第3話:新しい未来へ出発します。
「……東京に引っ越す事になった。」
「……とう、きょう…?」
約束通り六時前に家に着くと、もう家族全員が帰っていた。
急いで部屋着に着替えて、リビングに降りる。
リビングに着くと、丁度時計の針が六時を指していた。
私が席につくと、ソファに座っていたお姉ちゃんもお兄ちゃんも席につく。
並びはいつもと変わらず、奥にお父さん、お兄ちゃんと並んで座り、お父さんの前にお姉ちゃん、私、お母さんが並んで座る。
これは私が小学生になった頃から続いてる習慣の一部。
今日の晩御飯はほかほかのシチュー、焼きたてのパン、海藻サラダに、デザートのフルーツ。
今日のフルーツはお姉ちゃんのリクエストでいちごとミカン。
みんなそろって頂きますを口にして、ほかほかのシチューを食べる。
家のシチューはチーズが入っていてトロトロとしている。
最初は雑談していて、皆のお皿が空っぽに近づいてきたとき、今まで閉ざしていた口を開けたお父さん。
その時自然とみんなは、持っていたスプーンを置く。
少しの張り詰められた空気のなか告げられた、地元を離れるという言葉は、私に大きな衝撃を与えた。
「……え、東京?本当なの、お父さん?」
「……マジか…。転校しなきゃだなぁ。」
「……東京の本社に出世出来ることになったんだ。」
「東京は教育機関もちゃんとしてるし、少し人が多いのは心配だけど、いい所よ?」
四人の声を傍で聞いてるはずなのに、何処か遠く感じた。
私以外の二人はあまり衝撃を受けてないみたい。
なんで?おかしいよね?私は過去からきて、今ここにいるのに、あの頃と未来が変わってしまう。
あの頃は高校卒業するまで、地元を離れなかったのに。
「やった!東京とかいいじゃん!」
「俺ら高校の受験しなきゃなんないんじゃないの?」
「ふふ、貴方達の学力なら平気よ。」
「……悠妃、どうだ?」
「……私は、」
お父さんが私を静かに見つめていた。
いつもの私なら、へーそうなんだ。くらいで黙っていることはなく、次の生活についてお父さんに聞いたりしてるはずなのに。
私の瞳を、私の感情を読むように覗き込むお父さんの顔は、いつもと変わらないように見えて、少し不安そうだ。
当然私が混乱しているのにも気づいてるんだろうな。
だって未来が変わるとか…、誰が想像できるの?
過去に戻って、また同じ未来をたどって、それで私の気持ちを入れ替えるのだと思っていたんだもん。
「…い、いいんじゃない?私は地区内の中学行くの?」
「……あぁ。近くの公立だが、文武両道で施設も最新のもので良いところだぞ。」
「そっか。じゃあ準備しなきゃだね。」
動揺を悟られないように、いつものように振る舞う。
だって私は、いつも飄々としていて、何事にも柔軟な性格をしてるんだから。
「…新しい家はどんな所なの?」
「…一人部屋を作ってある。」
「え、本当に!?やったぁ!お父さんさすが!」
「おお、準備いいなー。」
「圭一と春妃には高校のパンフレットを渡しておくから決めておいてね?
編入試験とかいろいろあるから。」
「「はーい。」」
新しい家の話に、私は入っていけなかった。まだちゃんと現実だと理解出来てなかったからだろうか。
私は黙々と残った食事を開始する。
時々私の様子を見るかのように視線を向けてくる両親やお兄ちゃんやお姉ちゃんに、気づかない振りをして。
頭の中はこんなにも混乱してるのに、行動には出ないなんて。
どうして私はこうなんだろう。
どうしよう、未来が変わってしまう。
そうなったら私は、どうなるんだろう。
未来が見えない、わからない。
どうなるんだろう。
私は、青春を共に過ごしたい、共有したいと思った皆と離れなきゃいけないのかな。
引っ越すのは私達姉妹が卒業式を終え、お兄ちゃんの終了式が終わった次の日と決まった。
この地元、高知にいるまでのタイムリミットはあと二ヶ月くらい。
残りの時間を考えると、とても短く感じた。
次の日から親戚やお世話になった方々への挨拶回りがはじまった。
祖父母は寂しくなるね、と言っておしんでくれた。
産まれたときからずっと身近にいた家族から離れてしまうと、実感した気がする。
叔母さんや叔父さんたちの家にも行った。
二人とも、やっぱり別れをおしんでくれた。
いつも近いところに住んでいる私達は従兄弟と遊ぶことが多かったから、余計感じることがあるみたい。
けれど、従兄弟達は幼いからまだ理解は出来てなかったみたいだけど。
今はお母さんと二人で、小学校に向かっている。
卒業後東京に引っ越すにあたって、改めて住所の変更とかしなきゃいけないから。
慣れた道を歩いてるはずなのに、夢の中の様な感覚がある。
「……引越ししたくない?」
「………そんな事はないよ。」
「……嘘ね、そんな顔しといて。」
「………。」
「急でごめんね、本当は東京行くつもりなかったのよ。」
「……え、」
「でもね、貴方達の将来を考えて少しでも夢が広がるようにって考えたら、都会は何かと都合がいいでしょう?」
「…うん。」
「それに…、悠妃には色々な事に挑戦して欲しいの。このままじゃ貴方は楽な方へ進んで行きそうで…。」
ドキッとした。過去の自分はまさにお母さんの言う通りだから。
あの頃の私は、ただただ流れるように、私に優しい方へ、楽な方へ進んでいっていたから。
「……友達や住み慣れた街を離れるのは辛いでしょう。それでも新しい場所でも出会いはあると思うの。……勝手なこといってごめんね。」
「……ううん、大丈夫。」
やっぱりお母さんには適わないなって、だって私の考えはお見通しなんだもん。
私は、引っ越しすると決まったあの日から考えていたことを、お母さんに話してみた。
「……東京で、私はやっていけるかな?」
「大丈夫よ、だって貴方は強いもの。」
「……中学でちゃんと、友達できるかなぁ…?」
「貴方なら大丈夫よ。」
「……楽な方に、行かない、かなぁ…?」
「大丈夫、悠妃は私たちの自慢の娘なんだから。」
だから、大丈夫。
いつも優しいお母さんの声が、今日は一段と優しく感じ、暖かく私を包んでくれるようだった。
お母さんは私を抱きしめる。
その優しく私を抱きしめてくれる腕の中で、道の途中だというのに、声を押し殺して涙を流した。
小学校の先生方は、突然の事に驚いていた。
そして、私なら大丈夫だ、と。私ならやっていける、とエールをくれた。
帰り道の途中、お母さんは私に、友達に言うのは、貴女のタイミングでいいわよ。と言ってくれた。
……その言葉に、少しホッとした。
あれから、またいつもの日常を過ごしていて、気づいたら学校が始まってもう一ヶ月が経っていた。まだ私は引っ越すことを打ち明けられていない。
卒業式が近づくにつれて、話にでてくる中学の話。
私は曖昧に相槌を打つことしかできない。
二月の初旬、残り一ヶ月になってやっと皆に言う決意が出来た。
「……ねぇ、みんな。」
「ん?なぁに、悠妃!」
「どうした?」
いつもの昼食の時間。
班に分かれて給食を食べる。
いつもの五人で集まって。
私の声に反応して、友人たちは笑って私になげかける。
あぁ、私はこの人たちと離れることになるんだ。
そう思ったら、胸がきゅうっと締め付けられるように感じた。
「……私、引っ越す事になったの。」
「…………え、」
私の発した言葉に空気が一瞬で固まった。
そんな雰囲気を察知したのか、他の班の子達も心配そうに私の方を見る。
「……卒業したら東京に行くの。」
「……、なんで、」
「お父さんの転勤だって。」
「……いつから、分かってたの?」
「………一月くらいかな。」
いつもの五人のなかで女の子は私と秋音と葉月。
二人は呆然と私を見つめたまま、聞いてくる。
残りの二人、樹と大智は何も言わず、私の方を凝視する。
「なんで、……なんですぐ言ってくれなかったの!?」
「…っ悠妃、なんで…!」
「……ごめんね、」
「…本気かよ…。」
「うん」
秋音と葉月は泣き出して、大智はらしくなく取り乱していた。
周りのみんなも動揺してか、騒がしくなっていた。
その中で樹はじっと私を凝視して。
「…ごめんね、」
私の声はこの騒然とした空気のなかに溶けていった。
あれから秋音たちに怒られたりしてひと悶着あったけど、最後は残り少ない日数を楽しく過ごせた。
…でも、樹とはあれ以来すこし距離が空いた気がする。
今日は私達が高知を離れるとき。
祖父母と従兄弟家族にお兄ちゃんたちのお友達家族、そして秋音たちはわたしのお見送りとして、飛行場まで来てくれていた。
……その姿のなかに、樹の姿もあった。
すこし私達と距離をあけて、じっとこちらを見てくる。
「元気でね、悠妃。」
「帰ってきたらまた遊ぼうね。」
「ちゃんと連絡しろよー?」
「うん、わかってる。ありがとうね。」
四人は気丈に振舞っていた。すこし声が震えているから、泣くのを我慢してくれてるんだとわかったけど、私からはなにも言わなかった。
「……悠妃」
「……樹、」
ゲートを潜ろうとすると、樹が話しかけてきた。
彼の声を聞くのは何日ぶりだろう。
「…、……またな。」
「…ん、またね。」
何かを発しようと開けた口を一回閉じて、ただ、私にさよならの挨拶をしただけで終わった。
私もそれを指摘しなかった。
だって、それをしたら何かが大きく変わりそうだったから。
ゲートをくぐって皆の声が遠くなり、姿も見えなくなった頃、私の視界が歪んでいた。
「…また会える。」
普段慰めるなんて出来ない、寡黙で不器用なお父さんはその大きな手で私の頭をなでた。
お兄ちゃんとお姉ちゃんも少し目に涙が溜まっていた。
さっきまでいた友達やお祖父ちゃんたちとの別れはやっぱり辛かったみたい。
「…大丈夫よ、悠妃。」
止まりそうになる私を、優しく背中を押してくれるお母さん。
嗚咽をもらさないようにするだけで精一杯だった私は、それに促されて飛行機に乗り込んだ。
「…バイバイ、またね。」
乗る瞬間、呟いた声は皆には届かないけど。
それでも何故か皆から返事をしてもらったような暖かい空気が私の頬をなでた。




