139.歪な愛がぴったりだね
痺れの残る指先にうまく力が入らず、コップを取り落とした。トリシャが微笑んで水を拭い、新しいコップを手渡す。両手で僕の手を包んで、傾けて飲み終わるまで離さなかった。近い距離にいる彼女の、薄化粧の頬に唇を押し当てる。
「元気が出たようで何よりですわ」
ふふっと笑うトリシャは遠慮がなくなってきた。望んでも得られなかった変化が、突然訪れたのは……僕が倒れたからか。ステンマルクの夜会で、傷つけられても顔を上げた天使のような君が、また戻ってきた。
望むように動けなくて苛立つけど、それを上回るご褒美だね。ずっと僕に遠慮していた。強請るどころか、望みを口にすることもない。出来るだけ静かに目立たぬよう控える彼女が、ようやく自由に羽を広げている。
うかうかする間に、僕が見捨てられてしまいそうだった。
「トリシャ、結婚式の準備を急がせよう」
あと2ヶ月に迫った結婚式、すでに各国への手配も済んでいる。属国は王族、その他の国からも公爵以上の参加が表明された。勝手に日付を前倒しするのは無理があるとしても、準備を完璧に整えておきたい。執務が出来ずにベッドにいるから、余計にそう思った。
「ドレスも靴も、お飾りも決まりましたわ」
「化粧品は? ヴェールの最終打ち合わせもまだだし、君のブーケも考えなくちゃ。それに……僕は結婚後のことも決めたい」
もう決めることはないと微笑むトリシャに、僕は小さな話を先に出し……本命を最後に切り出した。目を瞬いたトリシャの表情が曇る前に、再び口を開く。
「トリシャ以外の妃はもらわない。もう決めたんだ。だから……僕の子を産んでくれる?」
皇帝が皇妃との結婚後に望むこと、通常は側妃選びだろう。今までならそうだった。皇妃は側妃を管理する立場にあり、皇帝に近づく女性を選び切り捨てる権利を持つ。側妃達の嫉妬や諍いを上手に治めるのは、宮廷の女主人としての役割でもあった。
王太子妃として教育されたトリシャのことだから、その点を心配してるんじゃないかと思ったけど……当たってたみたいだね。
「私以外、誰も……ですか?」
「そうだよ。僕はトリシャだけが欲しい。トリシャ以外の女を妃にしないから、浮気したら殺していいよ」
物騒な告白だけど、トリシャは微笑んだ。嬉しそうで気恥ずかしそうな顔、やっぱり君は僕と同じタイプの人間だったね。
――愛した存在を他者と共有なんて出来ないから、束縛して独占する。
「覚えていて、トリシャ。もし僕以外を愛したら、その目は二度と光を見ないし、耳は小鳥の囀りすら聞けなくなる。声は残すけど、僕以外の名を呼ぶなら……どうしようか」
ごくりと喉を鳴らして俯くトリシャが、頬を赤く染めた。普通なら青ざめる言葉だよ? こういうところを、僕は気に入ってる。人の命を奪うことに躊躇しない男に愛され、閉じ込められ、束縛されているのに……微笑むなんて。
「その時は、喉を切り裂いてください。エリクの小鳥でいられるように」
囁くような肯定に両手を広げると、トリシャはおずおずと首に腕を回す。彼女の匂いを胸いっぱいに吸い込み、強く抱きしめた。




