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12 恋人を作らないと約束した

 結局、朝乃は信士とともに、自分の病室に戻った。信士は直接、ドルーアを心配していると功に告げる。功はにこりと笑った。

「ドルーアはあなたが思う以上に、賢く用心深い男です。ですが心配してくれて、ありがとうございます。あなたの気持ちは必ず伝えます」

「ありがとう」

 信士は礼を述べる。次に朝乃に対してしゃべる。

「何か困ったことがあれば、私を頼ってほしい。私のメールアドレスは……」

「ありがとうございます。ですが私は今、メールを使えないのです」

 朝乃は日本では、タブレット型コンピュータを使用していた。だが今は使えない。

「私が、あなたの連絡さきをいただいてもいいですか? 私もあなたに、メールアドレスを教えます」

 功が信士に言った。信士は両目をかすかに細めて、ほほ笑む。

「分かりました。何か困ったことがあれば、遠慮なく連絡してください。亡命申請などに関しては、多少は頼れるはずです」

「多少どころではないでしょう。昨夜から、さまざまなアドバイスをありがとうございました」

 功はほほ笑み、功と信士は連絡さきを交換した。朝乃と功は信士と別れて、病院を出た。

「入国管理局へ行こう。ここからすぐだ」

「はい」

 朝乃は功に返事する。病院の玄関前にあるロータリーには、無人タクシーが二台とまっていた。朝乃と功は、そのうちのひとつに乗る。十分ほどタクシーを走らせると、管理局に着く。管理局では朝乃たちは、カウンターの奥にある個室に案内された。

 応接室の中で朝乃は、壮年の男性、――管理局局長から事件のおわびを受けた。誘拐未遂事件は、建物の外だったとはいえ、管理局内で起きたことだからだ。

 次に朝乃は、功と局長に指示されるままに、さまざまな電子書類にサインをした。さらに写真を撮られたり、指紋をとられたり、長々と説明を受けたり。しかしこれで朝乃は功の養子になり、二、三週間後には亡命許可が出るらしい。

 浮舟市長には会えなかったが、朝乃と功は満足して管理局を後にした。近くのレストランで昼食を取ってから、再びタクシーに乗る。功の家まで約二時間だ。功は疲れたらしく、五分もたたないうちに寝てしまった。

(ヒマだし、テレビでも観ようかな)

 朝乃は、天井からぶら下がっているタッチパネルモニターを操作した。ニュース番組、音楽番組、ドラマ、映画などいろいろある。どれを観ようかと迷っていると、朝乃はふっと気づいた。この中には、ドルーアが出ているドラマや映画があるのではないか?

 ドルーアを観たい。かっこいいにちがいない。いや、やっぱり観たくない。だって彼がきれいな女性に言い寄っていたら、嫌だ。ましてやキスシーンなんてあったら、立ち直れない。ドルーアには恋人がいるのだから、お芝居に腹を立てるのは不毛だが。

 朝乃は悩んだすえに、子ども向けのアニメを観ることにした。これならばドルーアは出てこない。でも、あまりおもしろくない。朝乃は、ぼんやりと画面を眺めた。

(私は、浮舟で暮らすと決めた。そして功さんの養子にもなった)

 けれど朝乃は、頼りのない小さな舟で、小さなオールを一生懸命こいでいるようなものだ。海は果てしなく広く、荒れている。不安で心細かった。

 功の家に着いたとき、時刻はすでに午後の三時五十分だった。朝乃が起こすと、功はすぐに目を覚ました。朝乃と功はタクシーから出て、家に入る。

 家の奥から、おなかの大きな女性、――功の妻がやってきた。功と同じ年ごろで、ゆったりとしたフードつきのワンピースを着ている。

「初めまして、朝乃ちゃん」

 彼女はにっこりとほほ笑む。朝乃は玄関で、さっと頭を下げた。

「初めまして、翠さん。これからお世話になります」

 朝乃は翠と初対面だ。しかし、これから一緒に暮らす。翠は朝乃にとって、絶対にうまくやっていきたい相手だ。朝乃はかなり緊張していた。

「こちらこそ、よろしくね」

 明るい声に顔を上げると、翠はにこにこしている。朝乃を歓迎してくれているのだ。朝乃はほっとする。翠は功の妻だ。親切な人に決まっている。

「さぁ、入って。今日からここが、あなたの家よ」

「はい」

 朝乃は靴を脱いで、家に上がった。翠はリビングに向かって、廊下を歩きだす。朝乃と功は、彼女についていった。

「朝乃ちゃんも功も、疲れたでしょう? 夕飯の前に、お風呂に入る?」

「あぁ、今すぐ入りたい」

 翠の質問に、功が答えた。

「さきに入っていいか? さすがに俺は汗くさい。服も着替えたいし」

 功が申し訳なさそうに、朝乃にたずねる。

「もちろんです」

 朝乃は恐縮して答えた。功は昨夜、朝乃の付き添いで病室のソファーで寝たのだ。風呂に入りたいのは当然だろう。

「じゃ、功はまずお風呂ね。そんで朝乃ちゃんは、部屋に案内するわ。あなたの部屋を三階に用意したの」

 翠が、はきはきとしゃべる。

「ありがとうございます」

 朝乃は礼を述べた。翠は、場をぱっと明るくさせる女性だ。朝乃は少しずつ、緊張が解けてきた。朝乃たちはリビングに入り、左手にある階段に向かう。

 ふと視線を右に向けると、リビングの出窓に花が飾られているのが見えた。レースのカーテン越しに、花びんにいけられた花が透けて見える。黄色のガーベラが中心で、とても華やかだ。昨日はこんな花はなかった。朝乃が疑問に思っていると、

「ドルーアが来たのか?」

 功が花を見て、翠にたずねる。

「えぇ、さっき、……二時ごろだっけ? に来たわ。自宅の様子を見るついでだったみたい。当分、家に帰ってこられないけれど、僕のことを忘れないでと花束をくれた」

 朝乃は、あぁ、やっぱりとがっかりした。功の家に入る前、はす向かいにあるドルーアの家を見た。彼の家はまだ工事中だった。作業員たちが玄関や窓を修理していた。一日やそこらで直るものではないだろう。だからドルーアは今、住んでいないし、当分住めない。

「ということは、花が咲き終わったら、あいつのことは忘れていいのだな」

 功が意地悪く笑う。

「そうねぇ。せいぜい二週間くらいかしら?」

 翠もころころと笑った。朝乃は、それでいいのか? と思う。だが翠もまたドルーアと、冗談を言い合えるほどに親しいのだろう。

「ドルーアさんは、ホテルにでも泊まるのですか?」

 朝乃はたずねた。翠は階段をのぼりながら、ご機嫌で答える。

「去年までのドルーアならば、恋人の家に転がりこんだでしょうね。でもドルーアは今日、ホテルに宿泊すると言っていたわ。だって彼は私に、恋人を作らないと約束したし」

「え?」

 朝乃は目を丸くした。ドルーアが翠に、恋人を作らないと約束した? となると、アーリアーはドルーアの恋人ではない? 思いかえせばドルーアは、彼女を恋人として紹介していなかった。

 しかしそもそも、なぜドルーアは翠とそんな約束をしたのだ? 朝乃は軽く混乱して、考えこんでしまう。

「なんだ、その約束は?」

 功も驚いている。翠は階段の途中で足を止めて、振り返った。

「忘れたの?」

 ちょっと怒った様子で、両手を腰に当てる。

「去年の年末にドルーアが、妊娠のお祝いみたいな感じで、家に来たでしょう?」

「あぁ。手料理をいっぱい持ってきたな。……思い出した。いや、でもあれは冗談だったんじゃ?」

 功はとまどっている。

「冗談半分、本気半分だったのかもしれない。だけど」

 翠は握りこぶしを作った。

「常にあっちにふらふら、こっちにふらふらしているドルーアが、遊び相手を作らないと約束したのよ。絶対に、この約束を守らせなくちゃ」

「それはいいが、階段から落ちるなよ」

 意気ごむ翠に、功はあきれて言う。

「はーい」

 翠は前を向き、再び手すりをつかんで階段をのぼりはじめた。

「腹が大きいから、気をつけろよ」

 功も階段に足をかけて、のぼりだす。ドルーアの話題は終わってしまった。だが彼には恋人はいないし、作るつもりもない。なら朝乃は喜んでいいのでは? 朝乃はひそかに浮かれだし、翠と功の後についていった。

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