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密談

 夜の十一時を過ぎても、朝乃は眠ったままだった。医師の見立てによると、彼女が撃たれた麻酔銃はかなり弱いものだった。なので銃の効果は、ほぼ切れている。今、目覚めないのは疲労のためだろう。だから寝かせてやれ、とのことだった。

 ひとり部屋の病室で、朝乃はベッドで眠っている。枕もとのソファーでは、ドルーアが背中を丸めて座っている。功は、少し離れた場所にある丸テーブルのいすに腰かけていた。

「眠り姫のようだ」

 朝乃を見つめて、ドルーアがつぶやいた。疲れのにじみ出た声だった。

 ドルーアは麻酔銃で撃たれたにも関わらず、無理をして体を動かし続けた。その結果、救急車で病院に運ばれたとたん、何度も嘔吐した。今はもう落ちついて食事も取れるらしいが、まだ顔色が悪い。

「そうだとしても、キスしないでくれ。日本で育った朝乃にとって、キスは恋人同士でするものだ」

 背中を向けているドルーアに対して、功は注意する。たまに功も、ドルーアからキスされそうになる。文化のちがいとは分かっているが、ちょっとやめてほしい。功は、テーブル上のノートパソコンに目を移した。

「予想以上に大きなニュースになっているな。お前の家に不審者が侵入したことも、管理局の裏手で誘拐未遂事件があったことも」

「あぁ」

 ドルーアは相づちをうった。功はマウスを動かして、ネットサーフィンをする。

「うわさや憶測程度だが、管理局の事件にお前が巻きこまれたことも書かれている。さらにふたつの事件は関係あるとも」

「僕は特に、顔を隠していなかったから」

 ドルーアは意味ありげにしゃべる。小さな声で、朝乃の安眠をさまたげないように配慮していた。

「つまりお前は、わざと目立つ行動をした」

 確認の意味をこめて、功は言う。人気芸能人のドルーアにとって、目立つのはたやすいことだ。普段どおりでいい。ドルーアは低い声で話しだす。

「世界最高の超能力者である裕也の存在は隠されている。そしてその裕也が、唯一の家族である朝乃を人質に取られていたことも隠されていた」

 ひと息置いてから、

「けれど今、朝乃は浮舟にやってきた。彼女はわが身を隠していないし、裕也のことも隠していない。正直に自分の知っていることを、僕や功、管理局職員の田上さんに話した」

 さらに朝乃は、二回も誘拐されそうになった。明日以降、彼女は、浮舟警察や浮舟市長にもすべてを話すだろう。朝乃は意図せず、日本の権力者たちにとってまずい行動をしているのだ。

「今、朝乃をとおして、裕也の存在が少しずつ知られつつある。今まで裕也を隠していたやつらは、だいぶ動きにくくなっただろう。ただ朝乃が目立ちすぎるのは、それはそれでトラブルのもとだ。だから目立つのは、ほどほどにするつもりだ」

 ドルーアも功も、朝乃がマスコミに追い回されたり、常に周囲から注目されたりすることを望んでいない。彼女には平穏な生活を送ってほしい。またドルーアのファンが、朝乃に嫉妬することも避けたい。

「日本にせよ日本以外の国にせよ、朝乃を連れ去りたくても二回も失敗した。次はどんな手を打てばいいか、頭を抱えているだろう」

 ドルーアは功に、背中を向けている。けれど功には、ドルーアがふっと笑ったのが分かった。功は口を開く。

「当分、朝乃が襲われることはない、ということか」

「おそらく。短絡的な手を打てば失敗に終わり、さらに悪目立ちする。しかし油断は禁物だ。朝乃と僕は、管理局の裏手で襲われた。それに今、肝心の裕也が、どこで何をしているのか分からない」

 それは功も気になっているところだ。自由を手に入れた裕也は、今、どこで何をやっているのか。なぜ、愛する姉の朝乃とともにいないのか。功は裕也のことを心配していた。

 ドルーアがふいに、功の方を振り返った。彼はとても情けない顔をしていて、功は驚いた。ドルーアは落ちこんでいる。

「僕は浅はかだった。朝乃の前で、ヒーローのつもりでいた。彼女を守れると、それだけの力が僕にあるとうぬぼれていた。その結果がこれだ」

 ドルーアは朝乃を見て、悔しそうに歯がみした。

「今の僕には、朝乃の前に立つ資格がない」

「落ちこむな、とは言わない。だが、あまり自分を責めるな」

 功はなぐさめた。ドルーアはプライドを、したたか傷つけられたのだ。彼はみけんにしわを寄せて、考えこむ。しばらくすると、

「朝乃を守るだけでは、朝乃を守れない。ましてや、僕の望みはかなえられない。功、君が愛する人を連れて日本から出たように、僕も行動する」

 緑の瞳が、功をひたと見据えた。

「受け身な態度はやめた。今までの自分も捨てよう。戦うために、必要なものは手に入れた」

 その瞳に映るのは覚悟。彼はもう決めたらしい。ドルーアは有名な役者で、優秀な投資家でもある。けれど彼の顔は、それらだけではない。ドルーアはすっと視線を外すと、朝乃の方を見た。優しく彼女の頭をなでる。

「僕の天使は、いつお目覚めかな?」

 声も柔らかいものに戻っている。

「さぁな。下手に夜に目覚めるより、明日の朝まで寝てくれる方が昼夜逆転しなくていい」

 日光のない月面では、生活リズムを崩す人は多い。うつ病などの病気にかかる人も、地球より多い。やはり月は暮らしづらいところなのだ。

「お前こそ、さっさと自分のベッドに戻れ。安静にしろと医者に言われただろ?」

 功は意識して、厳しい口調を作った。ドルーアは、落ちつかない気持ちは分かるが、あまり安静にしていない。

「そろそろ自分の病室へ戻る。ただ、この寝顔と離れがたいだけだ」

 ドルーアは立ち上がり、朝乃に覆いかぶさって額にキスをした。功はぎょっとする。あまりにも自然な動作だったので、ドルーアを制止しそこねた。

「おい、まさか本気で朝乃を恋人にしたいのか」

 功はあせって問いかける。朝乃はドルーアより十一才も年下で、しかも未成年だ。ドルーアが朝乃に手を出せば、ほぼ確実に犯罪になる。真剣な交際と朝乃の保護者が認めれば、また話は別だが、そもそも朝乃には保護者がいない。

 功が保護者として立候補するつもりだが、それを朝乃が受け入れるか分からない。功はドルーアほどではないが、朝乃から信頼されているので、受け入れてくれると思うが。

 ドルーアは朝乃から離れて、功に対して苦笑する。ソファーに腰を降ろしてから話す。

「今の朝乃は子どもだ。無知で無力で、せまい世界しか知らない。そして幼いあこがれを、僕に持っている。そんな子どもに、欲望をともなった感情は抱かないよ」

 ドルーアは再び、朝乃の方を向いた。

「こんな気持ちは初めてだ。この子を守りたい。けれど何か見返りがほしいわけじゃない。朝乃の利用価値は分かっている。けれど利用したくない。ただ愛している。こういうのを無償の愛と言うのだろう」

 功は黙って、ドルーアの話を聞いた。確かに彼の言うとおりだろう。ドルーアの朝乃に対する態度は、基本、父親みたいなものだ。そして、姫君を守る騎士でもある。

 ただその割には、甘い言葉を吐き続けるし、朝乃から寄せられている恋心も、まんざらではない様子だ。そして何より、

(子どもは、いつか大人になるぞ。それも、結構はやいスピードで)

 功は言いかけて、やめた。これは多分、余計なお世話だ。朝乃が自立した大人、すなわちドルーアと対等の存在になったとき、ドルーアはどうするのか。ただ今は、功は朝乃の保護者候補として、ドルーアは安全なお兄さんとさえ分かればいい。

 下世話なことを考えれば、ドルーアは昔の恋人であるジャニスに未練たらたらだ。彼の中では、朝乃とジャニスがてんびんにかかっているのかもしれない。それを認めたくないから、朝乃は子どもと自分に言い聞かせているのかもしれない。

 ドルーアは朝乃の寝顔をいとおしそうに見つめてから、ゆっくりと立ち上がる。

「功。僕はしばらく朝乃に会えない。彼女を頼む」

 まじめな調子でしゃべる。君を信頼しているから大切な朝乃を預けるのだと、ドルーアのまなざしが語っていた。

「あぁ」

 功は了承した。功よりもドルーアの方が、朝乃の保護者のようだ。しかし実際に、朝乃に対する思いはドルーアの方が深い。なので功には、何も不服はない。

「何をするか知らんが、気をつけろよ。お前に何かあれば、朝乃は毎日泣き暮らす」

「分かっている。ついでに言うと、君と翠も泣き暮らしてくれると知っている」

 ドルーアは軽く笑う。功に「Good night.」とあいさつして、病室から出ていった。

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