104.動き出す朝<2>
同い年くらいに見える彼女は、ほっそりした華奢な身体に白いワンピースを纏っていた。
首を傾げると、ふわりと柔らかそうな栗色の髪が肩口で揺れる。
一瞬呆気にとられていたけれど、彼女が動いたことではっと我に返った。
「あ……!ごめんなさい!私、てっきり知人だと思って……」
慌てて頭を下げると、彼女は花が咲くようにやわらかな笑顔で首を振った。
「大丈夫よ。貴女、見ない顔ね?」
「はい、少し前に、王都のリブラリカ図書館から来ました」
「……リブラリカ……」
ぴく、と彼女の肩が揺れたような気がしたけれど、気のせい……だろうか。
彼女は綺麗な顔で爽やかな笑顔を見せる。
「そうなのね。この村はどう?何もないでしょう」
「いえ、そんな……!緑がいっぱいだし、空気も綺麗で、とても良い場所だと思います。ロランディア図書館も、蔵書がたくさんで建物が美しくて……」
「ふふ。そんなに必死になってくれるなんて、この村の人間として嬉しいわ」
――不思議な雰囲気の人だ。
とっても美人で、白く眩しすぎる肌は、日陰でも透き通るように輝いて見える。
印象的な翡翠色の瞳が、キラキラと宝石のように輝いていた。
そんな彼女を見ていると、どうしてか初対面ではないような気持ちになってくる。
突然こんなことを言ったら、変に思われるだろうか。
――でも、なんだかふわふわしたような気分で……。
「……あの、もしかして以前、何処かでお会いしましたか……?」
この村には、出張で来ただけなのに。
そんな短期間で、知り合っていたら忘れるはずもないのに、気がついたら口から言葉が漏れてしまっていた。
「いえ……ごめんなさい。多分、はじめましてだと思うわ」
「そう、ですよね……。すみません、変なことばかり言って……」
「気にしないで。そう言われると、私も貴女と会ったことがあるような気分になってくるわ」
肩に彼女の線の細い手が触れる。
触れられたかも分からないくらいの、羽のような軽さで、そのまま優しく引き寄せられる。
「ねぇ、リリーさん。よかったら一緒に行かない?」
「……え……?」
行くって、何処に?
踏み出した足が、確かに地面を踏みしめているはずなのに、ふわふわと、雲の上のような。
「わ、たし……」
向こうに、アルトが。
何も言わないで来てしまったし――。
「大丈夫よ。ちょっとそこまでだから」
彼女の綺麗な微笑みが、視界いっぱいになって。
足は、彼女に促されるままに、一歩、また一歩と前へ進んでいく。
緑の木漏れ日の中、きらきらと、きらきらと。
「貴女も知っている場所だから、大丈夫よ」
緑の宝石のような輝きが、そこかしこに反射して。
さああああ、と、耳を過ぎていく葉擦れの音。
「……ほら、着いた」
彼女の声に、開けた視界へ目を向ける。
眩しいくらいの、緑と橙の光の海。
ここを、私は知っている。
「きれい……」
「でしょう?……私の一番のお気に入りなの」
そう、ここは……。
「宝石池……」
そう、あの本に書いてあったあの場所。
「いつもここで、あの人を待っていたの」
そう言った彼女に、さらに手を引かれ、前へ。
「私たちはずっと――幼い時から、ここで沢山のことを話したの」
また、一歩。
輝く水面へと近づいていく。
「あの時間が、大好きだった」
また、もう一歩。
「だから、ね――」
ふわふわとした意識のまま、引かれるままに足を踏み出して――。
彼女の綺麗な唇が、次の言葉を紡ぐ……その瞬間。
「リリー!」
がん、と頭を叩かれたような軽い衝撃に、ぐら、と意識が揺れた。
痛いくらいの力で肩を掴まれて、後ろに引き戻される。
「わ……っ」
勢いのまま、後ろに尻餅をついた。
夢から急に覚醒したような――、ここ最近、慣れすぎてしまった感覚。
「え、え……?」
しょぼしょぼする目で懸命に瞬きして、頭を振る。
腰に感じる痛みはそれほどでもないけれど、眩しい光が目に沁みて、少しだけ涙が滲んだ。
背中の方に誰かの溜息を感じて、振り返る。
「あぶな……。大丈夫か、リリー」
「え、あ……殿下……」
よく見れば、私の胴体にライオット王子の腕が回っている。
王子に後ろから抱きかかえられるような恰好で、2人揃って泉のほとりに座り込んでしまっていた。
「お前の猫がついてこいっていうから来たけど……いくら暑いからって、ふらふらしながら泉に倒れ込むっていうのはどうかと思うぞ」
少し怒ったような顔をしたライオット王子に、ぴしりとデコピンされてしまった。
「ほんとに、勝手に歩いてったと思ったら。何やらかそうとしてんだ。ったく」
その肩には、呆れたような目をしたアルトも乗っている。
先に立ち上がったライオット王子の手を借りて、まだ少しだけふらつきながら立ち上がった。
「ごめんなさい……。助けてくれてありがとうございます、殿下」
「あまり危ないことはしてくれるなよ。リリーには危ない目になんて会って欲しくない。……それに、俺が大賢者に怒られる」
「あはは……」
確かに、こんなこと焔さんに知られたらめちゃくちゃ怒られそうだ。
改めて辺りを見回してみる。
夕暮れの鮮やかな橙色の光が、木々の緑の葉を透かして燦々と降り注ぐ。
橙と緑、両方の光を反射する水面。
間違いない。ここはロランディア図書館の裏の、あの泉だ。
さっきライオット王子に引っ張られるまで――図書館裏で、あの不思議な女性に会ってから、ここに来るまでの記憶は、とても曖昧だ。
彼女と話しているうちに、ふわふわと意識が……。
あの感じは、間違いなく、ここ最近の不思議な夢を見ている時と同じ感じだった。
「……おい、本当に大丈夫か?」
黙って考え込んでいたのを、心配されてしまったらしい。
不安そうに顔をのぞき込んできたライオット王子に、私は「はい」としっかり頷いてみせた。
「心配かけてごめんなさい。私は大丈夫です」
「そうか?なら、いいんだけど……」
「おいリリー、お前なんでこんなとこにひとりでいたんだよ?」
ぴょん、と飛びつくように胸元に跳躍してきたアルトにそんな風に問われて、一瞬返答に詰まる。
なんで、って……私もわからない、のだけど。
それより今、アルトはなんて言った?
『こんなとこにひとりで』……ってことは。
なんだか恐ろしいことに気づいてしまったような、分からないけど分かってしまったような……嫌な感覚に、背中に寒気を感じてしまった。
でも、今下手なことを言ったら、アルトから焔さんに報告されて……疲れている焔さんに、余計な心配をかけてしまうかもしれない。
言葉を、選ばないと。
「……うーん、ちょっと、お散歩?」
「はぁ?そんなことで泉に飛び込もうとするって、お前……」
「まあまあ」
「あ、おいコラ」
更ににゃーにゃー鳴こうとする相棒を、ひょいと身体の前で抱きかかえる。
びろん、と縦に伸びたアルトが不満丸出しの顔をするけれど、今だけは誤魔化されて欲しくて、そのまま泉に背を向けた。
「殿下、こどもたちとは別れたんですか?」
「ん?ああ、みんな家に帰ったよ」
「じゃあ私たちも帰りましょう?散歩でリフレッシュできたし、お腹すいちゃいました」
「……そう、だな」
泉から遠ざかろうと歩く私の後ろを、王子の足音がついてくる。
「そうだ。さっきはその、本当にありがとうございました。わざわざ探しに来てもらって、ごめんなさい」
肩越しに振り返りながら言うと、王子は一瞬はっとしてから、何だか上の空のような笑顔で笑った。
「ん……、いや気にするな」
何かに気を取られているような反応が気になったけれど、その時の私は、一刻も早くこの場を去りたくて仕方なかったから、それ以上尋ねることもしなかった。
「…………」
ただ早く図書館へ帰りたくて、私の後ろで、ライオット王子が少しだけ足を止め、泉の方へと鋭い視線を向けていることにも気づかなかった。
まだ少しだけ震えている手で抱いたアルトが、何かを考え込むように黙りこくっていたけれど、私はそれにも気づかないふりをした。




