136.森の中の墓標
「お姉ちゃん、だよね?」
驚きの中、続いて聞こえた声には、確かに聞き覚えがあった。
「もしかして……ミモレ、ちゃん?」
「うん。今そっち、いく」
「え、ちょっと待って――」
制止の声も空しく、ざざざ……と近くにあった崩れた急斜面を、小さな人影が滑り降りてきた。
ランタンの灯りが、少し落とされる。
やっと慣れてきた視界に、数時間前に別れたばかりのはずの、ミモレの姿が浮かび上がった。
小さな魔道ランタンを片手に提げて、白いネグリジエを着た彼女がそこに居た。
「なんじゃ、アイビーの子孫か」
「……あなたは、誰」
肩を竦めたヴィオラに、ミモレが警戒したように目を細める。
私は慌てて2人の間に身体を滑り込ませた。
「ミモレちゃんあのね!こ、この人は、知り合いなの!大丈夫だから」
自分で庇っておいて、なんだか複雑だけど……助けてもらった、ということもあるし。
ミモレはヴィオラに向けた視線をそのままに、全く納得していない顔で頷いた。
「……それなら、いい」
「それより、えっと……どうしてミモレちゃんがここに?」
「あの人に、今夜ここに来るように言われたの」
……あの人、って。
アイビーのこと、だよね。
言葉が途切れた私に、ミモレはランタンを翳して心配そうな顔をした。
「お姉ちゃん、大丈夫?怪我、してない?」
「あ……うん、うん。私は大丈夫だよ」
「そっか。よかった」
ほっとしたように、彼女の表情が緩む。
ランタンを持たない方の小さな手が、私の手をそっと握った。
「それじゃあ、いこ?」
そのまま、私の手を引いて歩き出してしまう。
戸惑いながらも、彼女の後について足を進めた。
「行くって、何処に……」
「外だよ。帰らなきゃでしょ?」
「え……ミモレちゃん、道、分かるの?」
「ん。ここ、ロランディアの庭だから」
驚くことに、ここはロランディア領主のあの屋敷の裏にある、森の中だったらしい。
図書館の裏にあった宝石池から、こんな場所に繋がっていたなんて。
まぁ、『翡翠色の日記』でも、宝石池のことが沢山出てきていたし、アイビーのお気に入りの場所だったから、抜け道があってもおかしくないか。
ヴィオラはといえば、鼻歌交じりに私たちの後ろを歩いている。
ミモレは特に迷う様子もなく、2,3度、別の通路に進路を変えながら歩いて行った。
そうして歩くこと、数分。
「あ……」
緩やかに上り坂になっていた道の先に、月明かりが差し込む出口を見つけた。
出た場所は、やはり森の中。
久々の開放感に、思い切り息を吸って、大きく吐き出した。
周りを見渡せばここは、木々や背の高い植物たちによって、小さく丸い空間が造られた場所のようだった。
「ここは……」
柔らかく、静かな月明かりの中。
その空間には、至る所に真っ白な花が咲き乱れていた。
幻想的にも見えるその空間の中央には、ちょろちょろと水音を立てる小さな石の噴水。
蔦の絡むその噴水に、苔むした小さな石版も見える。
そっと近づいて見ると、石版には名前が彫られているようだった。
「えっと……あい、び……アイビー?」
「――そう」
私の隣まで静かに歩み寄ってきたミモレが、噴水の縁に腰掛ける。
水盆に溜まる、きらきらした透明な水に指を遊ばせて、ミモレは静かな視線を石版へと向けた。
「ここはね、あの人の、お墓だよ」
「え……」
アイビー、――そうか。
石版には、彼女の名前が刻まれているのだ。
噴水の周りにも、白い花が絡みつくように咲いている。
「その花は、夜の間だけ咲く花なの」
「……そう、なんだ」
それきり、途切れてしまう会話。
帰ろう、と、そう言うことだってできるのに……何故か、言い出せずにいた。
静寂が満ちるこの場所が、あの人のお墓。
翡翠色の日記を記した――生涯、ザフィア王だけを想い続けていた、あの人の……。
白い花の花弁に、そっと人差し指の先で触れた。
まるで彼女の――アイビーのような花だ、なんて思う。
ふわりと揺れる、あのワンピースを連想した。
……同時に、私に向けられた、彼女の寂しげな笑顔も。
そんなことを考えていた時、ミモレがぐっと顔あげてこちらを見つめた。
「お姉ちゃん。あの……あの人を、怒らないで欲しいの」
「え?」
あの人って、アイビーのことだよね?
「あの人は……あの人はね、悪い人じゃないの。日記、お姉ちゃんも読んだでしょ?ただ……ただね、大好きな人のために、頑張ってただけなんだよ」
「ミモレちゃん……」
「私がね、ひとりでここに来ると、あの人がいろんな話をしてくれて……。好きな人のこと、本当に好きって、幸せそうに話すの。私も、お話好きで、だからね、あの人のこと……その……」
彼女の必死な様子に、ぐっと心が締め付けられた。
アイビーは、ゴーストになってもザフィア王のことを想っていた。
その想いの強さは、多分……私も感じている。
「……そうだとしても、あやつのしたことは愚かなことじゃ」
ふと会話に入ってきた声に、ミモレと2人振り返る。
それまでずっと沈黙していたヴィオラが、冷たい瞳でじっと噴水を見つめていた。
「どんな理由があったとしても、あやつがそこの小娘を殺しかけた事実は消えない。それでもお前は、アイビーを悪くないと言うのかえ?」
「そ、れは……でも……」
ミモレの瞳が、迷うように大きく揺れる。
ヴィオラは腕を組み、小さな彼女を諭すように言葉を続けた。
「理由があれば何をしてもいい、なんてことはない。ましてや人の命を巻き込むことは、悪でしかないじゃろう。――なぁ。アイビー?」
『……ええ、そうね』
更に加わった声に、今度は息を呑む。
気がつけば、噴水から少し離れたところに、彼女は月明かりを透かしながら佇んでいた。
宝石池の畔で激高していた彼女の印象が強すぎて、一瞬びくりと後退る。
そんな私の様子を見て、アイビーはふ、と小さく笑ったようだった。
『ごめんなさい。もう何もしないから』
アイビーは、とても疲れているように見えた。
以前見た時よりも、大分存在が薄くなっているように見える。
元のように、ワンピース姿の華奢な女性の姿をしたアイビーは、近くに咲いている白い花をするりと撫でて目を閉じた。
『私は、貴女を危険な目に合わせた。死んでもおかしくないことをさせた。全部、私の我が儘だもの。許されることだとは思っていないし、謝らない』
「……アイビー」
責めるようなヴィオラの声にも、アイビーはきっぱりと首を振る。
『謝らないわ。悪いとは思っているけれど。……例え貴女が死んだとしても、私は、ザフィアとの約束を守りたかったから』
向けられたその瞳と、目が合う。
そういえば……正気なまま、彼女とこうして向き合うのは、初めてのことかもしれない。
『リリー。貴女はよくやってくれた。ありがとう。私は、約束を守れたわ』
疲れ切った様子で、それでも満足そうに……満ち足りたように、アイビーは笑った。
呆れた、というように大きな溜息をついて、ヴィオラが頭を振る。
「やれやれ……お前は昔から、ザフィアのこととなるとこれだから。恋に狂った女は本当に手に負えんな」
『褒め言葉として受け取っておくわ』
「誰も褒めとらん。まったく」
会話をする2人を見ながら、膝の上、ぎゅっと拳を握った。
一瞬だけ……彼女を羨ましいと、そう思ってしまった自分がいたのに気づいた。
謝らない、ときっぱり言い切った、アイビーの表情。
誰かが死ぬことになったとしても、唯想い人との約束を守りたかったのだと。
満足げに、幸せそうですらあるように笑った彼女を、羨ましいと思って、しまった。
あんなに真っ直ぐに、好きな人を想えるなんて、すごい。
自分が殺されそうになったというのに、こんなことを考えるなんて……私も相当、変かもしれないけれど。
それでも、彼女の愛する気持ちの強さに、胸が締め付けられるようだった。
……私は。
私の胸にあるこの気持ちは、この人程の強さを持っているだろうか。
――焔さんのことが、好きだ。
それは間違いないけれど……。
こんな愛の強さを、私は――。
「……お姉ちゃん?」
すぐ隣から、俯いた私を心配するミモレの声がした。
その声に、大丈夫だと応えようとして――。
瞬間、パチリ、と火花の様な音に続いて、夜闇の静かな森の中、大きな火柱が上がった。
「きゃ……!」
反射的に悲鳴を上げたミモレを庇うように抱きしめながら――視線は、その火柱に釘付けになっていた。
肌を舐めるような、激しいマナの轟き。
私は――このマナを、知ってる。
火柱が上がっていたのは、ほんの数秒。
それが完全におさまりきる前に――私は。
身体が勝手に、弾かれたように立ち上がって、駆けだしていた。
めらめらと燃えさかる炎と、周囲を舞い踊る紅いマナの粒子。
その中心目掛けて、全力で飛び込んでいた。




