声を張って、カウンターの中から頭を下げる職員たちへと告げる。
「は、はい……!」
背中に職員の人たちの、恐縮しきった声を聞きながら、私たちは職員通路への扉をくぐったのだった。
メリー・リンアードは、リブラリカ職員として一般書架のカウンター担当をしている、しがない男爵令嬢である。
貴族の中でも身分が低く、器量が良いというわけでもないが、たゆまぬ努力で難関といわれるリブラリカ職員の座を手に入れた、勤勉な女性だ。
ロイアー副館長の凜とした姿に憧れ、何年も真面目に働いてきて、最近では大賢者様の秘書である、淑女然とした麗しいリリー様ともたまに言葉を交わすようになって、毎日楽しく働いている、のだが……。
――やっぱり、こればっかりは困ってしまうわよね。
ふう、と溜息を吐くと、肩の辺りで切り揃えた茶色の髪が、視界の端で揺れる。
リリー様と大賢者様見たさに、本来の目的ではなく書架をうろつく貴族たち。
図書館を利用するために来る人たちにとっても、私たちにとっても、迷惑以外の何者でもないのだ。
お二人の姿が職員通路の方へと消えると、ホールに残された貴族たちが、再びざわざわと、先ほど見た光景について話し始める。
――確かに、先ほどのお二人の姿は……本当に、こう、ぐっとくるものがあったけれど!
それはそれ。
内心、お二人の睦まじい様子を見られたことにガッツポーズを作るけれど、今は仕事をしなければならない。
歴史と名誉ある、国立大図書館リブラリカの一般書架が、こんなざわついた場所であって良い訳がないのだ。
コホン、とひとつ咳払いをしてから、両手をゆっくり3回、打ち鳴らした。
吹き抜けのホールへ響いた音に、沢山の視線がこちらに集中する。
「ここは大賢者様のお造りになられた、国立大図書館リブラリカです。どうぞお静かにお願いいたします」
少しだけ大きな声を出して、注意を促す。
「あまり騒がれるような方には、警護騎士たちにより退館をお願いすることになります。ご了承くださいませ」
館内の平穏を守るのも、司書の立派な仕事のひとつだ。
私の声に合わせて、館内の入り口付近にいる警護騎士たちがザッと姿勢を正す。
さすがに大事にはしたくないのか、野次馬の貴族たちはこちらを見ながら、文句を言いつつ帰ろうとしていく。
しかしもう私には、すでに彼らに構っているような暇はなかった。
書架の奥のほうから、利用者のものと思われる悲鳴と、「妖精が……!」という叫び声が聞こえてきた。
また、悪戯好きな妖精が出たらしい。
メリーには、多少だがマナの才能がある。
貴族の端くれにふさわしい、ほんのちょっぴりのマナだけれど、司書として本たちを守るには十分の力だ。
早く対処に行かなければ。
「私が行きます、他にもお手伝いをお願いします……!」
「それなら僕が……!」
「私も行きます!」
追いかけてきてくれる、同僚たちが頼もしい。
先ほどリリー様が届けて下さったばかりのポプリを丁寧に数個掴んで、急ぎ足でカウンターを出て行く。
翻る、少しくすんだネイビーの制服は、メリーの誇りだった。




