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【WEB版】大賢者様の聖図書館  作者: 櫻井 綾
第2章 古き魔術と真夏の夜蝶

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120.優しい味の朝食を


「……ど、どうしよう……」


 あんなことがあった、翌朝。

 いつもと同じ時間にアルトに起こされたまではよかったのだけど、私は鏡台の前から動けずにいた。

 鏡の中から情けない顔でこちらを見返しているのは、紛れもなく自分。

 その目元は、泣き腫らしてぱんぱんになっている。


「これじゃあ、下に行けない……」

「いいじゃねーか、別に。顔なんて誰も気にしないだろ」

「そんなこと、あるわけないでしょ!あああ……、絶対に何かあったって思われるよね……」


 実際、『何か』あった訳ではあるのだが。

 こんな泣き腫らした顔で食堂になんて行ったら、殿下やレグルさんからどうしたのか、と聞かれるに決まってる。

 ……焔さんだって食堂に来るだろうし。

 昨日、勢いであんなことを言ってしまった手前、もうどんな顔して会ったらいいものか、さっぱり分からない。

 あれは……うん、喧嘩したってことに、なる、よね……。

 胸に手を当ててみれば、まだ鈍く、心が痛みを訴える。

 一度だけそっと目を閉じて、深呼吸した。

 ――過ぎてしまったことは、言ってしまったものは、もう仕方ない。

 ひとまずは、と、部屋にあった洗顔用の水でハンカチを濡らして、目元を冷やしてみようとするけれど……。

 盛大に腫れ上がってしまった目元は、そう簡単に元に戻ってはくれない。

 どうしよう、どうしようと右往左往していると、呆れたように溜息をついたアルトが部屋を出て行って、数分ですぐ戻ってきた。


「もう、何処行ってたのよ裏切り者ー……。って」

「……あらあら」


 振り返ると、部屋の扉から顔を出している人物が目に入って、びくりと身体が固まる。

 そんな私に素知らぬふりで、アルトはとことこと部屋に入ってくると、つーんとそっぽを向いた。

 絶句する私とそっぽを向くアルトのちぐはぐな姿に、彼女は優しく笑みを浮かべ、肩を揺らした。


「猫さんが呼びに来たから、何かと思ったら……こういうことだったのね」

「レディ・オリビア……」


 アルトは、今の時間、本当なら食堂で朝食の準備をしているはずのレディ・オリビアを呼んで来てしまったらしい。


「ちょっと待っていてくださる?今、お湯と薬草を持ってくるわね」

「あ!あの……っ」

「いいのいいの。リリーさんは待っていて。ね?」


 止めようとする私をやんわりと制して、彼女はすぐにパタンと扉を閉めてしまった。

 朝は、色々と忙しいはずなのに。

 そんな彼女を自分の都合で呼びつけて、手間を掛けてしまうなんて。


「……アルト」


 低い声で責めるように名を呼ぶと、黒猫はそっぽ向いたまま、器用に肩を竦めてみせた。


「いつまでもそうやってたって、状況は悪くなるだけだろ」

「う……。そ、そうかもしれないけど。だからって、レディ・オリビアを呼ぶなんて……朝食の準備とか、忙しいはずなのに」

「後で騒ぎになったり、来て欲しくない人に部屋に来られるより、誰かに協力してもらったほうが楽だろ」

「それは……そうかも、しれないけどさぁ……」


 アルトの言う通り、もしも焔さんが部屋にまで来たりしたら、もう気まずいことこの上なくなる未来しか見えない。

 来るのが殿下かレグルさんだったとしても、昨夜のことを話すわけにはいかないし……。

 あああ……、と頭を抱えているうちに、扉がコンコンと控えめにノックされて、続いてするりとレディ・オリビアが部屋へ入ってきた。

 その手には、湯気の上がるたらいと、白いタオル。

 同時に、ふんわりと部屋中に、優しく清涼感のある良い香りが広がった。


「ここに置くわね。お湯に、腫れを鎮めてくれる薬草と、血行をよくする薬草を入れたから、これで目を温めて。水で冷やすより早く良くなるわ」


 話しながら、彼女は手ずからタオルを薬湯に浸して固く絞り、私へと差し出してくれた。

 受け取るとそれはじんわりと温かく、いい香りがする。


「あの……」

「さあ、私のことはいいから。ほら」


 立ち上がろうとしたけれど、肩に置かれた手でやんわりと制されて、彼女の手によってテキパキと目元にタオルを当てられた。

 じわ、と温かく、柔らかい感触が目元に染みこんでいく。


「女の子には色々あるもの、ね?泣くのも大切なことだけれど、泣くだけ泣いたら、しっかりと手当してあげないと」

「……すみません、お手数掛けてしまって」

「こういうときは、謝らなくていいのよ。何があったのかも聞かないわ。これは、私がしたくてしていることだから、気にしないで」

「そんな……だって、アルトが呼びに行ってしまいましたし。これから朝食でしょう?レディ・オリビアも大変なのに……」

「あら。元気な男の子たちなら、少しくらい待たせておけばいいのよ。今は貴女のことを大切にしなくちゃ」


 ちょっと大袈裟なくらいお茶目な声の調子に、ほんの少し、口元がほころんだ。


「……ありがとうございます」

「どういたしまして。大丈夫よ、今朝は少し早く目が覚めて、もう朝食もできあがっているから」


 温かい目元のタオルと同じように、彼女の言葉も温かく、心に沁みこんでくる。


「その様子だと、少し休んだほうが良いわよね。朝食は後で持ってくるから、自分の部屋に居て、ゆっくり目を温めているといいわ。あの子たちには、リリーさんは私のお手伝いをしてもらっている、ってことにしておいていいかしら?」

「そんな、ものすごく有り難いです、けど……さすがにそこまでご迷惑かけるわけには……」

「だーめ」


 慌てて立ち上がりタオルを取ると、ずっと目を閉じて温めていた影響で、視界がすごくぼやけている。

 慌てる私の両手が、温かな手にそっと握られたのがわかった。

 はっきりしない視界の中で、辛うじてわかる黒いドレスが正面に映る。

 私の両手を引いて再び椅子に腰掛けさせたレディ・オリビアは、私から優しく取り上げたタオルを再び薬湯に浸して絞って、そっと私の目元を覆った。


「私が迷惑だなんて思っていないから、いいのよ。猫さん、ちゃんとリリーさんを見ていてあげてくださいね」

「任せろ」


 真っ暗に戻った視界の外で、アルトの声がしたかと思うと、膝に温かいもふもふが飛び乗ってきて丸くなった。


「それじゃあリリーさん、また来ますから。ゆっくりしていらしてね」


 そう言葉が聞こえてすぐ、彼女の足音が遠ざかっていって、パタンと扉が閉まる音がした。

 ……取り敢えず、この顔で朝食を食べに行くことは回避できたらしい。


「ふうー……」


 大きく溜息を吐いて、椅子の背もたれに身体を預けて天井を仰いだ。

 膝の上にいるアルトが、ひょんと尾を振ってぺしりと膝を叩いてくる。


「とっても複雑な気持ちだけど。……ありがとう」


 彼女に迷惑を掛けてしまったのは、どうしても心苦しいままだけど……でも、思いつく限り、最良の人選だったとは思う。


「お前はもっと、自分を大切にしたほうがいい」


 どんな表情をしていたのかはわからないけれど、アルトのむすっとしたような声が、優しく胸に響いた。

 伸ばした手で撫でたアルトはもふもふで、そのさわり心地にゆったり癒やされていると、一時間ほどして、再び扉がノックされた。

 先ほどの言葉通りに朝食を持ってきてくれたレディ・オリビアから、今日の午前中はこのまま部屋で休んでいていいと言ってもらい、恐縮しながらも有り難くそうさせてもらうことにした。

 部屋にある簡素な丸テーブルには、今朝もとても美味しそうな朝食が並ぶ。

 朝と言うにはもう遅いから、ブランチ、と言ったところだろうか。

 みずみずしい野菜たっぷりのサンドイッチはふかふかで、温かなポタージュスープは、ほっと緊張を緩めてくれる。


「本当に、毎日美味しいです。ありがとうございます」


 向かいでにこにこと私の食事風景を見ていたレディ・オリビアは、飲みかけのティーカップを上品な仕草でソーサーに戻すと嬉しそうに微笑んだ。


「あらまぁ。こちらこそありがとう、リリーさん。そう言ってもらえて嬉しいわ」


 どうしてか、朝食を持ってきた彼女は紅茶を楽しみながら室内に留まっている。

 何となく聞くタイミングを逃して、そのまま食事を進めていると、何かを察したのか彼女がふふ、と笑い声を漏らした。


「お食事は、ひとりで食べるより誰かと一緒のほうが美味しくなるでしょう?だから、お邪魔じゃなければと思ったの」

「……そう、だったんですね。ありがとうございます」

「お邪魔じゃないかしら?」

「はい、居てもらったほうが嬉しいです。けど……あの、午前中のお仕事は?」

「ああ、いいのよ。今日は特に急ぎのものもないし、王子殿下も何かやることがあるって仰ってたから」

「そうですか……」


 用意された野菜ジュースを一口飲むと、口の中に爽やかな味がふわっと広がる。


「リリーさん」

「はい?」


 呼ばれて顔を上げると、無言のままじっとこちらを見つめたレディ・オリビアが、笑顔でうんうん、と満足そうに頷いた。


「よかった。腫れも綺麗に収まったわね」

「あ……はい、おかげさまで」


 どうやら、目元の腫れを確認されていたらしい。

 彼女の持ってきてくれた薬湯がものすごく良く効いてくれて、私の目元はすっきり元通りに戻っていた。


「そうそう、大賢者様が仰ってたわ。昼食が済んだら出掛ける準備をしておくように、だそうよ。確か、ロランディアのお屋敷に行くんだったわよね?」

「あ……」


 そうだった。

 あんなことがあって、すっかり忘れてしまっていたけれど……。

 今日はあの、ミモレの住む家――ロランディアの領主の屋敷、初代国王ザフィアの生家へ行く日だった。





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