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9 俺の映画に出たくないのか

「さっきマネージャーのタインと電話で話したのですが、今、ネット上では、僕が役者をやめて政治家になる、だから市長と面談すると憶測が飛び交っているのです」

 ドルーアの返答に、朝乃と信士は目を丸くする。選挙の応援演説以上に、意外な答だった。

「僕が政治の道に足を踏み入れるという、うわさ自体は目新しくないです」

 朝乃は、そのうわさを知らなかった。しかし信士は知っていたらしく、うなずいている。ドルーアは困ったようにしゃべる。

「数年前から役者の仕事を減らしているのは、政治家になるからと周囲から言われています。ただ僕が仕事を減らしているのは、副業の株式投資が順調だからです」

 朝乃は、ドルーアが株をやっていることも知らなかった。さっきから、知らないことばかり聞かされている。実際、朝乃は彼のことを何も知らないのだ。

「けれど今回は市長と会うので、うわさに真実味が出たのです」

 ドルーアはため息をついた。政治家は、朝乃には遠い存在だ。日本ではたいていの場合、血筋によって選ばれる。選挙で選ばれる人たちも、金持ちの特権階級だ。多額の金を払わないと、選挙に立候補することすらできないからだ。

 浮舟では、政治家はすべて選挙で選ばれると聞いた。それでも、やっぱり特権階級と朝乃は思う。そして金持ちのドルーアは特権階級だ。彼は本当は、朝乃から遠い人なのだ。

「僕は政治家になるつもりはない。ただ周囲は、そう思っていないようだ」

 ドルーアのファンたちの中には、プラカードやポスターを持った人たちもいる。「役者をやめないで」とか「キスして」とか「あなたはヒーロー」とか英語で書いてある。

 人だかりの隅の方には、険しい表情をした二人組の男性がいる。彼らは、「浮舟の伝統を守れ! 移民受け入れ反対」と書かれた横断幕を持っていた。一部の漢字がまちがっているが、日本語で書かれている。日本からの移民のひとりである朝乃は、不安になる。

 朝乃が市庁舎に来ることを分かって、彼らはここにいるのか。それとも単に人が多いから、いるだけなのか。そう言えば、市長のタニアも日本からの移民だ。朝乃が怖がっていると、ドルーアが朝乃の頭を優しくなでた。

「予想外のうわさがたち、その上、市庁舎前は予想以上の騒ぎだ。僕のミスだ。すまない」

 ドルーアは不快そうに、移民受け入れ反対の幕を持っている二人組を見ている。

「いえ」

 朝乃は首を振る。

「マスコミもいるな。大きなカメラを持っている」

 信士が冷静に言う。群衆から少し離れた場所に、三人の男女が立っている。彼らは群衆を、静かに観察していた。そして信士の言うとおり、ひとりの女性が大きなカメラをスタンドに立てている。

「えぇ。ねらいどおりです」

 ドルーアは、市庁舎前の集団を見つめる。彼の横顔はりりしく、臨戦態勢なのが感じ取れた。

「車から出ましょう。信士さん、朝乃を頼みます」

 ドルーアはドアを開けて、さっと車外に出ていった。市庁舎の方から、黄色い歓声が上がる。その声の大きさに、朝乃はびっくりした。ドルーアはドアを閉めて、にこやかな笑みを見せる。大勢の人たちが写真を取り、フラッシュが光る。

 ドルーアは群衆の方へ、大またで歩いていった。市庁舎のエントランスのそばで、ファンたちが彼を囲む。車内の朝乃には、声は聞こえない。けれどお祭り騒ぎになっていることは分かった。

 ドルーアは女性たちに囲まれて、へらへらと笑っている。おじさんのようなダサい服装をしているので、バカっぽくも見える。さきほどまでの戦闘モードのかけらもない。市庁舎に遊びに来た人みたいだ。ドルーアの雰囲気の変わり様に、朝乃は言葉をなくす。

「私たちも出よう」

 信士が声をかける。

「はい」

 朝乃は一泊置いてから返事する。車から出るには、覚悟がいる。外には、ドルーアのファンとマスコミと移民に嫌な顔をする人たちがいるのだ。

 朝乃と信士は車から出て、ドルーアの方に近づいていった。朝乃はびくびくしながら歩いているが、信士が力強く朝乃の手を引いている。

「役者をやめたいと言ったら、ファナに怒られる。僕はしょっちゅう、――――。僕はファナとの共演を楽しんでいるし、彼もドラマの撮影を楽しんでいる。――――」

 ドルーアのはずむような声が聞こえてくる。早口の英語なので、細部は聞きとれない。

「そうそう、アリレザからもしかられる。俺の映画に出たくないのか! てな調子で。彼は――――」

 ドルーアが笑うと、ファンたちも、あははと笑い声をたてた。

「だから安心してくれ。役者をやめる予定はない。ちなみに結婚の予定もないままだ」

 ドルーアはおどけて、肩をすくめる。

「今日はなぜ、市庁舎に来たのですか?」

 ひとりの女性が、こびた声でたずねる。

「友人の子どものために、ちょっとした野暮用さ」

 ドルーアは、ふっと笑った。お調子者の芸能人が、世界を支配する王様に変わる。朝乃はどきっとした。ファンたちも静まりかえる。

「そろそろ約束の時間だ。僕は市長に会いに行く」

 ドルーアは、今度は軽く笑う。それから信士に、明るく声をかけた。

「信士さん、行きましょう」

 朝乃と信士は、ファンたちのさぐるような視線を受けた。朝乃はびびって立ちすくむ。だが信士は平然として、ドルーアにうなずいた。朝乃の手を引いて、エントランスへ進む。朝乃はぎくしゃくとついていった。

 ドルーアはファンたちに手を振りながら、朝乃の横を歩く。

「ドルーア、愛しているわ!」

「こっちにも手を振って」

 かん高い声が追いかけてくる。ドルーアは彼女たちに投げキッスをした。朝乃はむかっとする。朝乃の心はせまいので、嫉妬してしまう。ドルーアは悠然と進み、エントランスの自動ドアをくぐった。

 市庁舎のロビーに入ると、これまた周囲の注目を受ける。露骨ではないが、好奇心に満ちた視線だ。朝乃は再び、気持ちが縮こまる。やきもちをやいている場合ではない。今から市長と戦うのだ。

 ドルーアは余裕しゃくしゃくで、視線を受け流している。彼は総合受付カウンターに行き、市長に会いたいと告げた。

「ミスター・ドルーア・コリントと、そのお連れの方ですね」

 受付の男性が愛想よく笑う。

「はい」

 ドルーアも営業スマイルだ。会話は当然、英語である。

「市長は、第四小会議室で待っています。場所を説明します」

「説明は結構です。私が分かります」

 信士が答えた。受付の男性はちょっと驚く。けれどすぐに笑顔に戻った。

「では、そちらへ足をお運びください」

「ありがとう」

 ドルーアは礼を述べる。信士がさきに立って歩きだした。

「エレベーターで行こう。会議室は確か、三階だ」

 朝乃とドルーアは、彼についていった。ロビーの奥にあるエレベーターに乗って、三階へ向かう。エレベーター内で、ドルーアは愛想笑いを消した。再度、臨戦態勢に戻る。朝乃の緊張も高まっていく。

 エレベーターから出ると、廊下の角を何回か曲がる。そこに第四小会議室はあった。朝乃は口から、心臓が飛び出しそうだ。市長という雲の上の人に会うだけでも気が張るのに、さらに彼女は敵なのだ。巨大な敵と対決するのに、緊張しないわけがない。

 しかしドルーアと信士は何も気にせずに、すたすたと進む。ふたりとも緊張しないのか。ドルーアにいたっては、好戦的な笑みを浮かべている。

 彼は会議室のドアを開けようと、ドアノブに手を伸ばした。が、なぜか手を引っこめた。朝乃の方を見て、ゆっくりと表情を穏やかなものに変えていく。

「安心してくれ、僕の天使。何があっても、僕と信士さんが君を守る」

 ドルーアは優しくほほ笑んだ。朝乃の胸は、どきんと高鳴る。市長に対する恐れより、恋心の方が大きくなる。ドルーアは朝乃を、ぎゅっと抱きしめた。

「君の表情がこわばっていることに、さっきまで気づかなかった。何より大切な君をおろそかにするとは、僕は未熟だな」

 彼は情けなさそうに話す。彼の体温に、朝乃の張りつめた気持ちはおさまっていく。ドルーアがいるかぎり、怖いことは何も起こらない。

「いえ、ありがとうございます。私は大丈夫です。あなたを誰より信頼しています」

 これは朝乃の本心だ。ドルーアは朝乃を離すと、うれしそうに笑った。

「ずっと僕を見て、僕のそばにいてほしい。君がいれば、僕は強くなれる」

「はい」

 朝乃は元気よく返事した。ドルーアはうなずくと、表情をきりっと引きしめる。

「行きましょう」

 信士に言った。

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