144.彼女の想いの先にいるのは
朝の身支度をしながら、額に手を当ててシャーロットは、深い溜息を吐いた。
「まったく……貴女、なんて酷いお顔をなさってるの?」
「ごめん……」
制服に袖を通しながら、それ以外の言葉が出てこない。
せっかくシャーロットのふかふか高級ベッドで一晩過ごしたというのに、眠れなかったせいで、私はすっかり顔がむくんでしまっていた。
侍女さんが持ってきてくれた、温かい薬草水に浸された布を絞って、目元に当てる。
じわりと染みこんでいくような熱に、ほっと息を吐いた。
私とは違い、ぐっすりと眠ったシャーロットは、見違えるように肌に艶が戻り、はきはきとした彼女に戻っている――ように見えた。
「……シャーロットは、元気になった?」
視界をタオルで塞いだまま、問いかける。
「……ええ。貴女のお陰で、心が軽くなりましたわ」
「そっか」
少し含みがある言葉だったけれど、特に聞き返したりしなかった。
彼女の本心は、昨夜聞いた。
今はただ、この状況をどうにか出来ないか、考えることしかできないんだ。
彼女が痛みを抱えているとしても、また、元のように振る舞うだけの元気が出たというなら、それだけでもよかったと思う。
「ねぇリリー」
衣擦れの音がして、誰かが隣に腰を下ろしたのが、気配でわかった。
ふわりと清廉な香り……シャーロットだ。
「うん?」
「昨夜は、私の話を聞いてくださって、本当にありがとう……。私、この状況を受け入れて、ロイアーの娘として立派に振る舞いますわ」
「……それは、無理、してない?」
「ええ。……無理はいたしません」
彼女の真剣な声に、するりとその言葉を信じることが出来た。
無理ではない。無理はしない。
……でも彼女は、想いを諦めることもしないのだろう。
ただこの状況を受け入れ、王子妃となって――心だけは、想い人へと向けるんだ。
目元に当てていたタオルを取って、滲む視界を鮮明にしようと何度も瞬きをする。
やっと戻ってきた視界の中でシャーロットは、少し影を残しながらも穏やかに微笑んでいた。
「私は、どうなったとしても……シャーロットの心の、味方だからね」
隣に座る彼女の手を、ぎゅっと握る。
握り返してくるシャーロットの指先はもう、冷たくはなかった。
「ありがとうリリー……。私、貴女のお陰でまた、彼と出かけたりお茶をしたり……本当に、最後に沢山、素敵な思い出ができました」
……ん?
「もう、あんな風にお買い物をしたり、笑い合ったりすることなんて、無理だと思っていましたのに……。またこうして夢を見られたのも、全部貴女のお陰です。貴女が私の味方でいてくれるのなら、きっと私、頑張れますわ」
「……んん?」
心の中だけにとどめておけなくなってつい、聞き返してしまった。
今の言い方だと、その……シャーロットの想い人が、私も知っている人のように聞こえるのだけど?
「?どうかしまして?」
「え、いや、あの……私のお陰、って?」
「いやですわ、忘れてしまいましたの?一緒に城下街へお出掛けしたじゃありませんか」
「……それ、って、その……シャーロットの好きな人、と?」
「……あら、私ったら。もしかしてまだ、言ってなかったかしら」
私が困惑していることに気づいて、シャーロットが身を寄せてくる。
「私のお慕いしているのは――」
「――……ええええ?!」
淑女にあるまじき声を上げてしまった私を、シャーロットは真っ赤な顔で見ていた。
「では、またお昼に!」
「う、うん……!」
すっきりした、とばかりに元気になった彼女が、副館長の執務室へと入っていく。
その背中が見えなくなるまで手を振り返していた私は、執務室の扉が閉じると同時にその場にしゃがみこんだ。
「あああ……」
「朝っぱらから、何やってんだお前は」
アルトからの冷ややかな視線に、返事をする余裕はない。
もう、いっぱいいっぱいだ。
あの衝撃発言を聞いてから、ロイアー家の馬車に送ってもらい、リブラリカで出迎えてくれたアルトと合流して――だめだ、その間のことを、あまりはっきりと覚えていない。
……いやだって。
あんなことを聞いてしまったら、それはもう平常心ではいられないって……!
それでも、頭を抱えて廊下の真ん中にしゃがみこんでいるのは、やっぱりちょっと耐えられなくて……そう、往来とかもあるから。
小さく呻き声を上げながら、私はとぼとぼと食堂へ向かって歩き始めた。
普通の朝ご飯には少しだけ遅い時間だけれど、このくらいが焔さんの朝ご飯のタイミングだ。
懐かしいことのように思えるけれど、実は1ヶ月前までは毎日のようにやっていた、朝一番のお仕事である朝食運び……それをしないといけない。
「しっかりしろよ。ロイアーのとこでなんかあったのか?」
「あ……ううん、ごめん。あったといえばあったけど、そんな心配されるようなことじゃないから、大丈夫……」
「ふうん。ま、悩みごとなら、イグニスの奴にでも聞いてもらえばいいんじゃねぇか」
「う……うーん、んー」
さすがに、これを焔さんに話すわけにはいかない……かな。
答えを誤魔化してしまった私に、アルトはそれ以上、何も言わなかった。
その後、久々に食堂へと顔を出した私を、モニカはカウンター越しに抱きしめようとするほど歓迎してくれた。
いつものバスケットに入りきらなくなるほど、食事を詰めようとするのをなんとか辞退して、記憶にあるより重い気がするバスケットを手に、足は自然と最奥禁書領域へ向かう。
もうすっかり慣れきった道だから、頭が思考でぐるぐるしていても迷いなく進んでいく。
……本当に、さっきのシャーロットの発言には驚いた。
思い出して、ぎゅ、とバスケットを握る手に力がこもる。
彼女がそっと囁いたのは、そうだったらいいのになと思っていた通りの名前。
――シャーロットの好きな人が、オリバーだったなんて。
それなら二人は、両思いということになる。
両思いなのに、シャーロットは……ライオット王子と婚約をする。
心が痛い。
ライオット王子は……殿下は、本当にいい人だ。
でも、だからといって、友人たちが想い合っているというのに、こんなの……。
本当に、私……何もできないのかな。
「おい、リリー」
「……あ、ごめん」
いつの間にか、最奥禁書領域の私の机があるところまで来ていたようだ。
考えごとに夢中になりすぎて通り過ぎそうになったところを、アルトに声を掛けてもらって助かった。
焔さんの執務室に行く前に、一旦荷物を長椅子に置いて、と……。
かしゃ。
「え?」
荷物を置こうと前屈みになった時、上着の胸ポケットの辺りから、乾いた音を立てて何かが滑り落ちた。
ふかふかの座面に落ちた、小さな包みを拾い上げてはっとする。
「あ……これ」
ロランディアでの別れの時、ミモレがくれたものだ。
そういえば、帰ってきてからずっと婚約話で頭がいっぱいで、まだ開けていなかった。
時間は……まだ少しだけなら、ありそう。
「アルト、ちょっとだけ待ってて」
「ん?まぁ、いいけど……」
椅子に腰掛けて、机の上にそっと小包を置く。
かさかさと柔らかめの紙に包まれたそれを、慎重に開くと――。
「……わぁ」
包みの中から現われたのは、繊細で華奢な細工と宝石が美しい、綺麗な髪留めと……畳まれた紙片だった。




