111.過去から学ぶこと
「……はぁ」
手近の雑草をぶちりと抜き取りながら、土に向かって盛大に溜息を吐いた。
昨夜は勿論、一睡も出来なかった。
かといって今、眠気はさっぱり何処かに出掛けてしまっているようだ。
――全部ぜーんぶ、焔さんのせいだ。
不満が頬を膨らませるのを感じながら、再びぶちりと雑草を抜いた。
昨日の夜、焔さんとヴィオラが2人で居るのを見てしまったせいで……今朝からずっと、気まずさがもの凄い。
朝食の席では、いつも通りに挨拶してくれた焔さんの顔を、まともに見ることが出来ず……口に入れたものの味もわからないまま、必死に飲み込んで食堂から逃げ出した。
焔さんとは一度も目を合わせなかったけれども、何となく、何か言いたげな視線が向けられているのだけはひしひしと感じた。
だからこそ、まともに顔も合わせられない今、いたたまれなさすぎたのだ。
目の前には、良い香りのする妖精避けの薬草畑。
この午前中は、レディ・オリビアを手伝い薬草畑の仕事をしていた。
薬草が問題なく育っているかを確認しながら、余計な雑草を抜いていく、地道な仕事。
だがしかし、今のこの、頭の中がぐるぐるしている状況には、単純作業がとてもありがたかった。
青臭さのような、特有の香りに包まれながら薬草にそっと手を添えて、虫食いや枯れがないか確認する。
淡々と作業をこなしながら、しかし頭ではぐるぐると、昨日の光景について答えの出ない思考を繰り返す。
そうやってぼうっとしていたから、レディ・オリビアが近づいてきた気配にすら気づく余裕がなかったようだ。
「どうかしたのかしら?」
そっと声を掛けられてようやっと、傍にしゃがみ込んだ彼女の存在に気づいた。
「あ……」
「リリーさん、朝からずっと溜息ばかり吐いて。悩みごとなら、私が聞くこともできるかしらと思ったのだけど」
「ごめんなさい、私……仕事に集中していなくて」
馬鹿だ、私。
今は仕事中なのに、自分のことばかり考えてしまって……彼女にまで気を遣わせてしまうなんて。
頭を下げた私に、彼女は優しく微笑んで首を横に振った。
「いいえいいえ。謝らないでいいのよ。若いうちなんて、沢山悩んで成長していくものなのだから」
うう、優しい……。
そして自分が情けない。
「ありがとうございます……」
項垂れる私に、隣で同じように雑草を抜きながら、彼女は悪戯っぽく囁いた。
「ふふ、もしかして、恋のお悩みだったりするのかしら?」
「?! どっ……」
どうして、と叫びかけて、しゃがんだままバランスを崩した身体を、慌てて支える。
畑で転んでしまっては、薬草がだめになってしまう。
それよりも今、畑で作業をしているのは私たちだけではないのだ。
慌てて離れた場所で作業をしているライオット王子を見遣る。
……よかった、幸い、こちらの状況になど気づいていないようで、鼻歌を歌いながら雑草を抜くことに夢中になっているようだった。
再びレディ・オリビアを見ると、彼女は「あらあら」と笑いを堪えているようだった。
「リリーさん、わかりやすすぎね」
「う……」
これは、言われてしまっても仕方ない。
彼女は雑草取りに戻りながらも、楽しそうに小声で会話を続けた。
「私ね、もうこんな歳だけれど、恋のお話って大好きよ。……勿論、幸せな結末で終わるに限るわ」
その最後の言葉に、抜いたばかりの雑草をじっと見つめた。
幸せな結末で終わる、恋のお話……か。
「……私も、恋のお話は……幸せな最後の物語が、好きです」
「ええ、そうでしょう?」
現実は、物語ほど上手くはいかないのだけど。
それでも自分で読むならばやはり、幸せな最後のものが良いとは思う。
「リリーさんは、何で悩んでいるのかしら?」
「…………」
「言いづらい?」
「……はい」
言いづらい。
相手が相手だから、ということもあるけれど……言いづらいというより、今はまだ、上手に言葉に出来そうもなかった。
――本当に、自分の中で想いが色々と、ぐちゃぐちゃに絡まってしまっていて。
何とも、上手く消化できないでいる。
素直に頷いた私に、彼女は怒るでもなく、「そう」と優しい声で呟いた。
「……それじゃあ、ただの老婆のお節介だと思って、私の話でも聞いてくださる?」
よくわからないままに頷くと、彼女は何処か遠くを見るような表情で、優しい声で、ひっそりと語り始めた。
――それは、辺境の小さな村で司書をする少女と、少女の働く図書館で館長をする青年の、恋のお話だった。
小さい時から本が大好きで、それ以外のことには興味すら抱かなかった少女は、ある日、山ほどの本を抱えて転んでしまった司書の青年と出会った。
……そして、2人は恋をした。
お互い、本だけに興味を向けてきた2人にとって、それは初めてのことの連続だった。
その恋から沢山のことを学んだ2人は、数年後――生涯を共にする約束を交わすまでになる。
初めての気持ちを実らせた2人を、村に暮らす誰もが、幸せになるものだと信じていた。
「本当に、幸せだったの」
そう呟くように言う彼女の声はしかし、寂しさを隠し切れていなかった。
「そして、結婚を目前に控えたあの日――悲劇が、起こったの」
「悲劇……?」
「結婚の準備のために、隣町まで出掛けた司書の男性はね……帰り道に、馬車の事故にあって、死んでしまったの」
「えっ」
ぱっと顔を上げると、彼女の顔は微笑みの形をしたまま、その瞳は今にも涙が滲みそうな程、小さく揺れていた。
「本当にね、不運な事故だったのよ。誰のせいでもない……ただの事故。残されたのは、花嫁になる予定だった、寂しい司書の女だけ」
「…………」
「後悔したわ。悲しくて悲しくて仕方なくて、しばらくの間は泣いて過ごす日々だったのだけど……その悲しみに浸っている間にね、沢山後悔したの。初めての恋だったから、お互い、何もかもが足りていなかったのね」
「足りない……ですか?」
「ええ。もっと、気持ちを言葉にすればよかった。もっと、彼のことを知りたかった。仕事以外でも、もっと一緒に過ごしたかった。色んな話をしたかった……そんなことばかり、後悔が次から次へとね、沢山溢れて止まらなかった」
「…………」
その人、とは……きっと。
何となく、彼女自身の話のように感じて、私には想像もできないような悲しい思いを彼女がしたのだろうと思うと、胸が痛んだ。
「そんな悲しい……取り返しのつかないことになってから気づくなんて、本当に初心すぎてだめだったのね。……後悔をして、流す涙も涸れ果てた頃に、少女はまた、司書の仕事を再開したの。彼と過ごした図書館で、一生過ごしていこうって決めたのよ」
……やっぱり、それは彼女のこと、なのだろう。
静かな声でそこまで語ったレディ・オリビアだったけれど、小さく笑みを零すと、いつも通りの優しい表情に戻って、悲しみを隠してしまった。
「恋ってままならないものだけれど、取り返しがつくうちは、どんなに大変なことでも頑張ってみるといいと思うの。勿論悩むことも大切なことだけれど、言いたいことは言って、聞きたいことは聞いて……そういう小さなことが、とっても大切なんだって思うわ」
……それはきっと、悲しい結末を経験した彼女だからこその、重みを持った言葉なのだ。
言いたいことや、聞きたいことを我慢したり、躊躇ったりしてしまって……そうして取り返しが付かなくなってしまった時。
私も絶対、後悔するだろう。
今の私の心に、じんわりと深く沁みるような、そんな言葉だった。
「……そういう、小さなこと。大切にできる人間に、なりたいです」
「リリーさんならきっと、なれるわ」
彼女が差し出してきた手に引かれて、立ち上がる。
レディ・オリビアが、私のスカートの裾についた泥をぱんぱんと払ってくれた。
「そうそう。ミモレがね、今日の午後、貴女に会いたいと言っていたの」
「ミモレが、ですか?」
「ええ。宝石池で待ってるって、伝えて欲しいとお願いされたの」
「わかりました。昼食が終わったら行ってみます」
「手間をかけてごめんなさい。あの子のこと、よろしく頼むわね」
「はい」
伝言を伝え終えると、仕事の終わりを告げるため、レディ・オリビアはライオット王子の方へと歩いていった。
華奢なその背を見つめて私は、自分のものではないはずの胸の痛みに、そっと手を押し当てた。




