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前日譚――超能力は不要です

「これは大ピンチですよ、一郎君! 私、ここに就職したばかりなのに困ります」

 かえでが、こぶしを作って言う。しかしそれは、かえでの個人的な事情なのでは? だが、そう突っこむのは人として冷たいかもしれない。

「あなたには、この研究所の命運がかかっているのです。超能力復活のために、Aランクに返り咲くために、ありとあらゆることをしましょう」

 一郎は嫌な予感がした。

「ありとあらゆることとは、具体的にどんなことでしょうか?」

 やる気いっぱいのかえでに聞いてみる。わけの分からない電流を体に流されたり、不可解なビームを脳に当てられたりしては、たまったものではない。

「どうすれば超能力が強くなるのか、もしくは今まで超能力のなかった人が力を持つようになるのか、二十三世紀の今でも分かっていない」

 教壇に立つ大学教授のように、キラはしゃべる。

「赤子のころから力がある人もいるし、死のふちに立って超能力が発現する人もいるし、思春期にのみふしぎな力を使える人もいる。力が遺伝するかいなかも不明だ」

 キラ先生の授業は続く。

「だが、一流の超能力者たちの精子や卵子が、非合法に売り買いされているといううわさも聞く。そして逆に、どうすれば力が弱まるのか、なくなるのかについても判明していない」

 ちなみに信士も超能力者だ。彼は今はランク外で、約十年前まではCランクだったらしい。一郎と信士は親子そろって仲よく、力が減衰しているのだ。かえでが、一郎に明るく問いかける。

「難しい話は置いておいて、一郎君は日本出身ですよね?」

 授業をじゃまされたキラは、ちょっぴりむっとしている。一郎はうなずいた。

「はい。あなたも、出身地は日本ですか?」

「はい」

 かえではほほ笑む。ふたりの距離が縮まったように、一郎には思えた。

「となると、ここはやはり寺での修行でしょう。禅ですね」

「は?」

 一郎は聞き返した。禅とは、一郎はよく知らないが、あぐらをかいて瞑想するものだ。そしてお坊さんに棒でたたかれるらしい。かなり危険な自己鍛錬法だ。

「この前調べたのですけれど、日本には超能力者になるために、滝に打たれる方々もいるそうですよ」

 かえでは、にこにこと教えてくる。キラは興味がひかれたらしく、へぇとあいづちをうった。

「水の惑星である地球ならではの方法だな。月に住む私たちは、まねできない」

 そりゃ、そうだと一郎は安心しつつ苦笑する。月には川も滝もない。プールは存在するが、それは一部のセレブだけの特権だ。月育ちで庶民の一郎は当然、泳げない。

「しかし、限界まで体を痛めつけるだけなら、できる……」

 キラがちらりと一郎の方を見てきたので、一郎はあわてて断った。

「いやいやいや、何を言っているんですか?」

 ところが、無邪気なマッドサイエンティストかえでの攻撃は止まらない。

「ついでにアメリカの場合も調べたのですが、アメリカの方がすごいですよ。こーんなに大きな火の中に飛びこむのです!」

 かえでは両手を大きく広げる。彼女は天然キャラかもしれない。

「その話は聞いたことがある。さらにこれもアメリカの話だが、人間を仮死状態にする薬を開発しているそうだ。一度、死んでからよみがえれば、超能力を得られるだろうと」

 キラ先生によるありがたい講義が、また始まった。

「実際に、病気などで生死をさまよった後に超能力が備わった例もある。たとえば、有名なAランクの超能力者の……」

 講義の途中だが、一郎は意を決して立ち上がる。

「そろそろ家に帰ります。まじめに大学で勉学にはげみます。仮死も炎もいらないです。俺には超能力は不要です」

「えー!?」

 かえでは不平そうに言う。

「せめて禅だけでもやってみませんか? 禅の体験料は、こちらの予算で出します。それから私も、一緒に禅をしたいです。あ、私は自費です。とにかく私は、日本の文化に興味があります」

 かえでの悲しそうな顔を見て、一郎は部屋から出ていくのをやめた。

「私は三才のときに父親の仕事のため、家族みんなで浮舟に来ました。だから日本の記憶はほとんどありません。いつか日本に行ってみたいと思っていたのですが、星間戦争が始まって、さらにその三年後には日本は鎖国してしまいました」

 かえではさびしそうだった。自分と似たような境遇だと、一郎は感じた。

「父母は今でもつらそうに、故郷の日本について話します。帰るつもりだったのに、戦争のせいで帰れなくなったと。だから私はせめて、日本のことを学びたいのです」

 いったん口を閉ざしてから、かえでは日本語をしゃべった。

「私は日本語を話せる。私が漢字を書ける」

 しかし彼女は日本語が苦手らしく、すぐに英語に戻った。

「そんなわけで、寺での禅もやってみたいです。あと精進料理も食べてみたいですし」

 かえでは、えへへと笑う。健気な彼女に、一郎は胸をうたれた。いすに座りなおして、彼女の漆黒の瞳を見つめる。

「俺もです。一緒に寺に行きましょう。日本人街ジャパンタウンの中にある、ロマンチックで伝統的な寺院で、ともに座禅をしましょう」

 かえでの力になってあげたい。彼女は、ぱっと笑顔になった。

「ありがとうございます。夫も誘いますね。彼もきっと喜びます」

「え?」

 一郎の口もとは引きつる。キラは微妙な顔をして、一郎を見ている。かえでは大はしゃぎだ。

「今から電話して、ダーリンに事情を話します。三人で禅をしましょう」

「いや、やっぱりやめようかなぁ」

 一郎は断る。

「今さら、何を言っているのですか」

 かえでは、ちょっと怒る。結局、一郎はかえでと彼女の夫とともに、日本人街の中にある寺へ行った。三人並んで座禅をする。棒でたたかれることはなかったが、超能力は強くも弱くもならなかった。帰宅後、一郎は、日課の筋トレをやっている信士に向かって、

「相変わらず超能力研究所は、疲れるだけの場所だ!」

 と文句を言うのだった。

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