102.初めての魔術<2>
空に輝く虹色の帯を見上げて、私はぽかんとしてしまっていた。
「わあああ!綺麗!」
「おっきーい!!すごい!」
それに気づいた子供たちが、次々と歓声を上げる。
やがて手の平から水の粒が出なくなっても、虹はしばらくの間、そこにあり続けていた。
「うん、よくできましたね」
私の手を取ったまま、レグルが声を掛けてきて、はっと我に返る。
優しい笑顔でこちらを見つめる彼に、私は喉の奥で詰まってしまったようになっている声を絞り出した。
「レグルさん、これ……」
「ええ。貴女の力ですよ。私はちょっとお手伝いしただけです」
「私、が……」
信じられないような気持ちで、再び虹を見上げる。
薄れ始めてはいるものの、マナの粒子と水の反射で生まれた虹は、まだその輝きを失ってはいなかった。
……これを、私が……。
「貴女は、やり方を知らないだけです。魔力も十分に強い。知らないのなら、これから知っていけばいい。そうではありませんか?」
「レグルさん……。私、できるようになるでしょうか?」
「勿論です。私がお手伝いしたとはいえ、初めてでこれほどまでに見事な魔術が使えたのは、私が知る限り、リリー様だけですよ。これからゆっくり、マナの扱い方を学んでいきましょう。私で良ければ、お教えしますから」
「教えて頂けるんですか?!」
考えてもいなかったことに、まだ触れたままのレグルの手を握りしめ、思わずがばりと身を乗り出してしまった。
自分は元々この世界の人間ではないから、私に魔術は使えないものだと、ずっとそう思っていた。
だからこそ、ヴィオラにあんな言葉を投げかけられても、傷つくことしかできなかった。
でも、私でも努力すれば魔術が使える、というのならば。
大賢者様の秘書という立場であることに負い目を感じることも、なくなるのではないだろうか。
「私……私、頑張ります!練習も勉強も頑張ります!だから、魔術教えてください!」
私の勢いに驚いた表情で目を瞬いていたレグルだったけれど、すぐに嬉しそうな笑顔になって頷いてくれた。
「はい、私の拙い知識で宜しければ、指導させて頂きます」
「よろしくお願いします!」
「お、なんだなんだ。リリー魔術を習うのか?」
「おねーちゃん魔術の練習するの?」
「一緒にやろー!」
「ぼくも教えてあげる!」
私たちの様子に、ライオット王子や子供たちまで集まってくる。
皆に囲まれながら、陽が暮れるぎりぎりまで、私は初めての魔術の授業に夢中になっていた。
夕食後。
部屋に戻った私は、ぼすっとベッドに倒れ込んだ。
「ふわー……。疲れた」
「だろうな」
軽やかにベッドに飛び乗ってきたアルトの尻尾が、視界でひょんと揺れる。
「魔術を使うのは体力も消耗するんだ。初めてであんなにやってたんだから、疲れもするだろうよ」
「そうなんだー……。お腹空くのも魔術のせいだって、レグルさんも言ってたもんね」
そうなのだ。
夕食の時、いつもよりもお腹がぺこぺこで、沢山食べていたら焔さんに心配されてしまった。
そこにレグルさんが魔術の練習のせいですよ、と教えてくれたのだけれど。
……何となく、焔さんが不機嫌そうな顔をしていたような。
何か、気に入らないことでもあったのだろうか。
「……調査、あんまり進んでないのかな」
枕に顔を押しつけたまま、ぽつんと呟く。
結局、今夜は自宅に帰るのか、焔さんの所に行くのか行かないのか。
自分の中で結論がでないままに、夕食後自室へと戻って来てしまっていた。
「で、今日はどーすんだよ。帰らないのか?」
「んー……。疲れちゃったんだよねぇ……」
調査が進んでいないようなら、邪魔をしてしまうのも申し訳ない。
何しろ、保管書庫に向かう理由がないのだ。
それになにより、身体が重い。
もう疲れ切ってしまって、今から村を出て、扉までの道を歩いて行ってリブラリカから自宅へ帰る……というのも億劫だ。
ごろりと寝返りを打つと、疲れた身体を受け止めてくれるベッドに、どんどん意識が沈んでいく。
「おい、おーい、リリー?」
「ごめん……アルト、ちょっとだけ……」
ちょっとだけ、休んでから考えよう……。
眠りに落ちていく感覚に、抗うことなく身を任せる。
洗い立てのシーツの香りと、ハーブの香りに身体の力が抜けていって。
やがて、深い眠りへと意識が落ちていくのを感じた。
――ふわふわ、ふわふわ。
心地の良い揺れ。
これは、世界が揺れてるの?
それとも、私が揺れているの……?
柔らかくて、心地が良いような。
少し、肌寒いような感覚。
ぬるま湯に、とっぷりと浸かっているような。
――。
え?
――。
何……?
――、――。
……誰かの、声……?
ふわふわ、ふわふわ。
漂うように、声のした方へ。
――。
悲しそうな、声。
どうしたのだろう。
私、呼ばれて――?。
「――っ!」
突然、水から顔を上げたような。
急激な意識の覚醒に、思考がついていかない。
「え、何……?」
突然の暗闇に、驚いた。
冷たいものを握りしめている感触。
前に出した右手が、何か金属の細長いものを握っているようだった。
ばくばくと心臓が早鐘を打っていて、呼吸が乱れる。
目が暗闇に慣れるのは、すぐだった。
「あ……」
見慣れた質素な部屋。
シーツが乱れた寝台に、黒い塊がまるくなっている。
裸足の足の裏に感じる、ざらついた木の床。
……大丈夫、大丈夫。
こういうときは、大きく深呼吸を……。
意識して、大きく乱れる呼吸を大きく、深くするように意識する。
白い布が視界に揺れる。
これは、私の着ているネグリジェ。
そして、ゆっくり視線を上げて……うん、私が握っているこれは、ドアノブだ。
ここはロランディア図書館にある私に割り当てられた部屋で、窓の外を見る限り、まだ夜明けは遠い時間だ。
……私はどうやら、寝ぼけて部屋を出ようとしていたらしい。
別に、夢遊病だったりはしないはずなんだけど……。
それに、何かに呼ばれているような、変な夢だった。
ふわ、と欠伸が漏れる。
まだまだ身体も怠いし、眠い。
寝直そう……。
ベッドに戻ってシーツに潜りこむと、すぐにまた深い眠気が襲ってくる。
その日はもう朝まで、夢を見ることもなく深く眠った。




