121.ほろ苦い朝の紅茶
「――ありがとうございます、殿下。ではこちらは、本日中に国王陛下へご報告いたします」
「ああ、よろしく」
「はっ」
従者はきっちりと礼を取ると、託した書類を大事そうに抱えて部屋を後にした。
ロランディア図書館内の、割り当てられた自室。
質素な机には、山積みの書類が置かれている。
全て、王城から毎日送ってもらっている、王子の仕事だ。
出張中の今だからといって、王子である自分がこなさなければならない仕事は、なくならない。
こうして、夜の間や空いた時間を利用して、仕事を捌いていた。
「ふう」
溜息を吐いて、座ったままうんと背伸びをする。
王城とのやりとりとしている先ほどの従者は、今日の分の仕事の他に、父上からの手紙も置いていった。
多少面倒に思いながら、書類の上に置いたままだった手紙を拾い上げ、封を切る。
中から出てきた用紙には、父の字で、俺の体調や調査の進捗を案ずる言葉が記されていた。
用件を簡潔に書かれていたそれらの下には、少し間隔を空けた上でこんな内容の言葉が走り書きされていた。
『――お前の結婚相手が決まった。
相手はロイアー家の長女だ。
詳しい話は、こちらに戻ってからするからそのつもりで』
「……」
無言のまま、手紙を封筒に戻した。
内容に、特に驚いたりはしなかった。
自分が王子である以上、婚姻についてはいつか必ず話があるはずだと、わかっていた。
だから、手元の紅茶を一口飲んでも、そのほろ苦さがむしろ心地良いような気さえした。
――そうか、ついに結婚か。
ロイアー家の長女といえば、確かリブラリカの副館長をしていた……あの金髪の娘、だったような。
何度か会ったことがあるが、毎回きっちりと礼儀のなっている綺麗な娘だったと思う。
まぁ、ロイアーといえば、建国から続く名家だ。
あのリブラリカの副館長も世襲している、力のある家の娘。
王家に嫁いでくるのに、丁度良かったのだろう。
「……別に、誰だって構わない」
ぼそりと、心の声が唇から漏れた。
そう、俺はこのオルフィード国のたったひとりの王位継承者。
国の為に生き、国のために生涯を捧げるのが俺の役目。
結婚だって国の為なのだから、王子の務めの一つとして、父が決めた相手とすればいいだけのこと。
――我ながら、淡泊すぎる考え方だとは思うが。
口の端に、微かに自嘲の笑みがのる。
まぁいい。
そんなことよりも、今はもっと気になることがある。
広げていた書類を片付けて、席を立ち上着を掴んで部屋を出た。
向かった先は、保管書庫――ではなく、一般書架。
ぎいと重い音を立てて開いた扉の向こう。
思った通り、広い一般書架の中央で、つい昨日見たのと同じように、大きな本棚が一つふわふわと空中に浮かんでいた。
その足下には、床石とにらめっこをする大賢者の姿。
リリーはレディ・オリビアの手伝いで午前中、手が空かないと言っていたし、大賢者ならここで封印について調べているはず、と踏んだのだが。
「やっぱり大正解だったな」
「……なんだ、お前か」
「なんだってなんだよ」
「少し静かにしてくれ。騒々しいよ」
床にあぐらで座り込む大賢者は、ちらりとこちらに目を向けただけで、そのまま魔方陣を見つめ続けている。
なんだか、いつもよりとげとげしい雰囲気なのは、気のせいか。
「封印、解けそうか?」
「出来たらやってる。見ればわかるだろう」
「ぐ……そう、だけどさ」
正論で返されては、呻くしかない。
「なんだよ、どうしたんだよ大賢者。なんか変だぞ?」
「うるさい」
「それ。すごい苛ついてるだろ?どうしたんだよ……まさか、リリーと喧嘩なんてしてないよな――ってうわっ!?」
言葉の途中、がくんとすごい勢いで、傍で浮いていた本棚が一気に高度を下げた。
床に落ちる前に止まりはしているものの、その大きさと勢いに驚いて盛大に尻餅をついてしまう。
「……」
大賢者はと言えば、変わらずこちらに背を向けたまま、俯いている。
だけど、気づいてしまった。
ローブをいつもより深めに被ったその背中が、先ほどの言葉で、さらにきゅっと丸くなった気がする。
「え……うそだろ、冗談のつもりだったのに」
「……」
「もしかして本当に喧嘩したのか?あのリリーと?」
「…………」
「おいおい……一体何したんだよ大賢者。悪いことは言わないから、さっさと謝らないと……」
「……なんで、」
お、しゃべった。
「なんで、俺が悪かった前提なんだ」
こちらを振り返りはしないけれど、何だかどよんと暗い声が返ってきた。
というか、その返答はもう、喧嘩したってことだな?
「いや……だって、あのリリーだぞ?喧嘩したっていうなら、原因は絶対に大賢者だろう」
「………………」
あ、また黙った。
目の前で丸くなっているローブの塊に、どうしたものか、と頭を抱えたくなる。
まったく、普段からあんなに仲の良い2人だというのに……いや、普段がそうだからこそ、今の喧嘩状態が異常なのか。
昨日の夕飯の時間までは、2人とも普通だったと思うし……となると、今朝リリーが食堂に来なかったのも、本当はレディ・オリビアの手伝いなんかじゃなくて……。
何となく事態を察してしまって、無意識に遠い目をしていた気がする。
「どうするんだよ大賢者……。だって今日は、ロランディアの屋敷に行く日だぞ?忘れてないよな?」
「……忘れてない」
「午後には……いや、昼には顔合わせることになるんだぞ?お前たちが喧嘩ってそれ……」
絶対気まずいじゃん。
「…………少し、放っておいてくれ」
大賢者の声には、ちょっとだけ力がないような気がした。
よく見れば、床石の魔方陣をのぞき込むように座っている大賢者の膝には、開いた古い本がいくつか置いてある。
――のだが、それら全部、俺がここに来てから捲っている様子はない。
総合的に見て、これは……喧嘩して、滅茶苦茶に落ち込んでしまっているようにしか見えない。
「わかった。もう少しで昼だから、その頃来なかったら呼びに来る」
それだけ告げて、踵を返した。
一般書架の扉を閉める、その隙間からちらりと、座り込む大賢者の背中が見えた。
……あれはもう、完全に気落ちしてるよなぁ。
喧嘩したということは、リリーも落ち込んでたりするんだろうか。
一瞬、彼女の部屋に行ってみようかとも思ったけれど、すぐに頭を振ってその考えを追い出した。
あんな言い訳を使うくらいだ。
リリーのことは、レディ・オリビアが見てくれている……はず。
それなら、どんなことがあったのかわからない、どんな言葉をかけたらいいかもわからないような自分は、行かない方がいい。
何が原因で喧嘩したのかは知らないけれど……まったく、午後から3人で出掛けるっていうこんな日にしなくても。
気分は全く晴れないけれど、窓の外は鮮やかな夏の日差しで輝いて見える。
昼まで少し時間があるし、食堂にでも行って、また紅茶でも貰ってこよう。
部屋で飲んだあのほろ苦さが、なんだか無償に恋しかった。




