表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/112

6 特別な手紙

 その手紙は何だ? 朝乃は、裕也の持つ手紙を凝視した。白い封筒に英語の筆記体で、何かが書かれている。Dという頭文字から、多分「ドルーアへ」と書かれているのだろう。

 アンティークの紙の封筒に、手で書かれた文字。言うまでもなく、特別な手紙だ。くせのある字で、手書きであることを、――特別なものであることをより一層感じさせる。

「君のことをあなどっていた」

 ドルーアはこわばった顔で苦笑した。強がっているようにも見えた。朝乃は調理を続けつつも、ドルーアのことが気になる。

「俺はただの郵便配達員です。頼まれただけです」

 裕也は自信なさげに答えた。

「おととい彼女に会いに行って、この手紙を預かりました。でも、ドルーアさんに会う機会なんてあるのか、と疑っていました。あの人はすべて分かっていたと思います。この手紙は今、ここで渡すべきなんです」

 裕也は、きりっと顔を上げた。彼女ということは、手紙の差出人は女らしい。ドルーアを動揺させる、特別な女性。朝乃の胸は苦しくなった。ドルーアは無表情で、裕也から手紙を受け取る。

「ありがとう。すぐに読む」

 彼は、機嫌の悪い声でしゃべった。キッチンから出ていく。途中で、翠に何かを耳もとでささやいた。

「うん。いいよ」

 翠は、いたわるような笑みを見せる。

「ありがとう」

 ドルーアは軽く笑って、ダイニングの方へ消えた。彼は朝乃を見なかった。それだけのことで、朝乃の気持ちは落ちこんだ。裕也は、手紙を渡せたからなのか、ほっとしている。朝乃は八つ当たりするように、弟にたずねた。

「あの手紙は何なの? 彼女って、あの人って誰なの?」

 場合によっては、裕也を恨みそうだ。朝乃の剣幕に、裕也は目を丸くした。それから困ったように目をそらす。

「教えていいのか分からない」

「えー?」

 朝乃は不平の声を上げた。そんなことを言われたら、朝乃も聞いていいのか分からない。

「分かった。もう聞かない」

 朝乃はしゃくぜんとしない思いで答えた。とりあえず昼食の準備に戻る。沸騰したお湯に、パスタめんを入れる。ドルーアが増えたので、四人分だ。キッチンタイマーを八分にセットする。フライパンの中のパスタソースは、すでに完成している。

 朝乃は、ちらっと翠を見た。彼女はおそらく、あの手紙が何か分かっている。けれど、これも朝乃は聞かない方がいいのだろう。朝乃は我慢するしかなかった。

「ねぇ、裕也君」

 翠は裕也に話しかけた。

「あなたはいつ軍に入ったの? 去年の四月?」

「はい。四月一日に男性の従軍年齢が十六才に引き下げられて、それで軍に入りました」

 相手が翠だからなのか、裕也ははきはきと答える。翠はつらそうに、目線を下げた。開戦当初は、日本の従軍年齢は二十才からだった。ただ就職先として軍を志望する若者は少なく、軍は簡単に人手不足に陥った。

 人手不足を補うために、従軍年齢は十八才に引き下げられて、さらに十六才まで下げることを政府は検討しだした。ニュースによると、十六才への年齢引き下げには反対が多かったらしい。その反対を受けて、男性のみの従軍年齢が十六才に下がったのだ。

 なので孤児院にいた十六才十七才の男子、――裕也を含めて三人いた、が従軍することになった。朝乃は、裕也と離れるのは嫌だった。孤児院の大人たちも、子どもたちを軍に入れることに難色を示していた。

 しかし孤児院は金もスペースも余裕がなく、軍という行き先があるなら、さっさと三人を追い出すべきだった。それに、孤児に対する世間の目は厳しく、

「今すぐ子どもたちを軍に入れろ、さもなくば孤児院に火をつける」

 といった、脅迫電話まで来た。

「功は」

 翠は、ぽつりと話し出す。

「ずっと裕也君のことを心配していた。従軍年齢引き下げのニュースのときも、あなたのことを気にしていた。あの子は今、十六才ぐらいじゃないかと」

 裕也は驚く。

「でも俺は、功さんと一度しか会ったことがないのに」

「そうなの?」

 翠は目を丸くした。それから、ふふふと笑う。

「実は私より、あなたと功の方が付き合いが長いの。功から聞いたけれど、何度かメールのやり取りをしたのでしょう? 彼はあなたが同じ会社に入ってくることを、楽しみに待っていた」

 翠は悲しげに笑った。功の希望はかなわなかったのだ。裕也も、何とも言えない顔でうつむく。

「だから私と功は、あなたに頼ってもらえてうれしいの」

 翠は、はっきりと言った。朝乃は、はっとして彼女の顔を見る。翠はしっかりと、朝乃と裕也の会話を聞いていたのだろう。裕也も、とまどった顔をしている。

「私たちにできることは少ないけれど、あなたたち姉弟を全力で守る。それを忘れないで」

 翠は朝乃たちに言い聞かせるように、強く言った。裕也は感激して、がばりと頭を下げる。

「ありがとうございます。俺はあなたたちのためならば、なんでもやります」

「そういうのはなし!」

 翠は腕を組んで、しかめっ面を作った。だが次の瞬間には、楽しそうに笑いだす。

「でも、そうね。この世でもっとも頼もしい超能力者に、貸しを作るのもいいかも。あなたからの恩返しを、楽しみに待っている。だから今は遠慮しないで」

 裕也は顔を上げて、照れたようにうなずいた。翠はまじめな顔をして、朝乃の方を向く。

「朝乃ちゃんもよ。あなたはすごく、私と功を助けてくれる。おなかが大きいと、予想以上に動きづらい。けれど今はあなたが家のことを手伝ってくれるから、私はだいぶ楽になっている」

 翠の目は、うそを言っているように見えなかった。

「本音を言えば、あなたがここまで料理や掃除ができるとは思わなかった。あなたの作るご飯がおいしいというのは、お世辞じゃない。しかも手際もいいし、レシピもほとんど見ない。私と功より、あなたの方が断然、料理ができる」

 翠はほほ笑んだ。そのとき、ピピピとキッチンタイマーの音が鳴る。朝乃はあわてて、なべの火を消した。パスタめんごとお湯を、流しのざるに入れる。湯気がもうもうとたった。

 ざるに入っためんをフライパンに移し、ターナーで混ぜて、ソースとからめる。最後にバジルを散らせて、パスタは完成だ。

「今日のお昼のパスタもおいしそうだし、朝乃ちゃんはこの家にいてください。でないと、私と功が困ります!」

 翠が朝乃と裕也に向かって、大きな声で宣言した。朝乃は弟と顔を合わせて、笑い合う。ふたりの肩の荷がなくなっていく。朝乃は翠に、笑顔を見せた。

「ありがとうございます」

 翠は満足げに笑う。朝乃はありがたさから、少しだけ涙ぐんだ。朝乃はちゃんと役に立っている。必要とされている。だから、今のままでいい。から回らなくていい。この家にいていい。ここは朝乃の家だ。朝乃はすでに家族の一員なのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説の更新予定や裏話などは、活動報告をお読みください。→『宣芳まゆりの活動報告』
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ