122.ザフィアの生家<1>
昨夜あんなことがあったばかりで、一体どんな顔をして、どんな態度で焔さんと会えばいいのか。
ロランディア領主の屋敷へ出掛ける午後が近づくにつれて、不安は大きくなる一方だった。
「ど……どうしよう……」
途方に暮れて、狭い部屋の中をぐるぐる歩き回ること、10分ほど。
それまでずっと半眼で私の姿を追っていたアルトは、心底呆れたふうに大きな溜息を吐いた。
「おい、リリー。いつまでそうやってるつもりだ」
「いつまで、と言われても……ああ、やだもう昼が近づいてくる……」
「そりゃあ時間は常に流れてるからな」
「だから困ってるんだよ……。いっそ止まって欲しい……」
「無理だな。っていうかお前、本当にいつまでそうやってるつもりだよ」
「……だってー……」
だって本当に、どうしたらいいのかわからないのだ。
招き猫のように、布団の上に座るアルトがくいくいと、こちらへ猫手動かす。
それに吸い寄せられるようにベッド脇まで歩いていくと、相棒が再度、大きめの溜息を吐きながら口を開いた。
「いいかリリー。お前たちに何があったのかは知らんが、過ぎてしまったもんは仕方ねーだろ」
「うう……」
「だから、な?仕方ねーって思って、いつも通りにすればいいじゃないか」
「いやー……そういう訳にはいかないのでは」
「なんで」
「だって、気まずい、し」
「……そりゃそうかもしれないけどな、いつまでもそうやって部屋ぐるぐる回ってるわけにも行かないだろーよ」
確かに、いつまでもこんなことしてたところで、何もかも過ぎてくれるって訳じゃない。
時計の針も、どんどん動いていく。
そろそろ、食堂に行って昼食を済ませなきゃいけないのに。
「今日はこの後、調査で外出するんだろ?調査だってちゃんとした仕事だ。……そうだよな?」
「……あ……」
アルトが意味ありげに最後のほうを強調してくれたことで、彼の言わんとすることに気がついた。
……確かに、いつまでも自分の感情だけで、こんなふうにしている訳にもいかない。
午後に出掛けること――これは、『仕事』なのだ。
「大丈夫だ。どんなことがあったにせよ、ひとまずは目の前の仕事をきっちりこなす。そのために顔を合わせる。――そう考えれば、いけるだろ?」
ぐっと、静かに奥歯を噛み締める。
そうだ、私は、大賢者の秘書。
あの人の秘書として恥ずかしくないように、仕事はきっちりとこなさなければ。
昨夜のことは、まぁ……大したことない、とは言えないような、平然となんてしていられない出来事ではあった。
……だって、ちょっと思い出すだけで、両手で顔を覆いたくなってしまう。
子供のようなことばかり、感情に任せてぶつけてしまった気がする。
気がする、というか……思い返す度に、そうだった気しかしない。
気まずいだけじゃない。
そういう色々のせいで、何というか、恥ずかしすぎる気持ちも、あったり。
――でも。
「……うん」
小さいけれど、はっきりと頷いて、私はアルトを見つめ返した。
「私……仕事は、しっかりやる」
「お前なら大丈夫だ」
こちらを真っ直ぐに見つめ返しながら、アルトが美しい紅の瞳を優しく細めた。
その後、ぐっと気合いを入れて開いた、食堂の扉の先。
「――ああ、リリーさん」
聞こえた声に、小さく心臓が跳ね上がる。
ふわ、といつも通りに柔らかな表情を浮かべる焔さんが、もう既に食卓についていた。
「レディ・オリビアのお手伝い、お疲れ様」
「…………あ、あ……はい」
あまりにもいつも通り過ぎるその声に、表情に……一瞬、反応が遅れる。
しかし、そんな私の返事に疑問を挟むこともなく、焔さんはすいと視線をテーブルの上へ流した。
「お昼も美味しそうだよ。ほら、いつまでもそこで立ってないで、こっちで座るといい」
「あ、そう……ですね」
「この食事が終わったら、出掛けるからね」
「はい……」
告げることだけ告げて、焔さんはぱくぱくと昼食を楽しんでいる。
いつもと同じ微笑みと、声色で。
いつもと同じように、何気なく声を掛けてくれた。
――それなのに。
「失礼します」
「どうぞ」
隣の席に腰を下ろしても、やっぱり感じる。
――焔さんとの間の壁。
一見普段と変わらないように見えるわたしたちの間に、決定的な何かがあったことが、見えない壁になって存在しているように感じた。
……そう、だよね。
私が気にするように、表面上は取り繕っている焔さんだって、きっと、何もなかったなんてことにはできないのだろう。
少しだけ遅れてやってきた王子は、並んで座って昼食を取る私と焔さんのことを、何とも言えないような、不安そうな目でちらちらと見ていた。
まぁそれでも、特に何事もないまま昼食はあっさりと終わって。
すぐに玄関ホールに集まった私、焔さん、殿下の3人は、揃って図書館から出掛けたのだった。
ロランディア領主の屋敷は、村の敷地内ではあるが村中心から少し離れた場所に建っているとのことだ。
屋敷までは馬車で行く予定だったのだけれど、道の関係で、馬車は村の入り口から広場までしか入ってこられないため、私たちは夏の暑い日差しの中、広場まで歩いて移動して、そこから馬車に乗ることになった。
動き出した馬車はゆっくりとロランディア村の出入り口をくぐり、道なりに少し進んですぐまたスピードを落とした。
ロランディア村に来てからは、何処に行くにもずっと歩きで移動していたから、馬車なんて久しぶりに乗ったかも。
焔さんを意識しないように、と窓の外ばかり見ていた私の視界に、村でよく見る木製のものとは違う、金属製の塀が並び始めた。
そう時間も経たないうちに、馬車はスピードを落として大きな入り口をくぐり、屋敷の敷地内へと入っていく。
オルフィードの城下街に並ぶ貴族の屋敷に比べたら、煌びやかさはいまいちに思える。
だが、さすがに敷地の広さはこちらが上だ。
屋敷自体も横に長く広がっていて大きく見えるし、遠目に綺麗な庭園も見える。
そんな大きな屋敷の玄関先に、私たちの馬車はゆっくりと停車した。
馬車から、当たり前のように焔さんが先に出て行って、私へと手を差し出してくれる。
……いつもなら、何も躊躇うことなくこの手を取れるのに。
一瞬の私の躊躇にも、焔さんはにこりと微笑んだ。
「おいで、リリー」
優しい声なのに、何となくいつもと違う気がする。
ほんの少し戸惑いながらも、拒む理由はないので、その手を借りて馬車を降りた。
じゃり、と足下で、敷き詰められた白い玉砂利を踏む音が鳴る。
「……ありがとう、ございます」
ぎこちなくお礼を言って、ぱっと手を離した。
「どういたしまして」
あくまでいつも通りの態度の焔さんは、小さく会釈をして、するりと身を引いた。
自分でぎこちない態度をしているくせに、焔さんにほんの少し距離を取られた、ただそれだけのことにちくりと胸が痛んだ。
――自業自得、なのに。
俯く私が馬車から離れた後、最後に正装を翻し、殿下が降りてきた。
「ようこそお越しくださいました。王子殿下。そして――」
コツ、と固い音と共に、杖をついた老婆がこちらへと一歩踏み出して、後ろに引き連れた数人の使用人たちと合わせて、大仰に礼をとった。
「我らが屋敷へ、再び訪れてくださるとは……私の代で、なんと幸せなことでございましょう。大賢者イグニス様。良く、良くお越しくださいました」
感動で震える老婆の言葉に、焔さんはローブを深く被ったまま、そっけなく一つ頷いた。
「ああ、無理を言ってすまなかったな」
「いいえいいえ。大賢者様であれば、いつでも歓迎いたします」
老婆の視線がちらりとこちらに向くのを感じて、私は小さく頭を下げた。
焔さんから半歩下がって、姿勢良く視線は下げて、という淑女としての態度を取る私。
大賢者様の秘書として、恥ずかしくない振る舞いをしなければ、と気を張る私。
老婆の視線だけを感じる、無言の時間。
それは、ほんの数分なかったくらい、だろうか。
結局私へは声を掛けることもなく、一度咳払いをした老婆は、ぎい、と音を立てて大きな入り口の扉を手ずから開けながら、私たち3人を室内へと誘った。
「さあ、大賢者様がた。こちらへどうぞ。私が精一杯ご案内いたしますので、本日はどうぞ、よろしくお願いいたします」
ぎいい、と大きな音を立てて、私の背後で玄関扉が閉まる。
領主の館の玄関ホールは、ロランディア図書館の玄関ホールと同じくらいの広さで、シックな調度品で落ち着く雰囲気に統一されていた。
吸い込む空気にすら、歴史の重さを感じるような気がする。
飾られているものも、アンティークなものが多く、さながら博物館のようだ。
……ここが、ミモレの家で……。
そしてあの、初代国王ザフィアが生まれ、幼少期を過ごしたという生家。
ザフィアの魔術書、その手がかりは、何処にあるかわからないから。
絶対に気を抜かないようにしなくちゃ。
改めて気合いを入れ直して、私たちは老婆の後について歩き始めた。




