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朝乃という名の隕石が落ちて

 翠と功の引っ越しは、順調に終わった。しかしその後、少し困ったことになった。ドルーアがたいした用もないのに、よく電話をしてくるようになったのだ。功と翠が近所に来たことが、よほどうれしかったらしい。ことあるごとに、

「一緒に酒を飲もう」

「ゲームをしよう」

 などと誘ってくる。

「さすがに、ちょっと迷惑なんだけど」

「まぁ、そのうち落ちつくんじゃないか」

 ドルーアは、非常識そうに見えて常識的な人間だ。だから彼が浮かれるのも、いっときだけのことだ。適当に放っておこうと翠たちは決めた。ところが引っ越しから約一か月後に、事件が起きた。朝乃がドルーアの前に現れたのだ。

 いろいろあったすえに、翠たちは朝乃を養女として迎えることにした。養子縁組をするかいなか、夫婦でとことん話しあった。

 年ごろの娘を保護して、教育を与えて、彼女が自立した大人になるまで面倒をみるのだ。簡単に決められることではなかった。だが翠たちは、朝乃の父母、もしくは兄姉のような存在になると決めた。

「家の中に、朝乃ちゃんの部屋を作らないといけないわ。彼女のプライバシーを守るために」

 翠はプロのハウスキーパーに金を払い、倉庫のようになっていた屋根裏部屋の片付けと掃除をしてもらった。さらにシングルベッドとじゅうたんを購入した。

 屋根裏部屋は、わが子のためのプレイルームにする予定だった。したがって部屋は使っていなかった。未使用の部屋があったので、それがそのまま朝乃の部屋になったのだ。

(ごめんね、赤ちゃん。でもあなたのパパは、朝乃ちゃんのような子どもを放っておける人じゃない。だから私は功を愛しているし、日本からこの浮舟まで逃げてきた)

 功と結婚したときは、自分が月へ行くとも養女を迎えるとも思わなかった。翠がいそがしく朝乃を迎える準備をしていると、ドルーアが家にやってきた。彼は、突然朝乃を家族として受け入れることになった翠を、心配して来たらしい。彼はいい友人だ。

「朝乃ちゃんの部屋は、屋根裏に用意したの」

「すばらしい。君は親切で、なおかつ仕事も早い」

 ドルーアは屋根裏部屋に上がると、棚の上にバラの鉢植えを飾った。朝乃への贈りものなのだろう。彼は優しい顔をしていた。

「机がほしいな。鏡台や洋ダンスも。僕が買って、朝乃にプレゼントしよう」

「ありがとう。朝乃ちゃんもきっと喜ぶわ」

 翠は笑った。しかしドルーアは、自分で自分の発言を否定する。

「いや、駄目だ。朝乃は多分、遠慮する。新品は避けよう、高価なものも」

 彼は悩んだすえに、自分が昔使っていた机を朝乃に譲ると決めた。それから、

「初めての出産を控えている君に頼むのは心苦しいが、朝乃のことを頼む」

 ものすごく真剣な顔だった。翠は驚く。朝乃という名の隕石が落ちて、ドルーアの中に父性のクレーターができたようだった。そしてそのクレーターは、功の中にも存在する。おそらく朝乃は、とてもいい子なのだろう。

「大丈夫よ。任せて。ただ鉢植えのプレゼントは、朝乃ちゃんが嫌がるかもしれない」

 翠は苦笑した。花は世話をするのが面倒だ。

「朝乃に迷惑をかけるのは、僕の本意ではない。彼女が喜ばないようだったら、僕に返してくれ。庭にでも植えるよ」

 結局、朝乃はバラの花に喜んだ。そこまではよかったが、朝乃はドルーアにほれていた。彼は、ハンサムな芸能人だ。基本、誰に対しても優しい。

 よって十代の朝乃がのぼせあがっても、無理はない。朝乃がドルーアに恋しているかもしれないと、翠はさきに予想しておくべきだった。

 その日の夜、翠は功にこっそりと、朝乃の恋愛について相談した。すると功は、困ったように言う。

「朝乃とドルーアは、恋人のような兄妹のような、よく分からない関係になっているんだ」

「何それ!? なぜ、さきにそれを教えてくれなかったの?」

 翠は夫を責めた。翠は何も知らずに、「花ならジャニスに贈ればいいのに」みたいなことを朝乃に話した。完全に失言だった。初めて養子を迎えるにあたって、翠もかなり緊張していたのだろう。

 功は黙って、まゆじりを下げる。思わず彼を責めたが、功は人の色恋ざたについて、あれこれとしゃべる性格ではない。そして、それは彼の美点でもある。

「とにかくドルーアには、下ごころがないらしいから」

「あったら、犯罪じゃない! あの子はまだ十七才で、月に来たばかりの子どもよ」

 翠はまた夫を責めてしまった。しかしドルーアは本気ではないだろう。彼にはジャニスがいるのだから。けれど翠の予想は、たったの五日で崩れた。ドルーアはジャニスを振ったのだ。

 朝乃を泣かせたくない、という気持ちだけで。朝乃という隕石は、翠が想像するよりずっと巨大だったのだ。ドルーアの世界は、朝乃のせいで一変した。もう元には戻らないし、引きかえすこともできない。

「朝乃が大人になるまで待つ」

 ドルーアは翠に、そう約束した。翠としては、彼の言葉を信じるしかない。もしドルーアが約束を守れなかったら、朝乃の保護者として彼女を守らなくてはならない。ドルーアを犯罪者として弾劾するはめになるだろう。

 でもとりあえず今は、見守るしかない。翠はそう考えたが、功はちがった。彼は翠からドルーアがジャニスを振ったことを聞くと、すぐにドルーアにメールを送った。しばらく待つと、返事が来た。その後、男同士のメールのやり取りは夜遅くまで続いた。

「朝乃に手を出したら殺すぞ」

 多分、功はそんな感じのメールを送ったのだろう。メールを書いているときの彼の表情が、わが子を守る鬼のようだった。だが功もドルーアも口を割らないので、翠には詳細は分からない。

 これから朝乃とドルーアがどうなるのか。ただ翠はドルーアの友人として、さらに朝乃の保護者として、ふたりが幸せな結末を迎えればいいと思っている。

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