107.まだ兄弟だった頃のように
急速な世代交代は無理が伴う。それは切り捨てる貴族の痛みを伴い、頂点に立つ僕の時間と自由を奪った。それでも皇帝の首を刎ねた決断に悔いはない。あの色狂いは獣以下だった。誰の妻や娘でも関係なく襲い掛かるなど、最低の生き物だ。
そっくりな長兄を先に処分したことで、他の皇子や妃達の処分は楽だった。僕に味方した貴族の腹が据わったと表現すれば近いだろうか。皇太子があの言動で処分されなかったのは、他の皇子の出来が悪かったからだ。それらを傀儡にするより、僕を持ち上げた方が早い。
覚悟を決めた貴族の後押しもあり、僕は有力な後見をもつ兄弟から処分した。散財しか能がない姉妹は後回しにし、皇帝の首を落とす。ここから先は、得た権力を有効に利用すればいい。玉座に座ることを否定する貴族や、騒がしい皇族を片付けた。
両手どころか髪の一筋まで赤く染まった残虐皇帝、生き血を飲むとさえ噂される。馬鹿馬鹿しいが、それらの噂は役に立った。がたがたに崩れた帝国の屋台骨を組み直し、国を豊かにする。その行動に必要な強権を発動した際の反発が抑えられるのだ。皇帝の座はいつしか僕に馴染んだ。
「この時計は……」
「ああ、僕を救ったマルグレッドの遺産だ」
形見というより、遺産。この世界に残していく僕やニルスに対する、財産だった。命の危機を救い、心を安らがせてくれた。僕にはもうトリシャがいるから、本来受け継ぐべき息子へ渡すのが筋だろう。妻を殺されたニルスの父は、皇太子への不敬罪で殺された。僕らはそう聞いたが、おそらく妻の仇を討とうとしたのだろう。
あの時、もっと力があれば助けられた。でもあの頃の僕らはまだ子どもで……その後悔もあって常に持ち歩いていたのだ。いつか、僕が強くなったらニルスに返そう――と。
「遅くなって悪かったな」
「……っ、いいえ」
首を横に振ったニルスが、傷だらけの蓋を撫でて微笑む。それから鎖の先にあるクリップを掛けて、胸ポケットに滑り込ませた。
「ニルスは、いつから」
「母が庇ってくれたと言いました。その言葉通りです。母と一緒に入宮してすぐ、第三皇子に目をつけられました。大人が来ると逃げましたが」
第三皇子は、皇太子に虐められていた。その腹いせに、弱い立場のニルスを攻撃したのだろう。大人が来ると逃げるのは、彼の母親の地位が低く後見がないからだ。僕の母親は生まれだけは高貴だった。実際は頭の中身の足りない、外見だけの最低女だけど役に立ってたみたいだな。
「気づかなくてすまなかった」
あの頃気づいたとしても、何もしてやれなかった。その現実を飲み込んで謝る。僕は従者を傷つけられ、兄弟を攻撃されていた事実を知らずに守られ続けた。知らなければ罪がないとは言わない。
「いえ。皇族殺しの日に、しっかりお返しさせていただきましたので」
微笑むニルスの表情に、そういえば「くれ」と言われて自由にさせた記憶がある。傷だらけの背をシャツで隠し、僕はベッドで手招きした。
「どうなさいました?」
下がろうとしたニルスの手を握る。
「昔のように一緒に寝ないか?」
「……坊ちゃん」
「その呼び方でいいから、今夜はこの部屋で寝ろ」
普段は呼ばれると嫌がるくせに、僕はくすくすと肩を震わせて笑う。広いベッドを転がって半分空けると、その場所を叩いた。少し迷ったあと、ニルスは靴を脱いで隣に横たわる。
「今夜だけですよ」
「わかってる。本来そこはトリシャの場所だ」
顔を見合わせ、濡れた髪の先を弄りながら……明け方近くまで昔話をした。まだ子どもで、兄弟として過ごした頃のように。やがて疲れて目を閉じるまで。




