表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/112

前日譚――引っ越しの日

 翠がキッチンからリビングに戻ると、ソファーではドルーアが横になって眠っていた。テーブルの上には、飲みかけのビールと空になった平皿とフォーク。彼はソーセージを全部食べた後で、寝たのだろう。

 ドルーアは功より、ちょっとだけ背が低い。しかし、ソファーで寝るのはきゅうくつそうだ。こうやってまじまじと見ると、ドルーアは足が長い。うらやましいかぎりだ。

 翠がドルーアを眺めていると、功が階段から降りてきた。手にはブランケットを二枚、持っている。

「ドルーアは疲れて眠ったみたいだ」

 彼は少し困ったように笑う。

「このまま明日の朝まで寝かせようと思うが、構わないか?」

「もちろん」

 翠はうなずいた。功はブランケットをドルーアにかけてやる。翠は腕時計で時刻を確認した。もう夜の十時すぎだ。翠と功もパジャマに着替えて、さっさと寝るべきだろう。今日は疲れている。おなかの中には赤ちゃんもいる。無理は禁物だ。

 翠と功は今日、この家に引っ越してきた。引っ越し作業はほとんど業者に頼んだが、それでも雑務が多かった。さらに翠は身重でもある。引っ越しは、やはり大変だった。

 そんな翠たちを、ドルーアは朝から手伝ってくれた。大スターの登場に、引っ越し業者のスタッフたちは大騒ぎした。ドルーアは適度にファンサービスをしつつ、引っ越しをスムーズに進めてくれた。

 働きづめになる翠に休憩を勧めたり、昼食も夕食もケータリングを手配してくれたりした。業者が仕事を終えて家から出ていった後も、ドルーアは力仕事を手伝った。

「今日のドルーアには感謝しかない。眠ってじゃまとは思わない」

 翠は笑った。彼のおかげで、だいぶ家が片付いた。キッチンでは簡単な調理ができるようになり、夜食としてソーセージをフライパンで焼いたのだ。

「そうだな」

 功は同意する。

「引っ越しの荷物が片付いたら、もっとちゃんとお礼をしよう。何か考えておかないと」

 彼の提案に、翠はうなずいた。夕食に招待するなり、ドルーアの好きそうなワインを贈るなりしたい。もしくは、翠たちの前の家で、ドルーアが「これは最高だ!」とはしゃいでいたコタツでもプレゼントしようか。

 ドルーアとは、二年前に知り合った。彼は、翠たちが浮舟にやってきて初めてできた友人で、さらに一番の友だちでもある。まったく接点のない三人なのに、意外に付き合いは途切れない。多分、気が合うのだろう。

 翠たちがドルーアの家の近所に引っ越したことで、三人の付き合いはより親密になると思われた。たがいの家を行き来し、ひんぱんに会うことになるだろう。それを、翠も功も楽しみにしている。

「しかし、だらしない寝相だなぁ。業者のスタッフたちがいたときは、かっこつけていたのに」

 功はうれしそうに笑った。翠も、彼の気持ちが分かってほほ笑む。今日のドルーアは、よそいきの顔をしていた。引っ越し業者のスタッフたちの前で、芸能人らしくふるまっていた。普段、翠たちといるときは、ドルーアはただのひとりの青年だ。

 芸能人としてのドルーアと、友人としてのドルーア。このふたつのちがいを説明するのは難しい。どっちもちょっとお調子者だし、ナンパな言動をする。情けない姿をわざと見せたりもする。サインをくれと言ったら、簡単に書いてくれる。

 けれど、やはりこのふたつはちがう。そのちがいを、翠たちは今日、感じた。ドルーアは、功と翠を信頼している。翠たちの前ではリラックスしている。だから今、よだれでもたらしそうな顔で眠っているのだ。

 翠たちはドルーアのファンではなく、友人だ。その事実が、功と翠を喜ばせる。またドルーアの方でも、自分をスター扱いしない翠たちに喜んでいるようだった。

「困ったわね」

 翠は、困っていないくせに、そう言った。

「私もあなたも、ドルーアにメロメロじゃない」

 功はずっこける。

「メロメロって……」

 情けなさそうに笑った。翠は、大きなおなかを軽くたたく。

「この子も絶対に、ドルーアが大好きになるわ」

 医師によると、子どもは女の子の可能性が高いらしい。こうなると、嫌な予感しかしない。

「娘は渡さん」

 夫は存外に真剣な顔になり、腰に手を当てた。翠は、ぷっとふき出す。

「私たちの子どもが年ごろになる前に、ドルーアはジャニスと結婚するわよ」

 翠は友人として、ドルーアの幸せを願っている。実は、彼は結婚願望が強い。功が気づいているかどうか疑問だが、ドルーアはひそかに翠と功をうらやましがっている。

 今、翠が妊娠しているから、余計だろう。ドルーアは子どもが好きだ。案外、面倒見のいいお兄ちゃんだ。彼は、人生のパートナーと愛すべき子どもを欲している。意外に、さびしがり屋な部分もあるのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説の更新予定や裏話などは、活動報告をお読みください。→『宣芳まゆりの活動報告』
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ