103.動き出す朝<1>
……何かがおかしい。
もぐ、と一口囓ったサンドイッチは、今日もみずみずしい野菜とたっぷりのソースがたまらなく美味しい。
ああいや、そうじゃなくて。
美味しい食事に意識を持っていかれそうになるのを、ぶんぶんと頭を振って堪える。
そう……この数日、何かがおかしいのだ。
寝不足気味でぼんやりしかける思考を、頑張って巡らせる。
毎晩のように、何かに呼ばれているような、不思議な夢を見る。
そして、はっと目を覚ますと、ベッドの上ではない場所にいるのだ。
確か、一番最初の時には部屋のドアの前だった。
それから日を重ねるごとに、移動している距離は長くなっている。
ドアの前の次は、廊下。廊下の次は、階段。
階段の途中で目を覚ました時には、さすがに転がり落ちそうになって肝が冷えた。
毎日、少しずつ部屋から遠い場所まで歩いていってしまっている。
これは、やはり夢遊病とかいうやつなのだろうか。
でも、そうやって歩いていた時、毎回同じ夢を見ている――というのも気になる。
手元のサンドイッチがなくなって、今度は野菜とフルーツが色とりどり美しく盛られたサラダへとフォークを伸ばす。
……いつもいつも、あのぼんやりした夢。
何かに呼ばれているような、誰かの声が聞こえるような……不思議な夢。
私の行動に夢が関係しているというのなら、それは……魔術的な何かだと考えることができる……の、だろうか?
つい最近、レグルの元で魔術の勉強をし始めたばかりの私。
そんな乏しすぎる知識では、判断なんてつくはずもない。
判断がつかないのなら、焔さんに相談してみればいいだけ……の、はずなのだけど。
ちら、と隣に座っている焔さんへと視線を向ける。
焔さんはスープを口に運びながらも、うとうとと船を漕いでいるのだ。
「……あの、マスター?」
見かねて声を掛けると、ふぐ、と変な音を出した焔さんが、数回咳き込んだ後に顔を上げ、こちらへ微笑みを向けてきた。
「り、リリー。どうかした?」
「大丈夫ですか?……その、なんだか眠そうですけれど……」
「ん?んー……大丈夫。ちょっとね、夜更かししすぎただけだから」
「そう、ですか……。ちゃんと眠らないとだめですよ」
「うん。心配かけてごめんね」
「いえ……」
何となく、誤魔化されたような気がする……けれど、話してくれないのなら、仕方ない。
私は自分の食事へと意識を戻すと、見つからないように小さく溜息を吐いた。
美佳と電話してからというもの、焔さんに昔のことを聞いてみようと思うのに、なかなかタイミングが掴めない。
ここ数日、ずっと彼が眠そうなのもあるし、私も毎晩のように見る不思議な夢で何となく手一杯になってしまっている。
……どれもこれも、うまくいかないなぁ。
気落ちしながらも手にしたデザートのプリンは、あっさりした甘みと濃厚な味で、すうっと疲れを癒やしてくれるようだった。
「あ、そうだ」
隣の席で同じようにプリンを食べていたライオット王子が、ふと声を上げた。
「大賢者に頼まれてたあれ、先方から返事来てたぞ。明後日なら大丈夫だって」
「ああ、ありがとう。助かる」
私を挟んで会話する王子と焔さんに、私は首を傾げる。
その様子を見たライオット王子が、私に得意そうな笑顔を見せた。
「ほら、前にザフィア王の生家に行く話、しただろ?あそこを管理してる領主の家に、父上からお伺いを立ててたんだよ」
「ああ……!うん、そんなこと言ってた!」
色々ありすぎて、すっかり忘れていた。
忘れていた、のだけど……明後日なら大丈夫、ということは。
期待の眼差しを向けると、焔さんがひとつ頷いた。
「うん。明後日の午後、一緒に行こうか、リリー」
「はい!」
「ちょっと待てって!俺も一緒に行くからな!」
「えー」
「えーってなんだよ!俺が頑張って手配してやったんだろー」
「あーはいはい。よくやった」
「上から目線だし……!」
ぎゃいぎゃいと頭上を飛び交ういつもの光景など目に入らないくらい、その時の私は浮かれていた。
久しぶりに、焔さんと一緒に行動出来る……!
もう一口、口に運んだプリンは、先ほどまでよりももっと美味しく感じる。
これといった成果もでず焦っていた所だけれど、これを機会に調査も進みそうな気配に、気分が上向くのを感じた。
そんな嬉しいことがあった日の午後。
レグルが隣町に用事があるとのことで不在になったので、久々にライオット王子と子供たちとだけの時間を過ごしていた。
お茶をし終わった子供たちは、図書館の庭で王子とかけっこを楽しんでいる。
あの切り株に座ってその様子を眺めていた私は、ふと図書館の建物の影に何か動くものを見たような気がした。
ロランディア図書館の裏には、リブラリカのように小さな薬草畑がある。
こちらの世界の図書館には、薬草畑がつきものだ。
きっと、レディ・オリビアが畑の手入れをしに来たのだろう。
午前中に書架の整理をしていたときに、そろそろ畑の薬草を採ってこなくちゃ、なんて話していた。
本にいたずらをする妖精を寄せ付けないために、図書館では定期的に妖精避けのポプリを作る。
畑で薬草を育て、摘み、乾燥させてマナを混ぜながらポプリに仕上げるその作業は、本を大切にするために必要なことで、もちろん、司書の重要な仕事のひとつだ。
彼女もぼやいていたのだが、これがなかなか、手間も暇もかかる作業なのだ。
私もみっちりと作り方を習ったけれど、妖精や季節によって変わる薬草の組み合わせや、それぞれに異なる扱い方など……短期間では覚えきれないほど大変なのだ。
ちょうど暇だし、手伝いにいこうかな。
同じく切り株で気持ちよさそうに昼寝をしていたアルトをそのままに、私はその影を追いかけて建物を回り込む。
「レディ・オリビア――」
そう呼びかけて、のぞき込んだ図書館の裏庭。
しかし、そこに佇んでいたのは、想像していた人ではなかった。
「あ、れ……?」
ぱちくりと瞬きをする。
私の呼びかけにくるりと振り返ったのは、レディ・オリビアではなく――髪の短い、若い女性だった。




