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うわさ好きのおばさん

 昨夜、功と翠は朝乃にこう言った。

「うちの近所で要注意人物と言えば、アンナだな」

「そうね。彼女には困っている」

 ふたりは苦笑する。アンナは、詮索好きのおばさんらしい。なんでもかんでも聞いてくる。二匹の犬を飼い、夫と暮らしている。

 アンナは、ドルーアの大ファンだ。四年前にドルーアが今の家に引っ越してきたときは、大喜びした。しかしドルーアに直接、話す勇気はない。なので遠くから、ストーカーにならない程度に、彼を観賞している。

 功と翠はドルーアの友人と、アンナにばれている。よってアンナはふたりに会うと、ドルーアの情報を引き出そうとするのだ。

「けれどアンナは親切でもあるの。引っ越ししたばかりのころ、私は外出中に気分が悪くなって」

 翠はしゃべる。ある日、翠は家のそばの路上で座りこんでしまった。引っ越しの疲れが出たのだろう。そのとき、助けてくれたのがアンナだ。彼女は翠が妊婦と気づくと、すぐに病院に連絡した。そして救急車が来るまで、翠を励まし続けたのだ。

「そのときアンナは、私がドルーアの友人と知らなかった。つまり下心なしで助けた」

 その後もアンナは、翠や功に恩を着せることをしない。

「でも彼女はうわさ好きだから、朝乃ちゃんのこともいっぱい聞いてくると思う」

 翠は困ったように言い、功もうなずいた。

「あのおしゃべりおばちゃんには、朝乃とドルーアの関係は知られたくないな」

 功はぼやいた。だが朝乃には、自分とドルーアの関係が分からなかった。功には、どう見えているのだろう。功と翠は、ため息をつく。

「アンナにだけは、うまくうそをつく必要がある」

 ふたりはそう決意して、朝乃にアンナ攻略法を教えこんだ。そして今、そのアンナが目の前にいる。朝乃は緊張した。こんなに早く遭遇するとは思わなかった。アンナは満面の笑みを浮かべて、Hello.とあいさつした。

「お買いものかしら? でも、無理しちゃ駄目よ。そろそろ、いつ産まれてもおかしくないから」

「ありがとう。ただ今日は、ひとりじゃないの」

 翠は笑って、朝乃を手で示す。

「こんにちは」

 朝乃はあいさつを返す。アンナは、にっこりと笑った。

「初めまして、私はアンナ。あなたは?」

「私の名前は、村越朝乃だ。初めまして」

 朝乃の下手な英語に、アンナは首をかしげた。ちょっとしてから理解したらしく、アンナは笑顔で握手する。外国語はしゃべるのが難しいのだ。朝乃は落ちこんだ。

「おいくつかしら?」

 アンナは、ゆっくりした英語でたずねる。

「私は十七才だ」

 朝乃は発音に気をつける。

「朝乃ちゃんは昨日から、わが家に住んでいるの」

 翠は明るく話した。

「まぁ!」

 アンナはおおげさに驚く。ヘーゼルの瞳が好奇心に輝いた。

「なぜ? 朝乃は留学生かしら?」

 朝乃の年齢から、たいていの人は留学生と思うのかもしれない。日本でも、識見を広げるために海外留学する若者たちはいる。ごく一部の、特権階級の子どもたちだけだが。

「いいえ、彼女は日本から亡命してきた」

 翠はまじめな顔で言う。アンナは何か思い当ったらしく、体をぴくんと動かした。じっくりと朝乃を観察する。

「あなたはおととい、ドルーアと入国管理局へ行った?」

 話がいきなり本題に入った。朝乃はどきどきしながら、Yes.と答える。

「なぜ知っているの?」

 翠は驚く。しかしこれは演技だ。情報通のアンナなら知っているだろうと、翠と功は予想していた。

「ドルーアのファンなら、みんな知っているわ。彼がアジア系のティーンエイジャーの女の子と入国管理局に入ったと、非公式のファンサイトにも投稿があったし」

 アンナは得意げにしゃべる。

「女の子の写真もあったけれど、一時間もしないうちにネット上から消えたそうよ。だからどこまで本当か分からない。でも目撃者は多いの」

 だってドルーアは目立つから。彼は生まれながらのスターよ。素敵よね、あのエメラルドグリーンの瞳に甘いまなざし……。アンナはうっとりとドルーアを賛美する。朝乃の顔は引きつった。今まで朝乃のそばに、ドルーアのファンはいなかった。

「女優のアーリヤーと付き合っているのかしら? それとも歌手のジャニスとよりを戻した? 去年のチャリティーコンサートで、ふたりは共演したし」

 朝乃は居心地が悪くなってきた。よりを戻すということは、過去にドルーアとジャニスは付き合っていたらしい。そして共演ってデュエット? ラブソングとか? 胸がもやもやする。

 翠は心配そうな視線を、朝乃によこしてきた。アンナは思いだしたように、唐突に真剣な顔になる。

「そうそう! ドルーアが入国管理局に入った後、管理局に救急車やパトカーがやってきて、すごい騒ぎになった。亡命申請者と管理局職員が襲われたと聞いたわ」

 話が本題に戻った。しかし朝乃の頭の中は、まだデュエットだった。

「その申請者は、もしかしてあなた?」

 アンナの探るような目に、朝乃はどきっとして現実に戻る。

「Yes.」

 朝乃が肯定すると、アンナは同情したように朝乃を見た。

「朝乃ちゃんは銃で撃たれて、入院していたの」

 翠がすかさず言い添える。

「かわいそうに。こんな子どもを撃つなんて……。犯人は全員捕まったと、ニュースで聞いたわ」

 アンナはまゆをひそめる。翠はうなずいた。

「ひどい話よね。警察は、性的暴行や人身売買が目当てだったのではないかと言っていた」

 さきほど家にやってきた刑事たちは、その線もあると話していた。人身売買はどこの国でも違法だが、確かに存在する。難民の子ども、――つまり朝乃はねらわれやすいのだ。

「ドルーアが入院しているという、うわさもある。彼も巻きこまれたの?」

 アンナは不安そうに問いかける。

「えぇ、でもドルーアはすでに退院している。今は元気よ」

 翠はアンナを安心させるように笑った。アンナは、ほっとする。しかしやはり深刻な顔でしゃべる。

「とは言っても、心配だわ。私だけでなく、ファンはみんな心配している。おとといからドルーアの話は、たくさんネットに流れている。家が襲撃されただの、仕事を急にキャンセルしただの、重傷を負っているだの」

 アンナは本当に、ドルーアを案じているようだ。朝乃は申し訳ない気持ちになる。ドルーアは朝乃に巻きこまれて、ファンたちを心配させている。

「今、ドルーアの家は修繕中でしょう。彼も住んでいないし、ウェブダイアリーの更新もない。元気な姿を見せてくれないと、私たちは夜も寝られない」

 ウェブダイアリーとは何だろう、と朝乃は思った。だが口をはさめなかった。

「自宅で不審者に襲われた事件と、管理局の事件は関係するの?」

 アンナの質問に、翠は少し考えてから答える。

「話は長くなるけれど、朝乃ちゃんは私と功を頼って、日本から亡命してきた」

 翠は朝乃を見て、しゃべるように促す。朝乃はひさびさに口を開いた。

「私は浮舟に着いたとき、私は翠の家を目指した。ところが私はまちがえた。私はドルーアの家に行った」

 翠が、朝乃のせりふを引きつぐ。

「ドルーアは朝乃ちゃんを家に入れて、面倒を見てくれた。けれど朝乃ちゃんが家で功の迎えを待っているとき、ドルーアのファンらしい人たちがやってきた」

 アンナは難しい顔をした。翠は話し続ける。

「彼らは家に入れろとドルーアに要求して、その要求が通らないと、無理やり玄関と窓を壊して入ってきた」

「彼らは武器を持っていた。私は怖かった」

 朝乃はがんばって説明をつけたした。

「一部のファンの行き過ぎた行動や、ストーカーや窃盗などの犯罪行為は、私も許せない」

 アンナはそう言うと、落ちこんで黙った。なぜだろう。朝乃は考えてから気づいた。朝乃たちは、ファンがドルーアを傷つけたと主張したのだ。したがってアンナは、自分も批判されたと感じたのだろう。

 これは予想外の展開だ。どうすればいいのか。翠も、ちょっと困っている。だが彼女は優しくほほ笑んだ。

「ドルーアは朝乃ちゃんの境遇に同情し、彼女を守っている。だから用事のあった私たちに代わって、彼女を管理局へ連れていった。あなたたちファンも朝乃ちゃんを守ってくれたら、ドルーアはうれしく思うはずよ」

 アンナは、にこりと笑みを見せる。

「ありがとう。そうね、そうするわ。困っている子どもを助けるなんて、ドルーアらしい。私は彼を誇りに思う」

 そして朝乃に向かって、

「私のことも頼りにしてちょうだい。私は近所に住んでいるから」

「ありがとうございます」

 朝乃は笑顔で、礼を述べた。アンナは「じゃ、またね」と別れのあいさつをして、スーパーの中へ入っていく。朝乃はほっとした。翠は疲れたらしく、ふーっと息を吐く。

「うまくいった」

「ありがとうございます」

 朝乃が言うと、彼女はにこっと笑った。

「私たちもスーパーでお買いもの、……の前に、疲れたから、フードコートでおやつでも食べましょう」

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