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4 軍からの脱走について

「聞きたいことは何?」

「何って……」

 率直にたずねてきた裕也に、朝乃は口ごもった。棚からフライパンを取りだして考える。聞きたいことがありすぎて、何からたずねればいいのか。朝乃はフライパンにオリーブオイルをたらした。

「なんで、ここにいるの?」

 変な質問になった。失礼な問いかけかもしれない。だが、これは朝乃の本音だ。裕也は朝乃を月に送ってから、ずっと放置していた。一度、管理局の裏口で助けてくれたが、その後もやはり朝乃を無視してきたのだ。

(でも私も裕也を責められない。裕也に会いたいと思っていたけれど、月面での新しい生活を始めることで手いっぱいで、後回しにしていた)

 朝乃の場合、功と翠との共同生活に慣れるのにも苦労した。それは功たちも同じで、朝乃たちはゆっくりと、――お風呂の順番とか、食事作りのローテーションとか、洗濯は主に翠がやるとか、一階の掃除は朝乃がやるとかを決めていったのだ。

 加えて朝乃は、警察の事情聴取だの超能力研究所への訪問だのがあったから、意外にいそがしかった。さらにおとといは、功が朝乃を、日本人街ジャパンタウンまで観光に連れていってくれた。

 日本人街は、日本らしい店が並ぶストリートだった。和食レストランに、日本食品専門のスーパーもある。伝統的な建物の寺があり、電子看板デジタルサイネージでは、着物の着付け教室の宣伝をしていた。朝乃たちは和菓子屋で、翠への土産にイチゴ大福を買って帰った。

 だから裕也の捜索と言えば、昨日と今日で孤児院の院長である由美と連絡を取ったぐらいだ。それがなぜ急に、弟は現れたのか?

「朝乃がキッチンにいるから。今から昼食なんだろ? 俺もまだ夕飯を食べていないから、おなかがすいた」

 当然とばかりに、裕也は答える。

「私が聞きたいのは、そうじゃなくて」

 朝乃は不機嫌になった。にんにくを包丁で手早く切る。さらに朝乃をむっとさせることに、裕也は料理を手伝わなかった。

「今までなんで、私をほったらかしにしていたの?」

 朝乃は自分のことを棚に上げて、裕也を責めた。いきなり何も分からずに月に送られて、朝乃がどれだけ苦労したか。裕也は不満げに、口をとがらせる。

「ほったらかしにしていなかった。英語、……すごくいそがしかったのに、朝乃を助けるために浮舟まで飛んでいったし」

 裕也はふてぶてしく言う。管理局裏手の路地で、朝乃たちは不審者の集団に襲われた。絶体絶命の朝乃たちを、秘密裏に助けたのは裕也だ。

「ありがとう」

 朝乃はぶすっとしたままで、礼を述べた。

「でも裕也は説明不足だよ。もっと会いに来るなり、連絡するなりしてよ」

 朝乃はやはり文句を言った。裕也は嫌そうに顔をしかめる。

「本当にいそがしかったんだよ。案外、あれこれあって、予想どおりにいかなくて、疲れて一日中寝ていた日もあったし」

 彼は困ったように、まゆを下げる。朝乃と同じように、自分のことでいそがしくて、家族のことは後回しにしたのだろう。

「そもそも今、何をやっているの?」

 朝乃ひとりを日本から浮舟へ送って、裕也は何をやっている? なぜ一緒に、浮舟に亡命しないのか? 朝乃はふと思い出した。

「宇宙港の……」

 言ったとたん、裕也が顔をこわばらせる。彼は気まずそうに、うつむいた。不用意に触れてはいけないものに触れて、朝乃は何も言えなくなる。日本にふたつある宇宙港に火をつけたのは、裕也だ。そう確信できた。

 けれど朝乃には、どうすることもできない。やるせない思いで、機械的に手を動かした。にんにくをオリーブオイルでいためる。食欲をそそるにおいがする。なのに、息が苦しくなるような沈黙がある。

 朝乃は功にタブレットをもらってから、自分で日本のニュースをチェックしていた。相変わらず裕也のことは書かれていなかった。宇宙港の火事についても、超能力についても、軍からの脱走についても。

 朝乃はフライパンに、みじん切りにしたタマネギを加える。沈んだ気持ちで、フライパンの中の食材をターナーで混ぜた。裕也が、重い口を開く。

「俺のことは忘れてほしい。朝乃の弟は死んだんだ。去年の四月に、スペースデブリの大群にあって」

 暗い表情だった。

「何を言っているの!?」

 朝乃はフライパンから離れて、裕也にすがりついた。

「ねぇ、今、どこで暮らしているの? 私もそこへ行く」

 なぜ離れて暮らさないといけないのか、朝乃には分からない。裕也は迷った顔を見せたが、きっぱりと断った。

「朝乃はこの家で、普通に平和に暮らしてほしい。幸せになってほしいんだ」

「裕也がいないのに、幸せになれるわけがない。それに」

 朝乃は言いかけて、口をつぐんだ。どう伝えればいいのか、悩む。朝乃が黙っていると、

「何か問題があるのか? 功さんたちの家が嫌なのか?」

 裕也が不安そうに問いかけた。朝乃は首を振る。

「すごく、よくしてもらっている。おこづかいまで、いただいている」

 申し訳なさから、朝乃の声は小さくなった。功と翠は必要なものを買いなさいと言って、朝乃にお金を渡してくるのだ。朝乃はもったいなくて、ほとんど使えなかった。

「なら、ずっとここにいてほしい」

 裕也はほっとしたようだ。朝乃は情けない気持ちで、言葉を落とす。

「私は、功さんたちのすねかじりだよ。養子の話を受け入れたときは、もっと役に立てると思っていた。けれど実際は、家事を手伝うことしかできない」

 さらに功たちは朝乃に、学校に通うことを勧めてくる。だが学校に通ったら、ますます功たちのすねかじりだ。

「昼食のパスタなんか、誰にでも作れるよ。そうじゃなくて、もっと何かしたいのに」

 必要とされたい。自分はここにいていいと、自信を持って言える何かがほしい。

「確かに俺たちは、功さんたちの善意を利用しているだけだ」

 裕也の声は苦い。

「でも、あの人たちを頼るしかない。俺にできることなら、なんでもやる。必ず功さんたちに恩を返す」

 裕也は、決意をこめたまなざしで宣言する。

「だから、ここにいてほしい。朝乃が安全な場所にいてくれないと、俺は何もできない」

 裕也はつらそうに訴えて、朝乃は、はっとした。日本で朝乃は、裕也の人質だった。お荷物だった。その事実は、朝乃をひどく傷つける。

「俺は、朝乃に言えないことをいろいろしてきた。俺は変わったんだ。孤児院の調理室で再会したとき、朝乃は最初、俺のことが分からなかった。俺は、朝乃のそばにいられない」

 朝乃は言葉に詰まった。どうすればいいのか分からない。弟の抱えるやみが大きすぎて、何もできない。

「朝乃、裕也。そろそろ僕に気づいてほしいな」

 割って入った声、――ドルーアの声に、朝乃と裕也は驚いて、びくっと震えた。

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